【内神田の西側】古書店街を探索
- 2019/06/12
- 08:28
前回の「【内神田の西側】地形、歴史的見どころ」では、
江戸幕府が日比谷入江の埋め立てのために切り崩した「神田山」の痕跡を探索し、付近の歴史的な見どころを見てきました。
今回は、神田神保町にある世界最大級の「古書店街」を散策します。
その前に、「お茶の水の碑」を見てみます。
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(お茶の水の碑)
「水道の原点を水道橋で学ぶ(散策)」でご紹介しましたが、JR御茶ノ水駅の御茶ノ水口にある交番の横に「お茶の水」の地名の由来となった「お茶の水の碑」があります。
この「お茶の水の碑」は神田川の南側(千代田区側)にありますが、
実際の「お茶の水」は、神田川の北側(文京区側)にあった高林寺(こうりんじ)の境内にあった湧き水で、将軍にお茶用の水として提供したことから「お茶の水」という地名になったと言われています。
この高林寺は明暦の大火で駒込に移転しましたので、現在はお茶の水にはありません。下の写真は移転した本駒込にある高林寺です。
(古書店街)
神田神保町と言えば、「古書店街」です。
神田古書店街は世界最大級の古書店街で、明治に入ってから、この地域に設立された高等教育機関(現在の明治大学、日本大学、中央大学、専修大学等)の学生相手にできあがっていきました。
その重要性から太平洋戦争中でも米軍の空襲を受けなかったと言われています。
多くの書店が、南からの強い日差しから本を守るために、北側に向いています。
浅草の仏具通りの仏具店が北を向いていることと共通しています(下の写真)。
それでは、いくつかの特徴的な古書店を見てみましょう。
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(矢口書店・古賀書店)
「矢口書店」は映画関係の専門書店で、映画関係者がよく訪れるそうです。
「矢口書店」の隣りにある「古賀書店」は音楽書・楽譜の専門店です。
「矢口書店」と「古賀書店」を見ると、
真ん中と両脇に本棚があり、店の奥には本屋の主人、2階は住居、という建て方になっていますが、
この構造は昔からの古書店の建て方で、この両店にはその典型的な構造が見られます。
(高山本店)
明治8年(1875年)創業の「高山本店」です。
現在の店主は5代目で、神田神保町古書店の中では最も古いのではないでしょうか。
司馬遼太郎は「坂の上の雲」の執筆に当たりこの高山本店を利用したそうです
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(北沢書店)
洋書専門の「北沢書店」です。
インターネットが普及する前は、この「北沢書店」や日本橋の「丸善」で洋書を注文し、2~3ヶ月後にやっと手に入るという時代がありました(下の写真は、日本橋の「丸善」)。
今はインターネットで簡単に入手できるようになったので便利になりましたが、ワクワク感が少なくなりましたね。
(軍学堂)
すずらん通りにある軍事関係書籍専門の「軍学堂」です。
(玉英堂書店)
稀観本で知られている「玉栄堂書店」です。
神田神保町では、有名作家の原稿や日記、手紙などが新たに発見されて話題になるところでもあります。
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(三省堂本店)
三省堂の本店があります。
三省堂は新刊書のみを販売している書店と思われがちですが、4階には「三省堂古書店館」があります。
古書や映画のポスターなど結構充実した品揃えです。
(店内撮影の許可をいただいています)
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これで、「孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町を散策(1)」から始まった、内神田の西側(江戸時代の武家地)散策を終了します。いずれ機会を見て内神田の東側の散策もしてみたいと考えています。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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