【内神田の西側】地形、歴史的見どころを探訪
- 2019/06/08
- 09:42
「孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町散策」シリーズ、「多様な宗教施設がある内神田の西側を散策」シリーズに引き続き、
今回は、地形・歴史的見どころ・古書店街、という視点から内神田の西側界隈を散策してみたいと思います。
なお、「多様な宗教施設がある内神田の西側を散策(1)」でも書きましたが、
神田川の南側にある内神田は、江戸時代は西側が武家地(主として神田淡路町より西側の地域)、東側が町人地であり、今でも町並みの雰囲気が異なります。
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(江戸幕府の土木開発事業)
JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て道路を渡ると、「千代田区町名由来板 駿河台」があり(下の写真)、そこには以下のように書かれています。
「駿河台」は・・・(中略)・・・「神田山」と呼ばれる丘陵でした。江戸に幕府を開いた徳川家康は・・・(中略)・・・この神田山を切り崩し、江戸城の前に広がる日比谷入江を埋め立てました・・・・(中略)・・・そこで、隅田川に通じ、江戸城の外堀の役目も果たす「神田川」が分流として開削されたのです。」
つまり、この駿河台(神田神保町界隈)では以下の2つの開発事業が江戸幕府によって行われたことが書かれています。
① 神田山の切り崩し
② 神田川の開削
今回は、上の2つの開発事業のうち、①の「神田山の切り崩し」の痕跡を探索してみたいと思います。
なお、現在の日比谷から大手町の間は日比谷入江という海であり、それを江戸幕府が埋め立てたことについては、「地形と歴史で推理してみる(1)」で書きましたので、ご関心のある方はこちらをお読みください。
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(「靖国通り」は何故湾曲しているのか?)
下の写真はJR御茶ノ水駅に設置されている地図に私が補足したものです。
地図に描かれているように、靖国通りがこの付近で不自然に湾曲していますが、これは江戸幕府によって切り崩される前の「神田山」の裾野に沿って道を作ったために湾曲したのでした。
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(自然な崖と人工的な崖)
下の写真は、同じ地図に別の補足説明を加えたものですが、
水道橋から「とちの木通り」に沿って山の上ホテルあたりまでは、下の写真のような自然な傾斜の崖が続きます。
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他方、山の上ホテルからニコライ堂にかけては直線で折れ曲がりながら、切り立った崖(人工的な崖)が続きます。
上の写真(左)はニコライ堂脇の崖、写真(右)は明治大学10号館脇の崖ですが、切り立った崖で人工的に削られた事がわかります。
この直線で構成された人工的な崖が、江戸幕府によって削り取られた痕跡と考えられます。
これに対し、水道橋から山の上ホテルまでの自然な形状の崖は、神田川が人工的に開削される以前にあった、小石川と平川が合流して侵食した崖と考えられます。
下の写真(左)は千代田区の自転車保管場所から撮った写真、写真(右)は男坂ですが、
切り立った崖でなく、傾斜した斜面(崖)、すなわち「自然な崖」であることがわかります。
さて、この山の上ホテルから錦華小学校近辺には歴史的な見どころがありますので見てみましょう。
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(山の上ホテル)
まず、「お茶の水→水道橋散策(3)」でご紹介した「山の上ホテル」です。
日本でメンタムを製造したウィリアム・メレル・ヴォーリス設計のアール・デコ調の美しいホテルで、池波正太郎・川端康成・三島由紀夫など著名な作家が利用したことでも知られています。
ホテル内には、歴史小説家の池波正太郎が頻繁に訪れたという天ぷらと和食のレストラン「山の上」があります。
(夏目漱石記念碑)
錦華小学校脇には、夏目漱石が通ったことを示す説明板と記念碑があります(夏目漱石が通っていた当時の名前はお茶の水小学校でした)。
(豊島屋本店:東京に現存する最古の酒屋)
夏目漱石記念碑のそばには、東京に現存する最古の酒屋である「豊島屋本店」があります。
慶長元年(1596年)創業ですから、江戸幕府ができる前の安土桃山時代の創業です。
当初は鎌倉河岸(現在の神田橋付近)にあり、「下りもの」と呼ばれる上方の酒を江戸で販売していました。
豊島屋が元々あった鎌倉河岸界隈(現在の内神田1丁目)にある「御宿稲荷神社」の玉垣には、現在でも「神田鎌倉町」の名が刻まれています。
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ちなみに、「くだらない」という言葉の語源は、この「下りもの」から来ています。
灘や伏見からの「下りもの」は旨い酒だが、関東でつくられた酒はまずく「下らない(酒)」から転じて現代使われている「くだらない」となりました。
さて、この豊島屋で江戸時代からの製法で作られているという「白酒」がありましたので買ってみました。
石臼を使い昔ながらの製法にこだわった甘いお米のリキュールで、江戸時代の女性に人気があったそうです。
下の写真は、箱の中にあった、豊島屋を描いた江戸名所図絵です(下の写真)。
江戸時代の豊島屋がいかに人気のある酒屋だったかがよくわかります。
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次回は内神田の西側界隈散策の最終回として古書店街を歩いてみます。
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