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【日本橋】堀留の由来は?~日本橋堀留町・小舟町界隈散策(1)

※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します。

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今回は、今まで書こうと思いながら、なかなか書けなかった日本橋地区を取り上げます。

まずは日本橋堀留町・小舟町界隈を取り上げますが(他の町の一部を含む)、この地区は以下のようなエリア(緑色で囲まれたエリア)になります。
堀留町・小舟町のエリア 堀留町・小舟町散策1
(出典:フリーペーパー「日本橋ごよみ」に掲載された地図を筆者が加工したもの)



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(日本橋のブログ記事を書くのが難しい理由)


日本橋地区は私の好きなエリアで、いつかブログ記事を書きたいと思っていました。

「銀座散策シリーズ」を書いたときは「神社・路地裏」というテーマを軸にブログ記事を書いたのですが、

日本橋について、いざ書こうとすると、あまりにもテーマがあり過ぎ、とりとめのないものいなってしまうため今まで書くことができないでいました。

このため、日本橋地区を小さなエリアごとに区切りながら書こうと思います。



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(個性豊かな日本橋の町)


中央区日本橋には22の「町」がありますが、「日本橋」のついていない町名は「八重洲」しかありません(「八重洲」は1丁目が旧日本橋区、2丁目が旧京橋区で、正確には1丁目のみが「日本橋」に属します)。

日本橋にある人形町、兜町、馬喰町などの正式な町名は「日本橋人形町」、「日本橋兜町」、「日本橋馬喰町」となります。

これは日本橋地区に住む人達の「日本橋」に対する誇りと愛着を示すものです。

また、「日本橋室町」は三越やコレド室町がある高級な商業地区、「日本橋人形町」は甘酒横丁がある粋な下町地区、「日本橋横山町」は繊維問屋街など、それぞれの街が強い個性を持っていて、

このことが、日本橋を一つのテーマで書くことの難しさになっています。

なお、神田地区の町も、「日本橋」と同じくほとんどの町名に「神田」がついており、神田に住む人達の「神田」に対する誇りと愛着を示しています。



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(日本橋堀留町・小舟町界隈散策)


前置きが長くなりましたが、冒頭書いたように、今回は、人形町駅の北西部分に当たる、日本橋堀留町・小舟町界隈散策を散策したいと思います。

地下鉄・人形町駅を出て人形町通りを北に向かうと「堺町・葦屋町芝居町跡」の案内板があります。
芝居小屋跡の案内板 堀留町・小舟町散策1


そこには、「この辺りには芝居小屋やそれを取り巻く茶屋が集まって大変賑わっていた」ことが書かれています。

この界隈では人形浄瑠璃の興行も行われ、それが「人形町」の由来にもなりました。

その様子を描いた初代広重の絵がこの案内板にありますが、それを拡大したのが下の写真です。
初代広重 芝居繁栄之図 堀留町・小舟町散策1

この絵には多くの人たちが歩いている様子が描かれており、今で言えば、原宿や渋谷の賑わいのような感じだったことが想像できます。

この芝居小屋や茶屋があった通りは、この案内板のある少し先の通りになりますが(下の写真)、現在は人通りの少ないなんの変哲もない通りとなっています。
芝居小屋のあった現在の通り 堀留町・小舟町散策1



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(堀留町の由来:掘割の跡)


このなんの変哲もない通り(かつて芝居小屋で賑わった通り)を歩いていくと、右手に「堀留児童公園」があります。
堀留児童公園 堀留町・小舟町散策1


江戸時代、この界隈には2つの堀があり(下の写真)、「堀留児童公園」はその掘割(右側の東堀留川)の跡に作られた公園です。
古地図 2つの掘割 堀留町・小舟町散策1
(出典:「東京時代MAP(大江戸編)光村推古書院 30ページ)

下の写真は「堀留児童公園」から南側を撮った写真ですが、瓦礫処理のために昭和24年(1949年)に埋め立てられた「東堀留川」跡に建てられた2つのビルがあります(中央に道が作られた)。
掘割の幅 堀留町・小舟町散策1


【追記】堀割の両側には「河岸地」があったので、実際の掘割の幅はこれよりやや狭かったと考えられます)

上の江戸時代の地図にあるように。この「東堀留川」は上の方で行き止まりになっていることが「堀留町」の名前の由来になりました。

この行き止まりの場所ですが、

「堀留児童公園」の少し北側にある「日本橋消防署堀留出張所」の建っている場所が「東堀留川」の行き止まり部分になります。
日本橋消防署堀留出張所 堀留町・小舟町散策1


先ほどの古地図で示すと下の写真の場所になります。
古地図上の日本橋消防署堀留出張所 堀留町・小舟町散策1
(出典:「東京時代MAP(大江戸編)光村推古書院 30ページを筆者が加工したもの)

埋め立てられる前の「東堀留川」(昭和23年当時)行き止まり部分の写真です。
昭和23年の写真 日本橋堀留町・小舟町散策1
(出典:「川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩」PHP新書 岡本哲志著 147ページ)

なお、「川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩」では、この行き止まり部分を「現・日本橋堀留町一丁目1あたり」と書いていますが、古地図などで照合すると「現・日本橋堀留町一丁目2あたり」と私は考えます。



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ちなみに、この「日本橋消防署堀留出張所」の隣が、『【人形町】「長い行列ができる1000円ピッツァリア・ランチ」と「甘酒横丁のソフトクリーム2選」』でご紹介したピザの美味しいレストラン「イル・タンブレッロ」になります(下の写真)。
イル・タンブレッロ 堀留町・小舟町散策1


実は、この「イル・タンブレッロ」に食事に行ったときは、この場所が「東堀留川」の行き止まり部分であったことを知らずに行ったのですが、後でこのことを知って驚いた次第です。

ついでに、この界隈のレストラン・カフェについて申し上げると、人形町駅のそばにコーヒーの美味しい「かふぇ あっぷる」(下の写真)がありますが、これについては別記事で書く予定です(『【人形町】「雰囲気と珈琲と器を楽しむ喫茶店」と「すぐに完売になってしまう人気のシュークリーム店」』)。
かふぇあっぷる 堀留町・小舟町散策1

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次回は、浅草寺の大提灯になぜ「小舟町」の名前が書かれているのかその由来を探ります。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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