大泉学園を歩く:アニメの街・牧野記念庭園・妙福寺・乳牛牧場
- 2018/05/26
- 09:04
西武池袋線に乗って、練馬区大泉学園駅界隈を歩きました。
(アニメの街)
西武池袋線の改札口のコンコースでアニメのモニュメントが歓迎してくれます。
歓迎してくれるのは、松本零士のSF漫画「銀河鉄道999」に登場する車掌のモニュメントです。

改札口を出て北口に出ると「大泉アニメゲート」があり、アニメのキャラクターのブロンズ像が立ち並んでいます。

さらに、地上に降りると、「銀河鉄道999」の車両模型がデザインされた街灯があり、同じく「銀河鉄道999」の大壁画があります。
大泉を中心とする練馬区が「アニメーション発祥の地」と呼ばれるようになったのは、大泉学園駅の改札口モニュメントに説明があるように、「日本で初めて、東映映画(東大泉:現在の東映アニメーション)において、カラー長編アニメ映画「白蛇伝」が製作された」ことによるようです。
私は約20年ぶりに大泉学園を訪れましたが、当時はアニメの話などなく、大きく変貌しているのに驚きました。
(大泉学園駅)
「大泉学園駅」は大正13年(1924年)にできましたが、当初は「東大泉駅」と言っていました。
その後、駅周辺一帯を学園都市にする構想があり、大学誘致を行うため、この付近を「大泉学園町」と改称し駅名も「大泉学園駅」としました。つまり、誘致する前に町名と駅名を変えてしまったのです。
具体的には一橋大学を誘致しようと働きかけていたのですが、結局誘致できず(一橋大学は国立市に行ってしまいました)、名前だけが残ったわけです。大正時代の話です。
全く同じ経緯を辿ったのが新宿の「歌舞伎町」です。
歌舞伎座がないのに、なぜ「歌舞伎町」と言うのでしょうか。
太平洋戦争中の米軍の空襲によって焼け野原となった歌舞伎町一帯(当時は角筈一丁目でした)の復興のために一大文化施設ゾーンを作ろうとの構想が持ち上がりました。その中核として歌舞伎劇場の建設計画が持ち上がり、一帯を「歌舞伎町」と命名しました。
しかし、歌舞伎劇場建設の着工が遅れ、そのうち建設中止になってしましました。しかし、「歌舞伎町」という地名は残り現在に至っています。
時代は違いますが、「大泉学園」と全く同じ経路を辿っていますね。
(牧野記念庭園)
大泉学園駅から徒歩5分ほどのところに「牧野記念庭園」があります。
世界的な植物学者である牧野富三郎の住居跡を庭園として整備したものです。

庭園内には、牧野博士が発見し令夫人の名前をとった「スエコザサ」(令夫人の名前は壽衛子(すえこ)でした)や300種以上の植物が植えられています。
なお、牧野博士は小学校を卒業しておらず、学歴なく偉大な学者になった人でもあります。
(石庭の森緑地)
農家の屋敷林を練馬区が買い取り整備した緑地で、なかなか面白いアイデアが盛り込まれているところです。
丸い敷石が続いていますが、これは何だと思いますか?

これは昔の郵便ポストの台座です。

そういえば、私が子供だった頃、郵便ポストに手紙やハガキを入れる時に、この台座に乗って手紙・ハガキを入れた覚えがあります。
もう一つの面白いアイデアですが、金運を呼び込む赤実縁起植物として、壹両から億両までの俗称として呼ばれる植物を一堂に植えているところもありました。
画像が不鮮明で申し訳ありませんが、面白いので掲載します。

(妙福寺)
妙福寺方面に歩いていきますが、練馬区も大泉あたりに来ると今でもこのような畑が残っています。

妙福寺は日蓮宗の寺院で堂々たる本堂・祖師堂・梵鐘が見事です。梵鐘は区の指定文化財となっています。
興味深いのは、日蓮聖人の像です。凄まじい迫力の像です。

作者は北村西望(きたむら せいぼう)で、「長崎平和祈念像」の作者でもあります。
「長崎平和祈念像」と同じような姿勢で似ていますね。
(小泉牧場)
次に小泉牧場に行きました。ここは23区内唯一の乳牛牧場です。

「牧場」と書いてあるので、放牧する場所もあるのかと思っていましたが、さすがに放牧はしておらず、牛舎に60頭の乳牛を飼っています。牧場は家畜を放牧する土地を意味する「ぼくじょう」ではなく「まきば」と読むのだそうです。

