「君が代」初演の地はどこだったのか?:「君が代発祥の地」で君が代を考察する(2)
- 2019/05/01
- 10:28
前回の『「君が代発祥の地」で君が代を考察する(1)』では、「君が代」発祥の地である妙香寺を訪れました。
今回は、妙香寺にある「さざれ石」を見学するとともに、
「君が代」初演の地はどこであったのかを考察してみたいと思います。
「君が代」初演の地については様々な情報が交錯していますので、私なりに整理してみました。
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(妙香寺の「さざれ石」)
妙香寺の本堂には「さざれ石」が置かれています。
ご住職にお願いしたところ、ご親切にも本堂に案内していただきご説明を受けるとともに、撮影の許可もいただきました。
(写真撮影と本ブログへの掲載の許可をいただいています)
なお、ご住職によれば、「体育の日にはこの妙香寺でフェントンの作曲した君が代の演奏をしている。また、雅楽演奏家である東儀秀樹の曽祖父は、フェントンが作曲した君が代の編曲に関わっていた一人である」とのことです。
貴重なお話を伺い、また本堂で「さざれ石」を見せていただきありがとうございました。
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(「君が代」初演の地)
「君が代」の初演がいつ行われたのかについて、『「初代「君が代」』(白水社。小田豊二著。下の写真)を参考にしながら、私が調べたことも交えつつ記述してみたいと思います。
「君が代」が最初に演奏されたのは横浜ではなく東京江東区にある越中島と言われています。
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防衛省の海上自衛隊東京音楽隊(JMSDF BAND,TOKYO)のホームページによれば、「(初代「君が代」の)初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における展覧練兵の際に、薩摩藩軍楽隊による演奏とされています」と書かれています。
下の写真は、江東区越中島にある「明治天皇聖蹟の碑」で、明治天皇が明治3年(1873年)9月8日に行幸されたことを記念した碑です。
しかし、『「君が代発祥の地」で君が代を考察する(1)』で書いたように、「君が代」はエジンバラ王子の訪日に合わせて急遽つくられた国歌ですから、初演はエジンバラ王子の来日時であったはずです。
『初代「君が代」』によれば、明治2年(1869年)7月22日に、エジンバラ王子が宿舎とした御濱御殿(中央区の浜離宮恩寵庭園にある将軍家の別邸だった御殿)で、同王子到着時にフェントン指揮によるイギリスの軍楽隊が「君が代」を演奏したと書かれています(『初代「君が代」』131~133ページ)。
それでは、明治天皇御前での薩摩藩軍楽隊の演奏はどうでしょうか。
いきなり天皇の前で演奏するわけはありませんので、事前に練習はしていたはずです。
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「横浜テニス発祥記念館」の方に伺うと、練習したのは上述した妙香寺で、その「お披露目の演奏会」は山手の在留外国人を招いて山手公園内にある東屋(あずまや)で催されたとのことでした。
下の写真は当時の東屋と改築された現在の東屋で、今でも当時と同じ場所にあります(左の写真は「横浜テニス発祥記念館」内で展示されているもの)。
『初代「君が代」』にも、妙香寺での練習があったこと(『初代「君が代」』163ページ等)、
明治3年(1870年)8月12日に山手公園音楽堂でフェントン指揮による薩摩藩軍楽隊の初の演奏会が催されたことが書かれています(『初代「君が代」』166ページ)。
つまり、
①イギリスの軍楽隊による初演は、明治2年7月のエジンバラ王子訪日時の宿舎となった御濱御殿(現在の浜離宮恩寵庭園)での演奏、
②日本人による初演は、明治3年8月の横浜山手公園内での演奏、
③天皇陛下御前での初演は、明治3年9月の越中島での演奏(『初代「君が代」』168ページ)、
ということになります。
なお、明治天皇ご臨席での「君が代」演奏の地については目黒区駒場の説もあります。このため、上記の「明治天皇聖蹟の碑」には「君が代」演奏の説明は書かれていませんが、いずれにしても、明治天皇の御前で演奏されたときは、フェントンの原曲でした。
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次回は妙香寺に隣接する「横浜テニス発祥記念館」に行って、「君が代」原曲を実際に聞いてみたいと思います。
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