「星薬科大学」と「昭和30年代にタイムスリップ」~武蔵小山(最終回)
- 2020/09/15
- 07:51
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
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武蔵小山に流れていた「品川用水」の痕跡と「帝銀事件」関連の施設を見てきましたが、
今回は「武蔵小山散策」の最終回として、目黒区側界隈まで歩いてみます。
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(星薬科大学を訪問)
前回訪れた「平塚橋交差点」から、「星薬科大学」に行ってみます(品川区荏原2-4-41)。
薬学部のみの単科大学です。
SF小説作家の星新一の父で、「東洋の製薬王」と呼ばれた星一(ほし はじめ)が創設した大学です。
星一がモットーとしたのが「親切第一」で、この「親切第一」を略したのが星新一(本名:親一)の名前になったそうです。
さて、受付で手続きをすれば構内に入ることができます。
構内には、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトを師とするアントニン・レーモンド設計の本館があります。
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本館内の大壁画(飛鳥時代の薬狩を描いた壁画)や
講堂は一見の価値があります。
講堂のステンドグラスは薬草をモチーフにしています。
また、「薬草植物園」、「星薬科大学歴史資料館」も見応えがあります。
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(瓦割り道場)
「星薬科大学」の近くに、屋根のリフォームや瓦の修理を手掛ける屋根専門「石川商店」があるのですが(東京都品川区荏原2-2-3)、
ここでは、瓦割りを試すことができます(要予約)。
運が良ければ瓦割りの実演を見れるかもしれませんし、瓦割りをしたければ予約をして試してもいいかもしれません。
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(昭和30年代にタイムスリップ:平和通り商店街/二葉フードセンター)
ここから、武蔵小山駅に戻って目黒区側を散策してみます。
武蔵小山駅から、大通り(鮫洲大山線)を歩いて10分ほどのところに、
『「木・金・土曜しか開店しない木琴堂」と「昭和30年代にスリップ」:木琴堂/二葉フードセンター』でご紹介した「二葉フードセンター」があります。
「二葉フードセンター」は下の写真のような雰囲気で昭和30年代にタイムスリップしたような感じになります。
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年代物の掛け時計には「新築祝 昭和参拾五年六月吉日」と書かれていますので、昭和35年(1960年)に作られた建物のようです。
この「二葉フードセンター」がある「平和通り商店街」も古い商店街で、近くには鉄道駅がなく、駅に依存していない都内では珍しい商店街となっています。
歩いていると看板建築のお店がありました(※)。
この「平和通り商店街」をさらに歩いていくと、「碑文谷」まで行くことができます(「【碑文谷】伊勢谷友介の自宅マンションを探訪しながら、碑文谷・柿の木坂・野沢を散策(1)」を参照)。
(※)看板建築は本ブログでもたびたび紹介してきた建築様式ですが、この建築様式は大正12年(1923年)に起きた関東大震災後に作られた様式ですので、この商店街は大正時代からあったと思われます。
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(羅漢寺川跡)
さらに、大通りを歩いていくと、右手に、目黒川の支流であった「羅漢寺川跡」があります。
今では暗渠化されて水の流れはありません。
この羅漢寺川跡を辿っていくと、下目黒に行くのですが、下目黒散策については別記事(【下目黒】「ヒロミ・松本伊代夫妻の自宅」と「湧水」を探訪しながら目黒不動尊界隈散策(1))で書く予定です。
(三宝カメラ)
さらに歩いていくと、クラシックカメラから最新のカメラまで揃える「三宝カメラ」があります。
カメラマニアの間では有名な「三宝カメラ」で、
この先は、目黒通りに行き着きます。
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目黒通りに着いたところで、「アーケードの長さが東京で最も長い商店街~武蔵小山(1)」から4回にわたって連載した「武蔵小山散策」シリーズを終了します。
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