麒麟麦酒発祥の地を巡りながら横浜山手の湧水を探訪する(最終回):キリン公園/打越の霊泉
- 2019/10/14
- 17:14
湧水を探しながら、「ジェラールの水屋敷」、山手の洋館、北方小学校にあるビール井戸まで行きました。
今回は「横浜山手の湧水を探訪する」シリーズの最終回として、さらに探索を進めていきます。
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(キリン園公園)
北方小学校から南に歩いていくと「キリン園公園」があります。
ここには「麒麟麦酒開源記念碑」と書かれた驚くほど大きな石碑があります。
キリンビール発祥の地を記念して建てられた石碑ですが、当時のビール工場は先程の北方小学校の敷地を含む大きな工場だったそうです。
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道路に面して下の写真のような「麒麟園」と書かれた階段状の石がありますが、当時の工場の入口跡と思われます。
また、この「キリン園公園」の近辺にある民家の玄関には「キリンビール工場」のタイルが貼られている家がいくつもあります。
このような民家の敷地にもビール工場の遺構があり、このため、このようなタイルが貼られているのかもしれません。
なお、この「キリン園公園」をさらに行くと、『「君が代発祥の地」で君が代を考察する(1):さざれ石/妙香寺/吹奏楽発祥の地/樹木希林の実家』でご紹介した「妙香寺」に行くことができます。
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(「ブラフ(bluff)」について)
横浜山手を散策していると、「ブラフ(bluff)」という表示をよく見かけます。
「ブラフ(bluff)」とは英語で「はったり」「虚勢」という意味がありますが、ここでは別の意味で「切り立った崖」を意味します。
幕末から明治中期にかけてこの山手の居留地に暮らした外国人達は、住所標記に「BLUFF○○(数字)」を使い、その標記は地番として現在でも使われています。
(「山手本通り」を散策)
さきほどのエリスマン邸がある山手本通りに戻り、「打越の霊泉」を見に行きます。
山手の尾根道である「山手本通り」を南西方向(石川町方向)に歩きます。
途中には「代官坂」があります。
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この「代官坂」を下っていくと、石原裕次郎など多くの俳優が通ったというナイトクラブ「クリフサイド」や代官坂の名前の由来となった「旧代官所長屋門」があります。
さらに歩いていくと「フェリス女学院」があり、
その脇の急な階段を降ると、日本の初代アメリカ総領事の世話をし、そのために周囲から迫害され不遇な人生を送った「唐人お吉」が住んだ「下田長屋」があります。
これらの「クリフサイド」、「旧代官所長屋門」、「下田長屋」については別の記事でご紹介したいと思います。
さらに歩いていくと、左手に下の写真のような瀟洒な洋館があります。
某企業が所有する洋館ですので中には入れませんが、ユニークで美しい建物です。
さらに進むと、右手に「メソジスト教会発祥の地」の塔があります。
メソジスト教会はプロテスタントに属する教派ですが、下にある金属プレートには明治8年(1875年)にこの地に教会(会堂)を建てたとの説明が書かれていました。
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(打越橋)
さらに歩いていくと、山元町の交差点に着きますが、ここからは赤色の美しい「打越橋」が見えます。
「打越橋」は関東大震災の復興事業で建設された橋で、横浜市の認定歴史建造物に選定されています。
ここからの横浜の夜景が大変美しいそうです。私は昼間に行ったのですがみなとみらい地区がきれいに見えました。
また、ネットで検索すると、この「打越橋」は心霊スポットとしても有名なようです。以前は、この橋から飛び降りる自殺者が絶えなかったそうで、今では自殺防止のための高いフェンスがつくられています。
また、橋の中間には、自殺を思いとどまらせるためでしょうか、キリスト教関係者が設置した思われる聖書の一節が金属プレートに書かれていました。
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(打越の霊泉)
この「打越橋」の少し先には「打越の霊泉」があります。
以前は岩で作られた立派な泉だったようですが、今では塩化ビニールパイプから湧水が流れるだけの味も素っ気もない物になっています。
説明書きに書かれているように、この湧水は由緒ある湧水ですのでもっと立派なものに戻してほしいものです。
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これで、「横浜山手の湧水を探訪する」シリーズを終了します。次回からは歴史的な視点から横浜山手を散策したいと考えています。
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