銀座散策~神社・裏路地巡り(2):銀座の柳/青汁サービススタンド/日本最初の電気街灯建設の地
- 2019/07/16
- 09:06
前回の「銀座散策~神社・裏路地巡り~(1)」では、銀座が東西南北1キロ四方の狭いエリアであることをご説明し、
京橋から歩き始めて、銀座1丁目の守護神である「幸稲荷神社」まで歩きました。
今回は、銀座のメインストリートである中央通り(旧東海道)まで歩いてみます。
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(町人地の神社)
今回の「銀座散策~神社・路地裏巡り~」シリーズでご紹介する銀座の神社は、江戸時代の町人地にあった神社又は武家屋敷などにあった屋敷神社が現在まで残されているものが中心ですが、
前回の記事でご紹介した「幸稲荷神社」は町人地にあった神社が現在まで残っているものと考えられます。
「江戸東京博物館」(墨田区横網1-4-1)の常設展示場に、
裏長屋で町人が共同で祀っていた稲荷神社の実物大の模型があります(下の写真)。
(出典:江戸東京博物館。写真撮影は許可されています)
前回ご紹介した「幸稲荷神社」も、当時町人地であった銀座地区に、このような形で祀られていたものと考えられます。
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(青汁サービススタンド)
この「幸稲荷神社」のある路地を進むと「銀座レンガ通り」にぶつかりますが、この「銀座レンガ通り」を渡り、さらに細い裏路地(下の写真)を進みます。
この細い裏路地を進むと「銀座ガス灯通り」に出ます。
ここを右に曲がると右手に、「遠藤青汁友の会東京営業所 青汁サービススタンド」の看板のある建物があります。
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以前から気になっていたのですが、入りにくい雰囲気で入ったことがありませんでした。
しかし、今回この記事を書くにあたって、思い切って入ってみました。
入ってみると、雑然とした昭和の雰囲気のお店で、
メニューにあった「青汁(小)」(320円)を注文しました。
席に座って飲んでいると、常連客と思われるお客さんが何人も入ってきました。
お店の方に伺うと、「お客の8割は常連客」とのことでした。
「青汁」を飲んで元気が出てきたところで、散策を続けます。
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(銀座の柳由来の碑)
「銀座ガス灯通り」を先に進むと「銀座柳通り」に出てきます。
その名の通り、この通りには柳が植えられています。
この「銀座柳通り」の「中央通り」寄りに「銀座の柳由来の碑」が置かれています。
その碑には「明治20年ごろ柳が銀座通り(筆者注:「中央通り」の別名)に植えられて以来、銀座のシンボルとなった」ことなどが書かれていました。
戦前の昭和11年(1936年)の昭和歌謡で、藤山一郎が歌った「東京ラプソディ」の歌詞に、
「銀座の柳の下で♪ 待つは君ひとり 君ひとり♪」という歌詞があったように、柳は昔も今も銀座のシンボルであるとともに、銀座がある中央区の木でもあります。
ちなみに、「東京ラプソディ」の歌詞の中に出てくる戦前の東京の繁華街は、銀座・神田・浅草・新宿で、新宿を除くと東京の東側に偏っていました。
戦後、東京の繁華街が渋谷・池袋など西に移動してきたことがこの歌詞から分かります。
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(日本最初の電気街灯建設の地)
「中央通り」を南下していくと、下の写真のような細く背の高い鉄柱が見えてきます。
この鉄柱には「日本最初の電気街灯建設の地」という説明がありました。
この鉄柱の前には「カルティエ(Cartier)」(カルティエ銀座ブティック)がありますが、この「カルティエ」脇の壁にも、
電灯が灯された時の錦絵を彫刻したプレートが掲げられています。
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次回は、銀座2丁目界隈を散策してみます。
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