高橋英樹、長嶋一茂の自宅を探訪しながら五反田駅界隈散策(2)
- 2020/07/23
- 07:51
江戸時代からの由緒ある土地・池田山を散策して、有田哲平、貴乃花の自宅まで散策しました。
今回は、引き続き池田山を散策した後に、高橋英樹、長嶋一茂の自宅のある島津山を散策します。
(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連」のカテゴリがありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(ねむの木の庭)
前回の「貴乃花、有田哲平の自宅を探訪しながら五反田駅界隈散策(1)」で書いたように、池田山には上皇后美智子様の実家がかつてあり、
その跡地が「ねむの木の庭」として品川区が管理し、公開されています(品川区東五反田5丁目19-5)。
また、ご成婚当時の門が再現されています。
(池田山公園)
「ねむの木の庭」から少し歩くと、池を中心にした園路を廻遊して鑑賞する回遊式庭園「池田山公園」があります(品川区東五反田5-4)。
この「池田山公園」から、窪地を挟んで向こう側には、「失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡(1)」で書いた三田用水が流れていました。
地図で見ると下の写真のようになりますが(池田山公園脇にある地図を筆者が加工したもの)、
窪地を避けて用水を流すために、江戸時代の土木技術者達が苦労して三田用水を作ったことが視覚的によく分かる場所です。
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(草茫々の階段)
ここから、桜田通りに向かいますが、前回の記事で書いたように回り道をしなければなりません。
回り道をしながら、ブラブラとこの界隈を歩いていると、下の写真のような草茫々の階段がありました。
とても都心の一等地にあるような階段ではありませんが、東京を散策しているとこのような面白い光景にときどき遭遇します(^^
(雉子神社)
これから「雉子神社」(きじじんじゃ)に行きますが、前回の地図を再掲します。「池田山地区」と書かれた文字のすぐ下に「雉子神社」があります(小さな文字で「⛩雉子神社」と書かれています)。
桜田通りに面した場所にある「雉子神社」(きじじんじゃ)に着きました(品川区東五反田1-2-33)。
創建は文明年間(1469-1487年)といわれ、
江戸時代、三代将軍・徳川家光が鷹狩に来たときに、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀なめでたいしるしとして、家光から「以後雉子宮と称すべし」との言葉があり、「雉子ノ宮」としたそうです。
階段を登っていくと、屋根の下に社殿がある珍しい構造になっている神社がありました。
この「雉子神社」の裏手に「島津山」があります。
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(五反田駅周辺)
「雉子神社」を下って、「島津山」に向かいますが、
途中には、下の写真のようなレトロ感が漂うレストランがある地区や
「ゆうらく通り」のような風俗街を通ります。
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(高橋英樹の自宅)
島津山地区の坂道を登っていくと、左側に「清泉女子大学」があります。
清泉女子大学の本館は、イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルが設計した旧島津公爵邸で、国の重要文化財に指定されていますが、詳しくは「旧島津公爵邸(清泉女子大学本館):高橋英樹の自宅/城南五山に残された邸宅」をご覧ください。
旧島津公爵邸を地名の由来とする、この「島津山」地区に、「高橋英樹の自宅」があります(下の写真)。
「高橋」と書いた大きな木の表札がありました。
前回来た時にはなかった「杉浦」という表札が新たに掲げられていましたが、娘の高橋真麻のご主人の姓だろうと思われます。
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(長嶋一茂の自宅)
また、長嶋一茂と高橋真麻がテレビでの対談で、「高橋家と長嶋家は近所に住んでいる」と話していました。
「高橋英樹の自宅」近辺を歩いていると、たしかに、「落書き事件」で報道されていた写真と同一の「長嶋一茂の自宅」がありました。
「落書き事件」は、長嶋一茂の自宅の塀や壁部分に「バカ」「バカ息子」と大きく落書きをされた事件で、器物損害事件として警察沙汰になり、江角マキコが芸能界を引退するきっかけとなった事件でした。
著作権の関係でその落書きされた現場写真を本記事に掲載することはできませんが、インターネットで検索すると、事件の詳細や当時の落書きされた自宅の写真を見ることができます。
ガレージにある車はイタリアの高級車・マセラティでしょうか。
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次回は、最終回として五反田駅周辺を散策してみます。
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