廃駅ホームの痕跡を探る~西小山→荏原町散策(2):旗の台駅/旗が丘駅/東洗足駅/旗が丘子育て地蔵
- 2020/10/03
- 09:04
西小山の個性的な店を探訪しながら、立会川跡の「立会道路」を歩きました。
今回は、長原街道を渡り「旗の台駅」に向かい、かつて存在した駅ホーム(「旗が丘駅」及び「東洗足駅」)の痕跡を探してみます。
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(立会道路と中原街道)
前回の記事で歩いた「立会川跡の立会道路」をさらに進んでいくと、中原街道にぶつかります。中原街道の向こう側に立会川跡が続いているのが見えます。
この場所は、「古道について(2):古道の特徴」で古道の事例として取り上げた場所です。
ここは、中原街道の新道と旧道がある場所なのですが、
この記事で書いたように、「最小限の資材・労力で橋を架けるために、道と川が直行するように」旧道(旧中原街道)を建設した痕跡がよく残っています(下の写真は商店街の地図に筆者が加工したもの)。
しかし、立会川が暗渠化された後は、自動車が走りやすい緩やかなカーブになるように新たに道(新中原街道)が作られました。このようにして不思議な形状が出来上がったわけです。
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なお、この付近には『「名物ラーメン・かき氷の店」と「源氏ゆかりの地」:ブンブンブラウカフェ ウィズ ビーハイヴ』でご紹介したラーメンとかき氷が美味しい「ブンブンブラウカフェ」があります。
また、近くには昭和大学病院があるため、白衣専門の店があります。
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(歴史の痕跡を探る:電車ホームの痕跡)
他にも、興味深い歴史の痕跡があるので見てみます。
現在、この地域には東急電鉄・大井町線と池上線が乗り入れる「旗の台駅」があります(下の写真)。
しかし、開業当初、当駅は目黒蒲田電鉄大井町線の「東洗足駅」と池上電気鉄道の「旗ヶ岡駅」に分かれており、乗換駅ではありませんでした。
「東洗足駅」は現在より170m二子玉川寄り、「旗が丘駅」は210m五反田寄りにありました(下の写真は、旗の台駅前にある地図を筆者が加工したもの)。
その後、この両駅を合併し、現在の「旗の台駅」が作られました。
現在の「旗の台駅」は、このように後で無理して作った駅ですので、今でも大井町線と池上線の乗り換えは駅構内で複雑な動線を辿っていかなければなりません。
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さて、「旗の台駅」ができる前に存在していた「旗が丘駅」と「東洗足駅」の痕跡を今でも見ることができますので、見てみましょう。
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下の写真は、廃駅となった「旗が丘駅」ホームの痕跡ですが、ホームであったことの痕跡がよく残っています。
なお、「旗が丘」という名称は、『「名物ラーメン・かき氷の店」と「源氏ゆかりの地」:ブンブンブラウカフェ ウィズ ビーハイヴ』でも書いたように、「旗ケ丘商店会」という名称に今でも残されています。
また、次回の記事で述べますが、「旗が丘」の名称は、源氏の白旗に由来します。
下の写真は、中原街道近くにある「東洗足駅」(廃駅)のホームの痕跡と思われる場所です。
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(旗が丘子育て地蔵)
「旗が丘駅跡」近くには「旗が丘子育て地蔵」があります。
旧中原街道近くにありましたが、変遷を経て現の地に移されてきたことが書かれています。
あまり知られていないお地蔵様ですが、訪れると案内の旗が立ち並び、また綺麗に清掃されていて、地元住民の方々の崇敬を集め大事にされている事が分かります。
ここにも「旗が丘」の地名が残されていました。
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次回は、荏原町駅周辺を散策しながら「荏原」の地名、「源氏」ゆかりの地名の痕跡を見ていきます。
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