島倉千代子の墓所~ゼームス坂散策(最終回):沢庵和尚/井上勝/渋川春海/賀茂真淵/西村勝三
- 2020/02/19
- 08:03
前回の「島倉千代子の墓所~ゼームス坂散策(3)」では、
東海寺に掲げられていた「島倉千代子が眠る大山墓地までの地図」を見て、島倉千代子が眠る東海寺大山墓地を目指しました。
今回は、「ゼームス坂散策」の最終回として、大山墓地に眠る島倉千代子などの著名人などの墓所を訪れます。
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(東海寺大山墓地)
さて、前回の最後に訪れた「近代硝子工業発祥の地」碑のある場所は東海寺大山墓地の入り口ですので、ここから入っていきます。
沢庵和尚、賀茂真淵、渋川春海などの歴史上の人物の墓があることが書かれています。
(沢庵和尚の墓)
墓地に入るとすぐの場所に、国指定史跡の「沢庵和尚の墓」があります。
小堀遠州が築造したと伝えられる、大きな自然石を置いた珍しい墓です。
沢庵和尚は「たくあん漬け」の考案者と言われていますが、私にはお墓の石が「漬物石」に見えます。
「漬物石」のオブジェとして小堀遠州が考えたのではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
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(島倉千代子の墓)
島倉千代子は品川に生まれ育った歌手ですが、その縁もあってか故郷の北品川にある臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠っています。
墓地の裏手には、島倉千代子の母校である品川学園があります。
また、島倉千代子の「人生いろいろ」は、品川にある京浜急行「青物横丁駅」の電車接近メロディとなっています。
大山墓地の一番奥にある、ピアノをかたどったと言われる島倉千代子の墓です。
このお墓は、「平成通りを歩く(1)」でご紹介した世界有数の彫刻家・流政之(ながれ まさゆき)が手がけたものです。
正面に大きく「こころ」の文字が掘られ、その横に戒名が書かれています。
いつ行っても、このお墓だけきれいな花が沢山供されており、多くのファンが今でも訪れていることが分かります。
下の写真は別の日に行ったときに撮影した写真ですが、このときは墓参に来ていた方が(左下に写っている音楽プレイヤーで)島倉千代子の歌を流していました。
島倉千代子は生前からこのお墓を用意しており、相談相手だった方が地元の東海寺の住職であったため、この大山墓地を選んだそうです。
また、墓石の裏には「島倉千代子」の名前とともに、「島倉忍」の名が刻まれています。
島倉千代子は、元阪神タイガースの藤本勝巳と結婚し、藤本勝巳との間に3人の子をもうけましたが、3人とも中絶しています。
島倉千代子は、この3人の子を合わせて「忍」と名付け、その名を小さな地蔵に付けて肌見離さず持ち歩いたといいます。
その「忍」の名が墓碑に千代子と一緒に刻まれています。
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(井上勝の墓)
島倉千代子の墓の前に、井上勝(いのうえ まさる)の墓があります。
井上勝は長州藩の出身、長州五傑の一人で、「日本の鉄道の父」と言われています。
このため、東京駅の広場にその銅像が置かれています。
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実は、この大山墓地は、東海道新幹線・横須賀線と東海道本線・京浜東北線が交差する場所にあるのですが(下の写真は、第一京浜に置かれた案内図を拡大し、筆者が加工したもの)、
井上勝の墓は自分が育てた鉄道の脇にあります。下の写真は、新幹線が井上勝の墓のそばを走っている様子を写したものです。
また、『「新丸ビルのオーストラリアンランチ」と「プチ丸の内散策」』で書いたように、東京駅にある井上勝の銅像は東京駅の方に向いています。
このように、井上勝は死んだ後も、東京駅と東海寺大山墓地の両方の場所で日本の鉄道を見守っているわけです。
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(渋川春海の墓)
渋川春海(しぶかわ はるみ)の墓も鉄道の脇にあります。
渋川春海は、囲碁棋士の経験から天文学者として日本に適合した独自の暦法を作りました。
渋川春海の生涯を描いた冲方丁(うぶかた とう)の時代小説「天地明察」が映画化されたこともあります。
(出典:「天地明察」角川書房。冲方丁著)
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(賀茂真淵の墓)
賀茂真淵(かも の まぶち)は江戸中期の国学者です。賀茂真淵の弟子は300人を超えたと言われていますが、弟子の中で特に有名なのが本居宣長です。
国学の大家であるため、鳥居のある珍しいお墓です。
寺院なのに神道の鳥居があることは、日本古来の伝統である神仏習合をよく表しています(「多神教と一神教:日本人は宗教に無節操なのか?/異なる「神」の概念/針供養とアイボ」参照)
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(西村勝三の墓)
また、西村勝三(にしむら かつぞう)の墓もあります。
西村勝三は上述の人たちほど有名ではありませんが、大井町と関係の深い実業家で、「明治の工業の父」とも言われる人です。
JR大井町駅・西口のロータリー脇に、煉瓦の柱がありますが、
その下に、「品川白煉瓦」と「品川硝子」の説明板があります。
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西川勝三はこの2つの工業に携わりました。
下の写真は、品川歴史館(品川区大井6丁目11−1)に展示されている、品川白煉瓦と品川硝子製造所跡の建造物です(写真撮影は許可されています)。
また、靴メーカーとして有名なリーガルを興した人でもあります(下の写真は八重洲地下街にあるリーガル店)。
下の写真は、中央区新富町にある「靴業発祥の碑」で、西村正蔵の名前が記されています。
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これで、「高村智恵子終焉の地~ゼームス坂散策(1)」から始まった「ゼームス坂散策」シリーズを終了します。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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