「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」と「目黒のさんまの地」を探索~中目黒→恵比寿散策(2):茶屋坂隧道跡/爺々が茶屋/陸軍境界石
- 2020/06/09
- 07:45
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、原則として今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します(その後撮影した写真も一部含む)。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
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(唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅:お知らせ)
本題に入る前にお知らせです。
「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅を確認した際には追記する」と書きましたが、この自宅を確認しました。
このため、前回の記事に「唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅」を他の散策ポイントとともに追記したので、ご関心のある方は前回の記事を御覧ください。
下の写真は唐沢寿明・山口智子夫妻の自宅と「唐沢」の名が書かれた表札。
(※)他の芸能人関係の記事については、「芸能人・著名人関連」のカテゴリがありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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さて、今回は「目黒のさんま」の地などを散策してみます。
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(三田用水と茶屋坂隧道跡)
前回訪れた「めぐろ歴史資料館」から山手通りを渡って、「新茶屋坂」を進みます(下の写真)。
左手は防衛省関連の施設が延々と続いています。
しばらく歩くと、右手に「茶屋坂隧道の碑」があります。
「茶屋坂隧道」は三田用水を流すために、昭和5年(1930年)新茶屋坂に作られたコンクリート造りのトンネルでしたが(下の写真)、
平成15年(2003年)に、道路拡張に伴い、残念ながら撤去されました。
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この三田用水は左手の旧海軍敷地(現在は防衛省敷地)から「茶屋坂隧道」を通って流れていて、
戦艦大和などの艦艇の実験用水槽などに使われていました(海軍の前は、火薬製造所における薬調合用の水車などとして使用)。
恵比寿ガーデンプレイスの展望場所からこの巨大実験用水槽のある細長い建屋を現在でも見ることができます(下の写真)。
なお、三田用水については、『失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡(1)』で詳しく書きましたので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
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(茶屋坂と爺々が茶屋)
この「新茶屋坂」の裏手のアルジェリア大使館(下の写真)の近くに
「旧茶屋坂」があります。
「江戸時代、将軍が鷹狩の際に立ち寄った、「爺々(じじ)が茶屋」と呼ばれる意見茶屋がこの近くにあったのが由来とされる」と書かれています。
「さんまは目黒に限る」という落語の「目黒のさんま」を食した地は諸説ありますが、
この「旧茶屋坂」もその一つとされています。そのことを記した目黒区教育委員会の説明板がこの坂の途中に置かれています。
なお、アルジェリア大使館は世田谷区岡本にありましたが(下の写真)、
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(陸軍境界石)
上述した「茶屋坂隧道跡」をさらに進んでいくと、「茶屋坂児童遊園」がありますが、
その脇の道を下っていくと、左手に「陸軍境界石」が残されています。
大部分は埋まってしまっていますが、「陸軍」の文字を見ることができます。
戦前は、この地域も軍事施設だったことが分かる貴重な痕跡です。
東京散策をしているとこのような「陸軍境界石」を発見して驚くことがあります。
下の写真は、渋谷の繁華街(マークシティー裏)にある「陸軍境界石」です。
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六本木に米軍施設があるという、六本木の隠れた側面を見たことがありますが、
戦前は東京には多くの軍用敷地・施設があり、東京は「強大な軍都」だったことが、これらの遺構から感じ取れます。
「陸軍境界石」のような遺構は文化財に指定されているような重要な文化財ではないため、知らないうちに取り壊されてしまうものですが、
過去を身近に実感できる貴重な遺構ですので、できる限り保存していきたいものです。
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次回は、戦艦大和の実験・研究が行われた施設などを見ながら恵比寿まで散策します。
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