五島美術館と等々力渓谷・古墳群
- 2018/05/09
- 10:04
前回の五島美術館と明神池跡に引き続き、世田谷区上野毛にある五島美術館に行ってきました。
今回は源氏絵巻物に関するセミナーが開催されていたので、それを聴きに行きに行ったのですが、そのついでに、この世田谷区野毛地区に点在する古墳群や等々力渓谷も見てきました。
☆☆☆
☆☆☆
(五島美術館)
五島美術館は平安様式で建てられた、東急電鉄系列の美術館で、閑静な住宅街の中にあり多くの古美術が展示されています。
前回同様、広大な日本庭園も散策しました。下の写真は、石灯籠の中にちゃっかり入り込んだ猫ちゃんの写真です。

後で、この野毛地区における古墳群の話をしますが、この五島美術館の中にも古墳があるのには驚きました。「稲荷丸古墳」という小さな古墳で、説明の案内板もないし、美術館配布の庭園地図にも記載されていませんが立派な古墳でした。

(荏原台古墳群)
多摩川左岸の世田谷区野毛地区から大田区田園調布にかけての地域は高級住宅地域として知られていますが、その高級住宅街の中に古墳が点在しています。
この古墳群を荏原台古墳群と言いますが、この荏原台古墳群は野毛古墳群と田園調布古墳群に分けられます。
今回は野毛古墳群を見ていきます。閑静な住宅街を歩きながら古墳群を見ていくと、また違った東京が見えてきます。
上で紹介した五島美術館の日本庭園内にある「稲荷丸古墳」も野毛古墳群の一つです。
五島美術館から東に数分歩くと、閑静な住宅街に挟まれるようにして上野毛稲荷塚古墳があります。野毛古墳群では最初にできた古墳と考えられ、4世紀末に造られたと考えられるそうです。ここは普段は入れないようです。

上野毛稲荷塚古墳から第三京浜道路の下に作られたトンネルをくぐって更に東に行くと、玉川野毛町公園があり、この公園の中に野毛大塚古墳という大きな古墳があります。野毛古墳群の中では最大規模の古墳です。
古墳に登ることもできます。私が行った時は家族連れの人たちが沢山いました。先程の上野毛稲荷塚古墳より後の5世紀初め頃に造られたと考えられ、多くの副葬品が出土しています。
古墳の頂上には埋葬品がどのように置かれていたかをプレートで見ることができます(写真右)

この野毛大塚古墳のある玉川野毛町公園から環状八号線に沿ってしばらく歩くと等々力渓谷に着きます。
(等々力渓谷)
等々力渓谷は東京区内にある珍しい渓谷です。以前(と言ってもだいぶ前ですが)来た時はドブ川のような臭いがしてとても楽しめなかったのですが、今はとてもきれいな水が流れており、爽やかな散策ができました。

渓谷内は鬱蒼とした緑に包まれ、気温も地上とはだいぶ違うようです。
等々力駅近くにある等々力渓谷入口付近には、渓谷の中と外の気温の違いを具体的に温度計で示した表示がありますが、私が行った時は渓谷内のほうの気温が1.4度低くなっていました。

さて、この等々力渓谷には古墳ではありませんが、非常に古い史跡が残されています。「横穴(おうけつ)」と呼ばれる墓跡で、古墳時代末から奈良時代(7~8世紀)にかけて横穴群が造られたそうです。
下の写真(左)が当時のイメージ図で、写真(右)が横穴跡です。

この等々力渓谷には平安末期の創建とされる等々力不動尊がありますが、道を挟んだ対面に御岳山古墳があります。
御岳山古墳は野毛大塚古墳より50年ほど後の5世紀中頃に造られた古墳と考えられています。ここは等々力不動尊の所有地らしく中には入れませんでした。

