【碑文谷・柿の木坂】芸能人の自宅を探訪しながら、碑文谷・柿の木坂・野沢を散策(4):いかりや長介/渥美清/三谷幸喜/玉木宏/名倉潤/青江三奈の自宅跡/碑文谷公園/朝日友好親善萬歳の碑
- 2020/10/31
- 08:00
サレジオ教会、角田家長屋門などがある目黒区碑文谷地区を散策し、森星のインスタグラムとサレジオ教会の背景を比較したりしました。
今回は、いかりや長介の自宅探訪、渥美清がよく散歩していた「碑文谷公園」界隈の散策、そして渥美清の自宅を見た後、柿の木坂に行って散策しながら、玉木宏・木南晴夏夫妻、名倉潤・渡辺満里奈夫妻の自宅、青江三奈の自宅跡を探訪します。
【追記1】
柿の木坂にある清水圭・香坂みゆき夫妻の自宅については、『「清水圭・香坂みゆき夫妻、小宮悦子の自宅」と「八雲氷川神社」を探訪しながら散策~八雲・東が丘・駒沢散策(2)』をご覧ください。
【追記2】
柿の木坂にある藤あや子の自宅、坂本冬美の自宅については、「タモリなど芸能人の自宅を探訪~八雲・東が丘・駒沢散策(4)」をご覧ください。
(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(いかりや長介の自宅)
私たちが散策している目黒区碑文谷界隈には、ザ・ドリフターズのリーダーとして、また渋い俳優役として活躍した「いかりや長介」(本名:碇谷長一)の自宅があります。
本名の「碇谷」(いかりや)の表札がありました。
下の写真は、いかりや長介の弟さんが八王子で経営している居酒屋「いかりや」です。
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(碑文谷公園)(渥美清の自宅)
私たちが散策している碑文谷界隈には、渥美清(本名:田所康雄)がよく散歩していたという「碑文谷公園」があります。
碑文谷公園の位置を示すと下の写真の通りです(前回の「【碑文谷周辺】芸能人の自宅を探訪しながら、碑文谷・柿の木坂・野沢を散策(3)」で書いたサレジオ教会脇に置かれた散策地図を筆者が加工したもの)。
中には碑文谷池があるのどかな公園です。
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碑文谷池は、かつては灌漑用のため池として利用され、「西小山→荏原町散策シリーズ」で歩いている立会川と接続していました。
目黒教育委員会の説明版には「この池は立会川の水源です」と書かれています。
この碑文谷公園で清掃のボランティアをしている方に伺ったところ、「田所さんは、碑文谷に住んでいて、この公園をよく散歩していた」などいろいろと教えてくれました。
その渥美清(本名:田所康雄)の自宅が下の写真です(渥美清の没後建て替えられた可能性があり、生前の家の姿とは違うかもしれません)。
渥美清の自宅は公道に面しておらず、行き止まり私道の奥に位置しており、上の写真は公道部分から家の側面を撮影したものです。
寅さんのイメージでは葛飾区のイメージなのですが、自宅は目黒区にあったのですね。
(参考記事)「柴又を歩く(1):柴叉駅・寅さん像」
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(碑文谷公園と三谷幸喜)
また、この碑文谷池には「厳島神社(弁財天)」が鎮座していますが、
「碑文谷厳島神社造営寄付御芳名」を見ると、脚本家・劇作家などとして日本のエンターテイメント界を代表する「三谷幸喜」の名前がありました(また、元夫人で女優の「三谷聡美」(現在は、小林聡美)の名前もありました)。
おそらく、この界隈に自宅がある(自宅があった?)と思われます。
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(朝日友好親善萬歳の碑)
碑文谷池の北側には、「朝日友好親善萬歳 朝鮮民主主義人民共和国帰国者一同 1960年3月15日」と書かれた石碑が建っています。
石碑の裏側には「贈 目黒区在住朝鮮人帰国者一同」と書かれています。
1950年代から1984年にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による日本から北朝鮮への集団的な永住帰国・移住が目黒区でもあったことを示す石碑です。
当時、北朝鮮は韓国よりも優位に立っており(今では想像しがたいことですが、当時の北朝鮮のGNP(国民総生産)は韓国のそれよりも大きかった時代でした)、
「地上の楽園」「社会主義の理想郷」であると喧伝され、多くの人々が日本から北朝鮮に渡ったのでした(その中には7000人近くの日本国籍保持者もいました)。
北朝鮮の正式国名が書かれた碑は珍しいと思います。
(参考記事)台湾の正式国名「中華民国」が刻まれた碑については、「孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町を散策(2):内山書店/東方書店/「周恩来ここに学ぶ」の碑/蒋介石揮毫の碑」で書いたことがあります。
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(玉木宏・木南晴夏夫妻の自宅)
今まで歩いてきた碑文谷地区から、環状七号線と目黒通りの交差点である「柿の木坂陸橋交差点」を超えて、目黒区の柿の木坂エリアに入ります。
柿の木坂地区の住宅街の中に入ると、俳優の玉木宏と女優の木南晴夏夫妻の自宅がありす。
下の写真は、夫妻が帰宅するときの様子を週刊誌が撮影した玄関です。
(名倉潤・渡辺満里奈夫妻の自宅:青江三奈の自宅跡)
また、この界隈には、お笑いタレントで活躍している名倉潤とタレントの渡辺満里奈夫妻の自宅があります。
玄関には大きくローマ字で「Nagura」の文字が掲げられていました。
【追記】
この名倉潤・渡辺満里奈夫妻の自宅は、歌手の青江三奈の自宅があった土地に新たに建てた家のようです。
すい臓がんの自宅療養をしていた青江三奈は、再入院後急変し、平成12年(2000年)7月に親族や友人に見守れながら静かに息を引き取りました。遺体は自宅2階にあるリビングの布団の上に安置され、森進一や浅田美代子らが弔問に訪れたそうです。
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(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
次回も、引き続き柿の木坂地区を散策しながら、芸能人・著名人の自宅を探訪します。
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