ここで作っているアイスクリームを買って食べましたが、さっぱりしていて昭和の味がしました。

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(アニメの街)
西武池袋線の改札口のコンコースでアニメのモニュメントが歓迎してくれます。
歓迎してくれるのは、松本零士のSF漫画「銀河鉄道999」に登場する車掌のモニュメントです。

改札口を出て北口に出ると「大泉アニメゲート」があり、アニメのキャラクターのブロンズ像が立ち並んでいます。

さらに、地上に降りると、「銀河鉄道999」の車両模型がデザインされた街灯があり、同じく「銀河鉄道999」の大壁画があります。


大泉を中心とする練馬区が「アニメーション発祥の地」と呼ばれるようになったのは、大泉学園駅の改札口モニュメントに説明があるように、「日本で初めて、東映映画(東大泉:現在の東映アニメーション)において、カラー長編アニメ映画「白蛇伝」が製作された」ことによるようです。
私は約20年ぶりに大泉学園を訪れましたが、当時はアニメの話などなく、大きく変貌しているのに驚きました。
(大泉学園駅)
「大泉学園駅」は大正13年(1924年)にできましたが、当初は「東大泉駅」と言っていました。
その後、駅周辺一帯を学園都市にする構想があり、大学誘致を行うため、この付近を「大泉学園町」と改称し駅名も「大泉学園駅」としました。つまり、誘致する前に町名と駅名を変えてしまったのです。
具体的には一橋大学を誘致しようと働きかけていたのですが、結局誘致できず(一橋大学は国立市に行ってしまいました)、名前だけが残ったわけです。大正時代の話です。
全く同じ経緯を辿ったのが新宿の「歌舞伎町」です。
歌舞伎座がないのに、なぜ「歌舞伎町」と言うのでしょうか。
太平洋戦争中の米軍の空襲によって焼け野原となった歌舞伎町一帯(当時は角筈一丁目でした)の復興のために一大文化施設ゾーンを作ろうとの構想が持ち上がりました。その中核として歌舞伎劇場の建設計画が持ち上がり、一帯を「歌舞伎町」と命名しました。
しかし、歌舞伎劇場建設の着工が遅れ、そのうち建設中止になってしましました。しかし、「歌舞伎町」という地名は残り現在に至っています。
時代は違いますが、「大泉学園」と全く同じ経路を辿っていますね。
(牧野記念庭園)
大泉学園駅から徒歩5分ほどのところに「牧野記念庭園」があります。
世界的な植物学者である牧野富三郎の住居跡を庭園として整備したものです。


庭園内には、牧野博士が発見し令夫人の名前をとった「スエコザサ」(令夫人の名前は壽衛子(すえこ)でした)や300種以上の植物が植えられています。
なお、牧野博士は小学校を卒業しておらず、学歴なく偉大な学者になった人でもあります。
(石庭の森緑地)
農家の屋敷林を練馬区が買い取り整備した緑地で、なかなか面白いアイデアが盛り込まれているところです。
丸い敷石が続いていますが、これは何だと思いますか?

これは昔の郵便ポストの台座です。


そういえば、私が子供だった頃、郵便ポストに手紙やハガキを入れる時に、この台座に乗って手紙・ハガキを入れた覚えがあります。
もう一つの面白いアイデアですが、金運を呼び込む赤実縁起植物として、壹両から億両までの俗称として呼ばれる植物を一堂に植えているところもありました。
画像が不鮮明で申し訳ありませんが、面白いので掲載します。


(妙福寺)
妙福寺方面に歩いていきますが、練馬区も大泉あたりに来ると今でもこのような畑が残っています。

妙福寺は日蓮宗の寺院で堂々たる本堂・祖師堂・梵鐘が見事です。梵鐘は区の指定文化財となっています。

興味深いのは、日蓮聖人の像です。凄まじい迫力の像です。

作者は北村西望(きたむら せいぼう)で、「長崎平和祈念像」の作者でもあります。
「長崎平和祈念像」と同じような姿勢で似ていますね。
(小泉牧場)
次に小泉牧場に行きました。ここは23区内唯一の乳牛牧場です。

「牧場」と書いてあるので、放牧する場所もあるのかと思っていましたが、さすがに放牧はしておらず、牛舎に60頭の乳牛を飼っています。牧場は家畜を放牧する土地を意味する「ぼくじょう」ではなく「まきば」と読むのだそうです。

ここで作っているアイスクリームを買って食べましたが、さっぱりしていて昭和の味がしました。

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