いずれ機会を見て田園調布古墳群も訪れてみたいと考えていますが、古道概説(1)で書いたように、江戸幕府の影響が少なかった東京23区の周辺地域では、古代・中世の東京が突然姿を現すことがあります。その良い例が世田谷区野毛地区から大田区田園調布にかけての古墳群です。
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今回は源氏絵巻物に関するセミナーが開催されていたので、それを聴きに行きに行ったのですが、そのついでに、この世田谷区野毛地区に点在する古墳群や等々力渓谷も見てきました。
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(五島美術館)
五島美術館は平安様式で建てられた、東急電鉄系列の美術館で、閑静な住宅街の中にあり多くの古美術が展示されています。
前回同様、広大な日本庭園も散策しました。下の写真は、石灯籠の中にちゃっかり入り込んだ猫ちゃんの写真です。

後で、この野毛地区における古墳群の話をしますが、この五島美術館の中にも古墳があるのには驚きました。「稲荷丸古墳」という小さな古墳で、説明の案内板もないし、美術館配布の庭園地図にも記載されていませんが立派な古墳でした。

(荏原台古墳群)
多摩川左岸の世田谷区野毛地区から大田区田園調布にかけての地域は高級住宅地域として知られていますが、その高級住宅街の中に古墳が点在しています。
この古墳群を荏原台古墳群と言いますが、この荏原台古墳群は野毛古墳群と田園調布古墳群に分けられます。
今回は野毛古墳群を見ていきます。閑静な住宅街を歩きながら古墳群を見ていくと、また違った東京が見えてきます。
上で紹介した五島美術館の日本庭園内にある「稲荷丸古墳」も野毛古墳群の一つです。
五島美術館から東に数分歩くと、閑静な住宅街に挟まれるようにして上野毛稲荷塚古墳があります。野毛古墳群では最初にできた古墳と考えられ、4世紀末に造られたと考えられるそうです。ここは普段は入れないようです。


上野毛稲荷塚古墳から第三京浜道路の下に作られたトンネルをくぐって更に東に行くと、玉川野毛町公園があり、この公園の中に野毛大塚古墳という大きな古墳があります。野毛古墳群の中では最大規模の古墳です。
古墳に登ることもできます。私が行った時は家族連れの人たちが沢山いました。先程の上野毛稲荷塚古墳より後の5世紀初め頃に造られたと考えられ、多くの副葬品が出土しています。
古墳の頂上には埋葬品がどのように置かれていたかをプレートで見ることができます(写真右)


この野毛大塚古墳のある玉川野毛町公園から環状八号線に沿ってしばらく歩くと等々力渓谷に着きます。
(等々力渓谷)
等々力渓谷は東京区内にある珍しい渓谷です。以前(と言ってもだいぶ前ですが)来た時はドブ川のような臭いがしてとても楽しめなかったのですが、今はとてもきれいな水が流れており、爽やかな散策ができました。

渓谷内は鬱蒼とした緑に包まれ、気温も地上とはだいぶ違うようです。
等々力駅近くにある等々力渓谷入口付近には、渓谷の中と外の気温の違いを具体的に温度計で示した表示がありますが、私が行った時は渓谷内のほうの気温が1.4度低くなっていました。

さて、この等々力渓谷には古墳ではありませんが、非常に古い史跡が残されています。「横穴(おうけつ)」と呼ばれる墓跡で、古墳時代末から奈良時代(7~8世紀)にかけて横穴群が造られたそうです。
下の写真(左)が当時のイメージ図で、写真(右)が横穴跡です。


この等々力渓谷には平安末期の創建とされる等々力不動尊がありますが、道を挟んだ対面に御岳山古墳があります。
御岳山古墳は野毛大塚古墳より50年ほど後の5世紀中頃に造られた古墳と考えられています。ここは等々力不動尊の所有地らしく中には入れませんでした。

いずれ機会を見て田園調布古墳群も訪れてみたいと考えていますが、古道概説(1)で書いたように、江戸幕府の影響が少なかった東京23区の周辺地域では、古代・中世の東京が突然姿を現すことがあります。その良い例が世田谷区野毛地区から大田区田園調布にかけての古墳群です。
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