新宿伊勢丹の出生を探る~新宿駅東口を散策(最終回):花園神社/芸能浅間神社
- 2020/04/14
- 09:56
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します。
なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。
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歌舞伎町から新宿ゴールデン街を経て花園神社まで歩きました。
今回は「新宿駅東口散策シリーズ」の最終回として、花園神社から伊勢丹まで歩いてみます。
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(花園神社①:時代を感じさせる飛行機の絵馬)
新宿総鎮守の「花園神社」です。
ここの宝物殿にはプロペラ飛行機を描いた興味深い絵馬があります。
絵馬には「同栄信用金庫飛行機貯金旅行会献木記念」と書かれており、
飛行機の横に「東京=大阪=福岡」の地名が書かれています。
飛行機に乗ることが非常に珍しかった頃、貯金をして旅行した時に安全を祈願して神社に奉納した絵馬か、
あるいは、無事に旅行できたことの謝礼として奉納した絵馬だろうと思われます。
時代を感じさせる大変興味深い絵馬です。
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(花園神社②:芸能浅間神社)
花園神社には「芸能浅間神社」も鎮座しています。
芸能に関わりのある珍しい神社で、敷地内には、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑があり、
玉垣には奉納した芸能人の名前が並んでいます。
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(追分)
この花園神社から新宿三丁目の交差点に向かいます。
この新宿三丁目交差点の伊勢丹新宿店の向かい側の歩道に、「新宿元標ここが追分」の碑が埋め込まれています。
街道の分岐点を「追分」と呼び、新宿三丁目の交差点は、かつて甲州街道と青梅街道との「追分」でした(下の写真は新宿歴史博物館展示の「追分」の解説板)。
(許可された場所から撮影しています)
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この付近には、「追分」を今でも使用しているものが多くあります。
「追分交番」、
「追分団子」、
「新宿追分」のバス停など
過去の歴史的な史跡が少ない新宿の中心地ですが、よく探すと意外なところで歴史は残っています。
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(伊勢丹:百貨店の栄枯盛衰)
「追分」のある新宿三丁目交差点には「伊勢丹」があります。
平成23年(2011年)に三越に吸収合併され、「株式会社三越伊勢丹」となったため、伊勢丹は解散しましたが、今でも「ISETAN」の屋号を使っています。
実はこの新宿三丁目交差点には「ほてい屋」という老舗百貨店がありました。
遅れて新宿に進出してきた伊勢丹が、この「ほてい屋」を取り囲むようにビルを建て、
最終的に、昭和10年(1935年)に「ほてい屋」を買収し、一体化した建築物となりました。
時を経て、「ほてい屋」を買収した伊勢丹は、平成23年(2011年)に三越に吸収合併されました。
百貨店の栄枯盛衰を思わせます。
さて、今でもこの「ほてい屋」の名残があるので見ていきましょう。
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(「ほてい屋」の名残を探索)
下の写真で「ISETAN」の看板のある部分が出っ張っていますが、この部分が「ほてい屋」と伊勢丹のつなぎ目となります。
また、地下の階段で不自然な踊り場がありますが、これは「ほてい屋」と伊勢丹の天井高が異なっていたため、それを補修した痕跡となっています。
明治通りに面した階段にある、美しいステンドグラスなどのレトロな装飾は「ほてい屋」時代のものと思われます。
今でも、伊勢丹はこの「ほてい屋」部分が一番美しく感じられます。
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これで、「小銭を入れると吠えるライオンがいる広場~新宿駅東口を散策(1)」から、4回に渡って掲載した「新宿駅東口散策シリーズ」を終了します。
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次回は新宿駅南口を散策してみます。
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