品川駅の謎を解く(2):山手線の謎・品川新駅
- 2018/05/06
- 23:50
「品川駅の謎を解く(1)」の続きです。
【「Since 1885」、「山手線 0Km」の意味は?】
前回の「品川駅の謎を解く(1)」で駅のホームの床にあるゴジラの絵を紹介しました。
そのゴジラの絵をもう一度見てみましょう。
「Since 1885(1885年から)」、「山手線 0Km」と書いてありますが、これはどういう意味でしょう?
調べてみたところ、私達が普段使っている「山手線」は「(狭義の)山手線」、「東北本線」、「東海道線」の総称だということが分かりました。
つまり
品川駅-田端駅の間が「狭義の山手線」
田端駅-東京駅の間が「東北本線」の支線扱い
東京駅-品川駅の間が「東海道本線」の支線扱い
だそうです。図解すると以下の通りです。(相変わらずの、ド素人丸出しの図ですみません)

そして、この「狭義の山手線」の基本となった「日本鉄道品川線」ができたのが1885年(明治18年)だったのです。だから、「Since 1885」なんですね。
「山手線 0Km」は山手線の起点駅で各駅間の距離などの基準となる場所を示すそうです。
ちなみに、今の環状線の山手線(普段使っている意味での山手線)が全て開通したのが1925年(大正14年)ですから、40年もの年月を要しています。
このような長い年月を要したのは、新橋-上野の間が当時の東京屈指の人口密集地帯であったため鉄道敷設が大変難しかったためでした。
☆☆☆
☆☆☆
【品川駅は鉄道発祥の地】
このゴジラ絵には「鉄道発祥の地」という文字がありますね。
「あれっ、鉄道発祥の地」は新橋ではなかったのではないでしょうか。
いえ、これで正しいんです。品川駅は日本で一番古い鉄道の駅なんです。
品川駅高輪口の広場にその説明板があります。この説明板によれば、明治5年(1872年)5月7日(新暦6月2日)開業とされています。

近代国家の整備を掲げていた明治政府が推し進めた事業の一つが鉄道の早期建設でした。
新橋駅と開港場として賑わっていた横浜(現在の桜木町)間の建設が進められましたが、新橋駅-品川駅の間には東海道に沿った人口密集地があり、高輪に土地を有していた兵部省があったため、反対運動が強く、新橋駅-品川駅の建設は遅れました。
このため、品川駅-横浜駅(現在の桜木町駅)の開業が先にあり、品川駅が「鉄道発祥の地」となったのです。
なお、当時の新橋駅は現在の汐留シオサイトに位置します。
この汐留シオサイトは、お台場や六本木ヒルズと並ぶおしゃれな観光名所になっていますが、鉄道開業当時の新橋駅を復元した「旧新橋停車場跡」(当時は「駅」でなく「停車場」と言っていました)もあります。
このゴジラの絵は、いろいろな情報が詰まっている絵ですので、品川駅に行く機会があれば是非ご覧になってください。
【品川駅は海の中だった】
現在の品川駅は江戸時代には海の中でした。
上の【品川駅は鉄道発祥の地】で書いたように、新橋駅-品川駅の間には東海道に沿った人口密集地があり、高輪に土地を有していた兵部省の抵抗が強く、このため、海岸沿いの海に築堤を作って、鉄道を建設しました。
汽車の煙はかなりあったようで、品川にあるグランドプリンスホテルの貴賓館として使われている旧竹田宮邸に住んでいた恒徳王(つねよしおう)は次のように回想したとのことです。
【品川新駅】
「謎」ではありませんが、最近話題になっている、品川新駅について一言。
品川駅と田町駅の間に品川新駅(正式な名称はまだ決まっていません)が建設中ですが、クレーンが見えるところがその建設現場です(写真左)。近くのビルの屋上から写した写真です(写真右)。

