横浜山手で歴史に思いを馳せる(最終回):山手資料館/境界石/生麦事件
- 2019/11/11
- 08:06
幕末の歴史に翻弄された「唐人お吉」ゆかりの地などを見てきましたが、
今回は、「横浜山手散策」シリーズの最終回として、「山手資料館」、「生麦事件犠牲者の墓」などを探訪します。
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(山手資料館)
山手本通りに面する「山手資料館」に行ってみます。
館内には素晴らしい展示品があるのですが、写真撮影が禁止されていますので、館外の庭にあるものをご紹介します。
下の写真は、明治5年(1872年)に日本で初めて点火されたガス灯を復元したものです。明かりが灯っていますがガスで点火されているそうです。
なお、現在の明かりはオレンジ色ですが、昔のガスは質が悪かったため青白い明かりだったそうです。
いしだあゆみが歌っていた「ブルーライトヨコハマ」の「ブルーライト」はこの当時の青白いガス灯の色を指すのかと一瞬思いましたが、時代が合わないので違いますね。
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日本最初の水道供給栓の「ライオン型水道」です。ライオンの顔があります。
このグリーンのベンチも明治初年のものです。
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(境界石)
この「山手資料館」から少し歩くと「居留地境界石」(下の写真)があります。
「居留地境界石」は外国人と日本人との居住地を区別するため、その境界に置かれた石ですが、
この付近は外国人居留地の中でしたので、この「居留地境界石」は他所から移設したものと思われます。
「居留地境界石」については、他にも見つかっていますが、下の写真は外国人墓地脇の坂にある境界石です。
この境界石は幕末の時代からそのままの状態で残っているものと思われます。
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(生麦事件犠牲者の墓)
この外国人墓地脇の坂を下り、左に曲がると、文久2年(1862年)に起きた生麦事件で薩摩藩士に斬り殺されたイギリス人の墓があります。
外人墓地の中には入れませんが、柵越しから見ることができます。
下の写真は、生麦にある「生麦事件碑」です。
生麦事件により薩英戦争が起き、この戦いで薩摩藩はイギリスとの国力の差を痛感し、攘夷鎖国論を破棄したことを考えると、生麦事件は明治維新に通じる日本の近代国家のきっかけとなった重要な事件でした。
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「歴史に思いを馳せる横浜山手散策」シリーズの3つのシリーズを通して、横浜山手の散策をしてきました。
今回で全てのシリーズの最終回になりますが、
次回は、横浜山手散策の番外編として横浜中華街を散策してみます。
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