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哀川翔、RIKACOの自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策(3):哀川翔/RIKACO/河川争奪/谷沢川/逆川


岩城滉一、役所広司、ビートたけしの自宅を探訪しながら、尾山台・等々力地区を散策しました。

今回は、引き続き、尾山台・等々力地区を散策しながら、哀川翔、RIKACOの自宅を探訪し、

地形上の珍しい自然現象(河川争奪)が起こった地点を見てみます。

(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。



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(哀川翔の自宅)


前回の記事で訪れたビートたけしの自宅界隈には、哀川翔(本名:福地家宏(ふくち いえひろ))の自宅があります(下の写真)。
哀川翔の自宅 尾山台・等々力散策3


本名の「FUKUCHI」(福地)の表札がありました。
哀川翔の自宅 表札 尾山台・等々力散策3


車が2台置かれた狭い間口に見えますが、

哀川翔の自宅は「逆L字型」をしていて、この玄関は「逆L字型」の先端部分でしかなく、奥に広い建物があります。

この邸宅は、日本を代表する建築家・安藤忠雄が設計した家だそうです。



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(RIKACOの自宅)


哀川翔の夫人は元女優の青地公美(あおち くみ)で、この哀川夫人がRIKACOと仲がよく隣に住むようになったそうです。

しかし、哀川翔の自宅の左右の隣家を見ましたが、RIKACOの家らしきものはありません。

周囲を探索すると、RIKACOの自宅は哀川翔の裏手にありました(下の写真)。
RIKACOの自宅 尾山台・等々力散策3


RIKACOの本名は吉川莉加子(よしかわ りかこ)ですが、

「WATABE・YOSHIKAWA」(渡部・吉川)の表札がありました(公道から撮影した写真)。
RIKACOの自宅 表札 尾山台・等々力散策3


「WATABE」は元夫の俳優・渡部篤郎のことと思われますが、なぜ離婚した元夫の名前があるのでしょうか?



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調べたところ、RIKACOは自身のインスタグラムで次のように述べているそうです(長いので一部を抜粋・引用します)。

「一つ前の記事で私の本名の苗字を渡部さんを名乗っているんですねー以外でした!
と言う質問に良いチャンスだから少しここで語らせ頂くと
私達が離婚した時に息子さん達が苗字を変えたくない!と言う思いが凄く強かったので私は新たに渡部と言う新しい戸籍を作り私だけそこに移しました!
親の親権は私息子さん達の戸籍は父親に!離婚は子供達にはなんの関係もなく親の都合です!
出来るだけ息子さん達には負担をかけないように色々息子さん達優先の人生の選択を私はしました!(以下略)」

つまり、自分の子供のために、父親の「渡部」性を離婚した後も使用していることから、「WATABE・YOSHIKAWA」(渡部・吉川)の表札を掲げていると思われます。


(吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅)【追記】


RIKACOの自宅の隣に吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅があることを新たに確認しました。その位置関係は下の通りです。
吉井和哉・眞鍋かをり夫妻の自宅とRIKACOの自宅 等々力散策2




(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。



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(珍しい自然現象・・・「河川争奪」の現場)


ここから野毛方面(西方向)へ向かいますが、途中で等々力渓谷内を流れている「谷沢川」を渡ります(下の写真)。
矢沢川 尾山台・等々力散策3


以下は、やや専門的な話になりますので、ご関心のない方は読み飛ばしてください。

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この「谷沢川」は、もともとは世田谷区用賀を源流とし、自由が丘・緑が丘を経て呑川に合流していました。

しかし、南から侵食してきた谷頭(こくとう)によって、今まで東に向かっていた本来の「谷沢川」大部分の水が、南の水系(谷沢川)に奪われる珍しい自然現象・・・「河川争奪」(かせんそうだつ)が起こって流路が南に変わり多摩川に合流するようになったものです(下図参照)。
河川争奪 谷沢川 当初の流れ
(出典:「国土地理院 治水地形分類図」を筆者が加工したもの)



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このように、ある水系の谷頭が侵食を続けて上流へ成長を続け、別の水系域に達するとそこの水系の上流部の流域を奪って取り込んでしまう現象を「河川争奪」といいます(谷沢川については人工的に流路を変えたという説もありますが、自然現象としての説が有力です)。

「河川争奪」後は、等々力付近の「元谷沢川」の一部が逆流して「新谷沢川」に流れ込むようになり「逆川(さかがわ)」と呼ばれるようになり、また、途中の「浄真寺」付近の「元谷沢川」からは「九品仏川」となり呑川に合流するようになりました(下図参照)。
河川争奪後の谷沢川
(出典:「国土地理院 治水地形分類図」を筆者が加工したもの)


この河川争奪の痕跡を今でも見ることができます。下の写真は等々力渓谷に架かる「ゴルフ橋」から見た痕跡です。
河川争奪の痕跡 尾山台・等々力3



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また、この痕跡の延長線上には「逆川」の碑があり、
逆川の碑 尾山台・等々力散策3


逆川の痕跡(暗渠)を見ることができます。
逆川の痕跡  尾山台・等々力散策3


「当初の谷沢川の流れ」と「河川争奪後の谷沢川の流れ」を現地写真を使って視覚化すると以下のようになります。
当初の谷沢川の流れ 谷頭浸食 尾山台・等々力散策3  河川争奪後の谷沢川の流れ 尾山台・等々力散策3
  

下の写真は、自由が丘を流れていた九品仏川の痕跡である「九品仏川緑道」。
自由が丘 九品仏川緑道 尾山台・等々力散策3



(注)上の説明は、等々力渓谷の河川争奪を単純化して説明したものですが、昭和初期の耕地整理後は、逆川上流が九品仏川に繋がれるなどもっと複雑な経緯があったようです。

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次回は、「芸能人の自宅を探訪しながら尾山台・等々力・野毛散策シリーズ」の最終回として、野毛地区まで行ってみます。

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カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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