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【「Since 1885」、「山手線 0Km」の意味は?】
前回の「品川駅の謎を解く(1)」で駅のホームの床にあるゴジラの絵を紹介しました。
そのゴジラの絵をもう一度見てみましょう。
「Since 1885(1885年から)」、「山手線 0Km」と書いてありますが、これはどういう意味でしょう?
調べてみたところ、私達が普段使っている「山手線」は「(狭義の)山手線」、「東北本線」、「東海道線」の総称だということが分かりました。
つまり
品川駅-田端駅の間が「狭義の山手線」
田端駅-東京駅の間が「東北本線」の支線扱い
東京駅-品川駅の間が「東海道本線」の支線扱い
だそうです。図解すると以下の通りです。(相変わらずの、ド素人丸出しの図ですみません)

そして、この「狭義の山手線」の基本となった「日本鉄道品川線」ができたのが1885年(明治18年)だったのです。だから、「Since 1885」なんですね。
「山手線 0Km」は山手線の起点駅で各駅間の距離などの基準となる場所を示すそうです。
ちなみに、今の環状線の山手線(普段使っている意味での山手線)が全て開通したのが1925年(大正14年)ですから、40年もの年月を要しています。
このような長い年月を要したのは、新橋-上野の間が当時の東京屈指の人口密集地帯であったため鉄道敷設が大変難しかったためでした。
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【品川駅は鉄道発祥の地】
このゴジラ絵には「鉄道発祥の地」という文字がありますね。
「あれっ、鉄道発祥の地」は新橋ではなかったのではないでしょうか。
いえ、これで正しいんです。品川駅は日本で一番古い鉄道の駅なんです。
品川駅高輪口の広場にその説明板があります。この説明板によれば、明治5年(1872年)5月7日(新暦6月2日)開業とされています。

近代国家の整備を掲げていた明治政府が推し進めた事業の一つが鉄道の早期建設でした。
新橋駅と開港場として賑わっていた横浜(現在の桜木町)間の建設が進められましたが、新橋駅-品川駅の間には東海道に沿った人口密集地があり、高輪に土地を有していた兵部省があったため、反対運動が強く、新橋駅-品川駅の建設は遅れました。
このため、品川駅-横浜駅(現在の桜木町駅)の開業が先にあり、品川駅が「鉄道発祥の地」となったのです。
なお、当時の新橋駅は現在の汐留シオサイトに位置します。
この汐留シオサイトは、お台場や六本木ヒルズと並ぶおしゃれな観光名所になっていますが、鉄道開業当時の新橋駅を復元した「旧新橋停車場跡」(当時は「駅」でなく「停車場」と言っていました)もあります。
このゴジラの絵は、いろいろな情報が詰まっている絵ですので、品川駅に行く機会があれば是非ご覧になってください。
【品川駅は海の中だった】
現在の品川駅は江戸時代には海の中でした。
上の【品川駅は鉄道発祥の地】で書いたように、新橋駅-品川駅の間には東海道に沿った人口密集地があり、高輪に土地を有していた兵部省の抵抗が強く、このため、海岸沿いの海に築堤を作って、鉄道を建設しました。
汽車の煙はかなりあったようで、品川にあるグランドプリンスホテルの貴賓館として使われている旧竹田宮邸に住んでいた恒徳王(つねよしおう)は次のように回想したとのことです。
「大きな機関車があって、(中略)当時は石炭を焚くのだからたまらない。海から吹く風がその煙を運んでくるので、(中略)われわれの鼻の穴はいつも真っ黒。」(「地図と愉しむ東京歴史散歩(地形篇)」竹内正浩著)
【品川新駅】
「謎」ではありませんが、最近話題になっている、品川新駅について一言。
品川駅と田町駅の間に品川新駅(正式な名称はまだ決まっていません)が建設中ですが、クレーンが見えるところがその建設現場です(写真左)。近くのビルの屋上から写した写真です(写真右)。


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