【日本橋】三田友梨佳の実家~花街・元吉原の名残~日本橋人形町2丁目・富沢町散策(1):うぶけや/三光稲荷神社/濱田屋
- 2020/06/03
- 08:05
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、原則として今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します(その後撮影した写真も一部含む)。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
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今回は、「日本橋堀留町・小舟町界隈散策シリーズ」に続き、日本橋人形町2丁目・富沢町界隈を散策します(他の町の一部を含む)。
散策しながら、本ブログで今までご紹介したレストラン・カフェも見ていきます。
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(日本橋人形町2丁目・富沢町界隈の位置)
日本橋人形町2丁目・富沢町は地下鉄人形町駅の東側に当たるエリアで、甘酒横丁があるなど人形町駅周辺の界隈では最もにぎやかなエリアです。今回はこの地域を散策します(緑色で囲ったエリア)。
(出典:日本橋都市観光マップNo54を筆者が加工したもの)
(玄冶店跡)
人形町駅を出ると人形町交差点ですが、
そこに、「玄冶店跡」の碑と説明板があります。
「玄冶店」(げんやだな)とは、歌謡曲「お富さん」の歌詞の中に出てくる「玄冶店」のことですが、
徳川家の御典医であった岡本玄冶(おかもと げんや)の拝領屋敷跡一帯のこの辺りは「玄冶店」と呼ばれていました。
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(うぶけや)
この「玄冶店」の碑と説明板から少し歩くと、天明8年(1783年)創業の刃物老舗店の「うぶけや」があります(中央区日本橋人形町3丁目9-2)。
大阪で店を出し、明治維新頃にこの人形町に店を開いて今日に及ぶ刃物店です。
また、「うぶけや」の隣には「読売IS」のビルがありますが、
ここはかつて存在した寄席の名門「人形町末廣亭」の跡地で、
「人形町末廣亭」の碑が置かれています。
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(三光稲荷神社)
さらに北方向に歩いていくと、「三光稲荷神社」の参道があり、
参道の奥に「三光稲荷神社」が鎮座しています。
「【日本橋】堀留の由来は?~日本橋堀留町・小舟町界隈散策(1)」で、この付近には江戸時代に賑やかな芝居街があったことを書きましたが、
この「三光稲荷神社」も芝居町に関係した神社です。
一般に流布している話は、
中村座に出演していた関三十郎という役者が演技中に場内で霊光のような閃きがあり、一躍名声を博したことから、自分の「三」と光を合わせて「三光稲荷」としたと言われています。
なお、三光稲荷神社参道の近くには、
「人形町で蟹ラーメンとパンケーキ:crab台風/ なごみナチュルア(nagomi-NATULURE)」でご紹介したハーブティとパンケーキが美味しい「なごみナチュルア」があります(下の写真は「なごみナチュルア」のパンケーキ)。
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(花街の名残を探索)(玄冶店 濱田屋:三田友梨佳の実家)
人形町駅に戻り、裏道に入ると、ミシュランにも顕彰された老舗料亭「玄冶店 濱田屋」(げんやだな はまだや)があります(中央区日本橋人形町3丁目13-5)。
この「玄冶店 濱田屋」は、江戸以来の古い花柳界である東京六花街(柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草)の一つである芳町最後に残された唯一の料亭です。
(参考記事1)新橋花柳界については、「銀座の高級クラブ界隈を歩く~銀座散策~神社・裏路地巡り~(9):CLUB Nanae/鹿鳴館/出世街道」を参照。
(参考記事2)柳橋花柳界については、「蔵前→浅草橋散策(最終回):花街の面影/石塚稲荷神社/柳橋/亀清楼/浅草見附跡」を参照。
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この「玄冶店 濱田屋」の女将は、雑誌などでよく紹介される三田啓子ですが、その娘(次女)はフジテレビのアナウンサー、ミタパンこと三田友梨佳です。
また、「玄冶店 濱田屋」の二代目・三田政吉は明治座の復興に関わり明治座の代表取締役でもありました。
(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。
【追記(令和3年(2021年)2月23日】
令和3年(2021年)2月に、国会で問題となった菅総理長男らによる総務省幹部接待問題のうち、「女子アナ実家の高級料亭」とは、この「玄冶店 濱田屋」のことです。詳しくは下記参考記事をご覧ください。
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次回は人形町界隈で元吉原の痕跡を探索していきます。
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