東京周辺には「ムサコ」が3つある~武蔵小山散策(2):朝日地蔵尊/京極稲荷神社
- 2020/07/30
- 07:27
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、原則として今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します(その後撮影した写真も一部含む)。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
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「武蔵小山商店街パルム」を歩き、かつてこの地で盛んだった「タケノコ栽培」の遺構を見てきました。
今回は、武蔵小山周辺の地元に密着した史跡を見ていきます。
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(東京周辺にはムサコが3つある)
東京周辺には「ムサコ」と呼ばれる街が3つあります。
①今回のシリーズでご紹介している「武蔵小山」(品川区)と、
②「武蔵小金井」(小金井市)、
③「武蔵小杉」(川崎市)の3つです。
最近のメディアの露出度では、川崎市の「武蔵小杉」が「ムサコ」として広く知られるようになりましたが、
「武蔵小杉」が広く知られるようになったのは、川崎市による再開発で「武蔵小杉」にタワーマンションが立ち並ぶようになってからなので、さほど歴史は古くありません。
おそらく、「武蔵小山」か「武蔵小金井」のほうが「ムサコ」の元祖と呼べるのではないでしょうか。
下の写真は武蔵小山駅前にある「ヒルズ ムサコビル」で「ムサコ」を使っています。
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(武蔵小山の地名の由来)
それでは、武蔵小山の地名の由来はどうでしょうか。
この界隈には、古墳跡と言われる小高い丘に「小山八幡神社」があり(下の写真)、この神社の名称がこの界隈の「小山」の地名になっています。
この「小山」に「武蔵」がついた「武蔵小山」の地名は大正時代に誕生しました。
「小山駅」が栃木県の同名駅と間違えやすいため、大正13年(1924年)に「武蔵小山駅」と改称され、地名が「武蔵小山」となったという説などがありますが、はっきりしたことは分からないようです。
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(古道の交差点と朝日地蔵尊)
さて、前回散策した「孟宗筍栽培記念碑」に戻り、この辺りを散策してみます。
「はいむる珈琲」の近くには、下の写真のような変形の交差点(四つ辻)があります。
この交差点(四つ辻)は「地蔵の辻」と呼ばれた古道の交差点で、目黒道と碑文谷道が交差する場所でした。
スーパマーケット「ライフ」の横に、「地蔵の辻」の由来となった「朝日地蔵尊」があり、地元の人達がよくお参りしています。
また、「朝日地蔵」に隣接して「ハイム ジゾー」という名のマンションがありますが、このことからも「朝日地蔵」が地元住民から愛されていることが分かります。
そして、この「朝日地蔵」の脇には、交差点(四つ辻)に建てられた道標と説明板があります。
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(香川県との意外なつながりが~~あさひ公園)
さらに、この近くの「あさひ公園」には下の写真のような説明板があり、次のように書かれています。
「このあたりから東へと広がる三角形の一帯は。讃岐国(現・香川県)丸亀藩の「戸越屋敷」と呼ばれた抱屋敷跡で、(略)地元農民と京極家は結びつきが強かったと伝えられ。明治初年にこの地が京極家の手を離れた後も、屋敷内にあった京極稲荷神社は地元有志によって祀られている」
丸亀藩京極家の屋敷内にあった京極稲荷神社は、この「あさひ公園」から少し離れたところに祀られています(下の写真)。
綺麗に清掃されていて、地元の方に今でも崇敬されていることがよく分かります。
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なお、戸越銀座近くにも熊本藩細川家の下屋敷があったことは、『「戸越銀座でパンケーキ」と「プチ戸越銀座散策」』で書いたことがあります。
また、この「あさひ公園」には大きな水車のモニュメントが置かれています。
「あさひ公園」前の道にかつて品川用水が流れていたことを示すモニュメントですが、品川用水については次回の記事で詳しくご説明します。
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次回は、この地を流れていた品川用水跡や帝国事件関連の場所などを散策してみます。
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