【柿の木坂】芸能人の自宅を探訪しながら、碑文谷・柿の木坂・野沢を散策(5):松島トモ子/原辰徳/坂本九・柏木由紀子/呑川柿の木坂支流緑道
- 2020/11/10
- 07:56
碑文谷から柿の木坂に行き、玉木宏、名倉潤の自宅を探訪するなどしました。
今回は、「芸能人の自宅を探訪しながら、碑文谷・柿の木・野沢散策シリーズ」の第5回として、柿の木坂にある松島トモ子、原辰徳、坂本九・柏木由紀子夫妻の自宅を探訪します。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(松島トモ子の自宅)
前回の記事で歩いた「名倉潤・渡辺満里奈夫妻の自宅」の先には、名子役として一世を風靡、映画やテレビで活躍し、最近では介護問題に関する講演なども行っている「松島トモ子」の自宅があります。
「松島」と書かれた表札がありました。
松島トモ子の祖父の時代からここに住んでいるそうで、昔からある古風な家です。
松島トモ子が書いた「柿の木坂と私」というエッセーがあるのですが、
そのエッセーの中に、「私がまだ小さかった頃、・・・呑川には水が流れ、四季折々に木々が色彩を変え、庭木のあちこちでは小鳥たちが、キーン、チュンチュンと飛び回っていた。」と書かれた一文があります。
【追記】
令和5年(2023年)6月6日放送の「徹子の部屋」に出演した松下トモ子は、「77歳にして住み慣れたこの自宅からマンションに引っ越した」と語っていました。
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(呑川柿の木坂支流緑道)
松島トモ子が描いた「呑川」(のみかわ、のみがわ)ですが、環七から坂を下って西に向かうと、「呑川柿の木坂支流緑道」があります(下の写真)。
松下トモ子の子供のころは水が流れていたそうですが、現在は水は流れておらず、暗渠化されています。
松下トモ子は1945年(昭和20年)生まれですので、少なくとも昭和20年代頃までは暗渠化されず水が流れていたようです。
呑川は、世田谷区→目黒区→大田区を流れ東京湾に注ぐ河川で、周辺には多くの支流があります。
この「呑川柿の木坂支流」はその支流の1つで、都立大学駅前で呑川本流に合流します(下の写真は都立大学駅前での合流部分。都立大学駅前にあった地図を筆者が加工)。
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呑川本流は、大岡山にある東工大構内を流れ、
その少し下流から開渠(水面が見えるように)になります。
松島トモ子や名倉潤・渡辺満里奈夫妻の自宅がある辺りでは、前回の記事で渡った環状七号線が分水嶺となっており、東側が立会川水系、西側が呑川水系となる地形的に面白い地域になります。
(参考記事1)東工大構内の散策については「東工大キャンパスを散策」で書いたことがあります。
(参考記事2)大学構内散策としては、東大構内を散策した「観光名所・東大キャンパスを散策シリーズ」があります。
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(原辰徳の自宅)
さて、さきほどの「呑川柿の木坂支流緑道」を渡ると、元巨人監督の原辰徳の自宅があります。
「原」と書かれた大きな表札がありました。
ここからさらに目黒区八雲方面に向かえば、タモリの自宅、ASKAの邸宅跡など芸能人・著名人の自宅がありますが、これらについては別の機会に書きたいと思います。
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(坂本九・柏木由紀子夫妻の自宅)
また、この界隈には、昭和60年(1985年)の日本航空123便墜落事故で亡くなった坂本九と柏木由紀子夫妻の自宅があります。
壁に「THE SAKAMOTO’S」と書かれた鉄製のオーナメントが掛けられていました。
「THE SAKAMOTO’S」は「坂本家」「坂本一家」という意味です。
坂本九の本名は「大島九」(おおしま ひさし)ですが、「大島家」とせず「坂本家」としているところに、「坂本」という名への愛情と一家の団結力を感じます。
奥様の柏木由紀子は、その後、女手一つで娘たちを育てながら、家を守り続け、建て替えもしたそうです。
柏木由紀子は、2人の娘と家族ユニット「ママ・エ・セフィーユ」(フランス語で「ママと娘たち」の意味)を結成して、坂本九の曲を伝えるコンサートを続けています。
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次回は、環状七号線を再度渡り、野沢地区を散策しながら、野口五郎の自宅を探訪します。
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