【日本橋】「花街・元吉原の名残」と「人形町の老舗店」~日本橋人形町・富沢町散策(最終回):大門通り
- 2020/07/16
- 08:01
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、原則として今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します(その後撮影した写真も一部含む)。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
☆☆☆
元吉原の氏神である「末廣神社」を訪れ、「吉原」の由来を調べました。
今回は、「日本橋人形町・富沢町散策シリーズ」の最終回として、元吉原の痕跡を探る散策をするとともに、人形町の老舗店を訪れてみます。
★★★
★★★
まず、前回の記事で示した元吉原の範囲を再掲します(形町駅前の地図に筆者が加工したもの)。
(上の地図は下が「北」)
(元吉原の名残①:大門通り)
元吉原の痕跡として、「大門通り」(おおもんとおり)があります(下の写真)。
浅草などの遊郭のあった場所には「大門通り」という通りがありますが、ここの「元吉原」のあった人形町界隈にも「大門通り」が残されています。
★★★
★★★
(元吉原の名残②:堀跡)
また、遊郭は周囲を堀で囲まれ、限られた関門でしか出入りできませんでしたが、この堀跡が残されています(下の写真)。
場所としては、上で示した地図の水色の部分に当たる場所です。
当時の堀はもっと大きく、古地図を参照すると、おそらく右隣の看板建築の建物ぐらいの幅があったと考えられます。
この堀跡は浜町川跡に続いていますが、そこには『【人形町】「人形町の私の好きな老舗和菓子店」と「徹底的に素材にこだわったラーメン」:つくし/やまらぁ』で紹介したラーメン店「やまらぁ」があります。
(元吉原の名残③:葭町)
末廣神社の玉垣に「葭町芸妓芸妓屋組合」の文字があることを前回の「【日本橋】花街・元吉原の名残(2)~日本橋人形町・富沢町散策」で書きましたが、
この「葭町」が葭(よし)が茂るこの辺り一帯の低湿地帯を埋め立てて造成したことを示すものです。
★★★
★★★
(甘酒横丁の老舗店)
人形町2丁目には観光客がよく訪れる「甘酒横丁」があり、通り沿いには多くの老舗店があります。
「甘酒横」の由来」の説明版によれば、かつてこの場所に「尾張屋」という甘酒屋があったことから「甘酒横丁」と呼ばれるようになったことなどが書かれています。
甘酒横丁にある老舗店については、別サイトに投稿した「粋な東京の下町・人形町の甘酒横丁でお土産と食べ歩きを楽しもう!美味しい老舗名店10選を紹介!」で詳しく書きましたので、こちらをご覧ください。
なお、上の記事では紹介していない老舗店として「草加屋」があります(下の写真)。手焼き煎餅の美味しいお店です(中央区日本橋人形町2-20-5)。
★★★
★★★
(その他の老舗店)
甘酒横丁以外にある、私が個人的に好きなお店をご紹介します。
「人形町今半」
すき焼き・しゃぶしゃぶの「人形町今半」ですが(中央区日本橋人形町2-9-12)、
人形町界隈には、精肉店、総菜店もあります。
なお、今半の由来については『関根勤の自宅を探訪しながら、失われゆく三田用水遺構を歩く~「今半」の店名の由来は?~港区白金台・三田用水跡(2)』を参照してください。
「壽堂」(ことぶきどう)
和菓子の老舗店「壽堂」(ことぶきどう)です(中央区日本橋人形町2-1-4)。
「黄金芋」がここの名物です。
★★★
★★★
「つくし」
江戸菓子の「つくし」です(中央区日本橋人形町2-1-12)。
狭い店内なので、外でお客が待っています。
私は、ここの赤飯、プリン(ここでは「風鈴(ぷりん)」と書かれています)が好みですが、プリンは人気商品らしく、「完売」のときもよくあります。
「ハマヤ」
「ハマヤの冨貴豆」で熱烈なファンが多い「ハマヤ」です(中央区日本橋人形町2-15-13)。
★★★
★★★
「重盛永信堂総本店」
人形焼の「重盛」です(日本橋人形町2丁目1−1)。
重盛は暖簾分けが多く、都内でもあちこちにありますが、人形町のこの店が人形焼の発祥地の本店です。
「三原堂 人形町本店」
明治10年(1877年)創業の「三原堂 人形町本店」です(中央区日本橋人形町1丁目14−10)。和菓子の他に洋菓子も販売しています。
(※)私が旅行会社のサイトに投稿した「甘酒横丁」の老舗店を網羅的に紹介した記事です。詳しくはこちらを御覧ください。
☆☆☆
これで、「日本橋人形町・富沢町散策シリーズ」を終了します。次回は、日本橋蛎殻町を散策してみます。
★★★
★★★
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙

