外国人居留地の面影を探しながら横浜山手の湧水を探訪する(2):ジェラールの水屋敷/山手80番館遺跡/エリスマン邸
- 2019/10/11
- 08:09
元町・中華街駅から沢田研二・田中裕子夫妻の自宅まで歩いた後、元町商店街を散策し、
老舗洋家具店「ダニエル」で現在でも湧水が使われていることを確かめました。
今回も引き続き湧水から見た横浜山手を探索します。
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(元町厳島神社)
元町商店街を左に曲がると、「元町厳島神社」があり、
この境内にも湧水があります。
また、神社脇の民家からも湧き水が出ているのが見られます。
この近所の方(年配の方)にお話を伺ったところ、次のようなお話を聞きました。
「私(年配の方)が生まれたときは、この湧き水の産湯を使ったと聞いている。この湧き水は保健所が調べに来るが飲料水として認められており、遠方からペットボトルを持って訪れる人もいる。昔は厳島神社の池には滝のように水が落ちていた」
大変興味深いお話ありがとうございました。
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(ジェラールの瓦工場と水屋敷)
「元町厳島神社」から、元町商店街裏にある「元町仲通り」(別名:クラフトマンシップ通り)を通って、「ジェラールの瓦工場と水屋敷」に向かいます。
途中に、高級フランス料理店「霧笛楼」がありますが、「霧笛楼」については別の記事(「横浜山手で歴史に思いを馳せる(1):荻野アンナの自宅/石川代官所/クリフサイド/元町百段公園)でご説明します。
「霧笛楼」を過ぎて、右に曲がると「ジェラールの瓦工場と水屋敷」に行きます。
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(ジェラールの水屋敷)
ここには、明治6年(1873年)、フランス人のアルフレッド・ジェラールが建てた煉瓦製造工場と水屋敷の跡があります。
外国人居留地建設のための煉瓦などの建設資材を製造し、また、湧水を集める貯水槽を建設し船舶飲料水として販売していました。
船舶飲料水としての横浜山手の水は清らかであるため「赤道を超えても腐らない」と評判だったそうです。
(元町公園プール)
「ジェラールの瓦工場と水屋敷」からさらに進むと、「元町公園プール」があります。
かつては湧水を利用していましたが、現在は水道水を使っているそうです。
また、このプールは、第二次大戦後間もなく世界記録を打ち立て、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋廣之進が横浜で行われた国民体育大会で出場したプールです。
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(山手80番館遺跡)
「元町公園プール」から遊歩道を登ると、関東大震災で倒壊した洋館の遺跡(山手80番館遺跡)があります。
3階建ての建物だったそうですが、今は煉瓦で作られた地下室と基礎部分が残っています。
(エリスマン邸)(ベーリック・ホール)
「山手80番館遺跡」から少し登ると、「エリスマン邸」があります。
エリスマン邸は、スイス生まれの生糸貿易商、フリッツ・エリスマンの邸宅として大正14年(1925年)から大正15年にかけて建設されました。
一時マンション建設のため解体されましたが、平成2年(1990年)に現在地に再現されました。
このエリスマン邸で、「沢田研二の自宅と湧水を横浜山手で探訪(1):沢田研二・岡田准一の自宅/元町商店街/ダダニエル」でご紹介した「横浜山手西洋館マップ」(下の写真)を入手できます(無料)。
ここにはカフェが併設されていて休憩場所として使えたのですが、残念ながら閉店しました。
また、道を挟んで「ベーリック・ホール」があります。山手にある外国人住宅のなかでは最大規模の建物です。
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(北方小学校:ビール井戸の跡)
エリスマン邸から坂道を下っていくと「北方小学校」があります。
ここには、日本で最初のビール工場で使われていた「ビール井戸」の跡があります。
説明板には、湧水を利用して1888年からキリンビールがつくられたと書かれています。
校舎内にも「ビール井戸跡」があるのですが、校舎内には入れませんのでこれは外からしか見れません。
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次回は「横浜山手の湧水を探訪する」シリーズの最終回として、引き続き湧水探訪をしながら横浜山手の見どころを散策します。
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