失われゆく三田用水遺構を歩く~港区白金台・三田用水跡(1)
- 2020/02/25
- 07:52
今回は、開発により数年後には喪失してしまう恐れのある、港区白金台の三田用水跡を散策してみます。
なお、東京都内の流路を辿った記事としては、「洗足池の源流を探る(暗渠散歩):清水窪湧水/清水窪流れ」がありますので、ご関心のある方はこちらもお読みください。
参考記事:三田用水を上流から散策した記事は「三田用水を上流から散策するシリーズ」をご覧ください。
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(歴史の痕跡が失われてきている)
「鎌倉・妙本寺で比企一族の悲話を思う(散策):日蓮上人辻説法跡/琴弾橋」などで書きましたが、
歴史のほうから押し寄せてくるような京都散策や鎌倉散策と異なり、東京散策は隠れている歴史(歴史の痕跡)を探し出す面白みがあるのですが、
その数少ない歴史の痕跡が開発の波の中で知らないうちになくなってきています。
例えば、
「港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)」でご紹介した、プラチナ通りの裏手にあった戦前からの洋館ですが(下の写真)、
先日歩いていると既に取り壊されていました(下の写真)。
この記事で書いたように、米軍が占領後の将校宿舎を確保するために、この付近の爆撃を避けていたのですが、
その遺構が一つなくなりました。
さらに、もう一つ例を挙げると、1980年代の横浜再開発時に歩道に設置された絵タイルです。
石川町・関内・桜木町周辺の歩道にある絵タイルを見ながら歩くのが楽しいのですが、つい最近、下の写真のような素晴らしい絵タイルが取り壊されていました。
(出典:横浜市シティーガイドクラブHP)
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本ブログの「東京散歩」でご紹介するような「歴史の痕跡」は、文化財に指定されるような重要な遺構ではないため、開発の中で簡単になくなってしまうものが多いのです。
このような中、港区白金銀台にある三田用水跡が、環状4号線の建設により、今後数年のうちになくなる可能性がでてきました(下の写真)。
(出典:東京都第一建設事務所工事課)
このため、せめて写真に撮って、本ブログに記録として残すために現地に行ってきました。
(三田用水とは?:自然の川と人工の川)
川には大きく分けて2つの種類があります。
①一つは、自然にできた川で、これは谷筋を流れます。
②もう一つは、人工的に作られた川で、尾根筋を流れます。
「三田用水」は②の人工的に作られた川で、窪地を避けながら、渋谷区笹塚から東大駒場の脇を通り港区高輪台まで、高台の尾根筋を縫うように流れていました(下の写真)。
(出典:東京「暗渠」散歩(215ページ)。洋泉社、本田創編著。筆者が加工)
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「玉川上水」も人工的に作られた川ですが、
電力のなかった江戸時代は、電力で水を汲み上げて下に流すことができなかったため、
できる限り標高を維持するために尾根筋に水を通し、そこから水を下に流して市民や農民に水を供給する必要がありました。
このため、「玉川上水」や「三田用水」は標高の高い尾根筋を通っています。
また、「三田用水」は、明治以降、火薬庫のある軍事施設やビール用水(ヱビスビール)としても使われました(下の写真は、恵比寿にあった当時のビール醸造所を描いた絵)。
(出典:ヱビスビール記念館。撮影は許可されています)
しかし、電気の普及や宅地化によって、戦後、「三田用水」は廃止され、現在はわずかな痕跡が残るのみとなりました。
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(白金台の三田用水跡を散策)
三田用水の遺構を探すために、都営浅草線の高輪台駅から出発します。
A06出口を出て、
桜田通を左に行くと、斜め左に入る路地がありますので、ここを入っていきます。
すると、下の写真のような家があり、そこに三田用水の「境界石」があります。
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三田用水に関する本やネット情報では、「道沿いに三田用水が流れていた」と説明しているものがありますが、実際には、道沿いの家の裏手に三田用水が流れていました。
この道を歩いていきます。
右手の路地を見ていくと、
下の写真のような「不自然な長方形の空間」があったり(ここにも「境界石」があります)、
「不自然に盛り上がった場所」がありますが、これらは「三田用水」の痕跡と考えられます。
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(三田用水境界石)
ところで、三田用水境界石ですが、「めぐろ歴史資料館」(下の写真)の入り口に、
掘り出された境界石が置かれています。
その説明板によれば、「地上に出ていたのは約20cmですが、基礎部分は90cm以上埋められていた」とのことで、大変長いものであったことがわかります。
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また、以前歩いたときは、「環状4号線反対」の張り紙を多く見かけたのですが、今回はこのような反対の張り紙がありませんでした。
開発側と折り合いがついて、開発に賛同するようになったのでしょうか。
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しばらく歩くと、二股に別れますが、右の道に入ります。
この道沿いにも、多くの「境界石」を見ることができます。
すると、下の写真のような「今里地蔵」の祠が見えてきます。
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