シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)の具体例(2):ユング/河合隼雄
- 2020/03/05
- 06:26
シンクロニシティについては、
「シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)の具体例(1):ユング/河合隼雄」で具体例をご紹介しましたが、
今回は、その具体例の続きになります。
今までしつこい程書いてきましたが、シンクロニシティを論ずるにあたっては、オカルト的な「アブナイ」発想に結びつかないような理性的・批判的な思考が必要です。
特に、今回の事例は、「アブナイ」発想と紙一重的なところがありますので、このような注意は重要です。
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(河合隼雄の事例④:天候まで考慮する)
前回の最後で書いた「全体としてのアレンジメント」に関し、治療者としての河合隼雄は、クライエント(患者)の治療に当たって「天候まで」考慮することを述べています。
「天候まで考慮する」ことは、「トンデモ」的な考えと紙一重なので、河合隼雄は(私の知る限り)キチンとした著作の中では書いていませんが、
「対談」と「専門家対象の研究会」で述べている部分があります。
おそらく、対談、口頭でのコメントというシチュエーションの中で、日頃考えている本音が発言として出たのだと思います。
まず、村上春樹との対談の中で述べている部分です。
以下の文章は、村上春樹がノモンハン事件のあったノモンハンで超常現象的な経験をしたことを述べたことに対し、村上春樹に答えた部分です(「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」岩波書店 河合隼雄・村上春樹 158ページ)
「極端に言うと、治療者として人に会うときは、その人に会うときに雨が降っているか? 偶然、風が吹いたか? というようなことも考慮に入れます」
「要するに、普通の常識だけで考えて治る人はぼくのところへ来られないのですよ。だから、こちらもそういうすべてのことに心をひらいていないとだめで、(略)」
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次に、専門家対象の事例研究会の中での発言です。
精神分析の専門家が長期に渡る治療をクライエントにしていたところ、大雨で来訪のキャンセルがあったことに対しコメントした部分です(「臨床家 河合隼雄」岩波書店 谷川俊太郎・鷲田清一・河合俊雄編 40ページ)。
「また非常におもしろいのは、大雨になって、次回がキャンセルになったところである。これは、水(無意識的なもの)があまりかかり過ぎたら困るから休みになったという意味もあったと思う」
上述したように、「天候まで考慮する」ことは、「トンデモ」的な考えと紙一重ですので、十分な注意が必要ですが、
内界と外界が連動しているというシンクロニシティの考えからは、「天候まで考慮する」こともありえると思いますし、「心の現象」を更に深く解釈できるとも考えられます。
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(河合隼雄の事例⑤:鯛の骨が母の喉に刺さった)
次の事例も、安易に捉えると「トンデモ」的な考えになってしまいますので注意が必要ですが、興味深い事例ですので掲載します。
この事例は、河合隼雄がスイスから帰国し、不登校の治療をするうちに、クライエント(患者)の児童が、日本全体を覆っている「太母の否定的な力」の脅威にさらされていると考え始めた頃の事例です(「ユング心理学と仏教」岩波書店 河合隼雄著 46ページ)。
「私たち家族が帰国した時、私の両親をはじめ親類縁者が集まって、早速に祝賀パーティーをしてくれました。(略)立派な鯛が食卓に飾られました。ところが、私の母が鯛を食べるとき、鯛の骨が刺さって苦しみました。それはひどくて、医者に何度も通ったりしなくてはならなかったほどです」
「母がその後、自分の家に帰るのを見送ろうとして、私はタクシーの扉で危うく母の腕をはさみ傷を負わせそうになりました」
「この二つのことは私の心に残り、(略)いぶかしく思っていました」
「否定的な太母のコンステレーション(布置)が、(略)日本の全土にわたってできていると直感したのです」
このような考えは、あまりにも強引な考えではないかと思われるかもしれませんが、
フロイトやユングの深層心理学は、
現象と観察者を分離して普遍性を求める「近代の自然科学」とは異なり、現象に観察者が深く関わるという学問ですので、
観察者が現象に強い関係性を感じ、そこから普遍性を導き出すこともあり得ると思われます。
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(シンクロニシティの捉え方)
「シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)の具体例(1):ユング/河合隼雄」から3回に渡りシンクロニシティについて書いてきました。
「偶然は偶然であって、それ以上のものではない」という「合理的」精神に基づく考えも当然あると思いますが、
私としては、「安易に何でもシンクロニシティと考えない」という注意深さを持ちつつも、
「意味のある偶然の一致は存在する」と考えたほうが、楽しく豊かな人生を送れると考えています。
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(「大いなる存在」を感じて生きる)
ユングは、「あなたは神を信じますか?」と聞かれたときに、「私は神を知っている」と答えたそうです(「対話する生と死」大和書房 河合隼雄著 247ページ)。
このことについて、河合隼雄は次のように書いています。
「神を知っているなんて、あんな傲慢なやつはいないと物議をかもし、大きな問題になったのです」
「しかしそのときユングが言いたかったことは、(略)いわば神そのものを知っているわけじゃないが神のはたらきというものを、毎日知らされているのだということです」
つまり、「内界と外界がつながっている」、「誰かのアレンジで生かされている」ことをユングは日常的に経験していたのではないでしょうか。
ユング(スイス人)はキリスト教圏の学者ですので、ユングにとっての「神」は一神教の「神」でしょうが、
私たちの住む日本は、古来より多神教の文化ですので、「多神教と一神教:日本人は宗教に無節操なのか?/異なる「神」の概念/針供養とアイボ」で書いたように、
もっと曖昧な「大いなるもの(something great)」と捉え、
「内界と外界がつながっている」、「誰かのアレンジで生かされている」ことを意識しながら、
「大いなるもの(something great)」への畏敬を持って生きることが、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)を捉えやすくすると考えています。
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これで、3回にわたって書いてきたシンクロニシティに関する記事を終了します。機会があれば、次回はユング心理学から影響を受けた学者や文学者のことを書いてみたいと考えています。
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