「君が代発祥の地」で君が代を考察する(1):樹木希林の実家/さざれ石/妙香寺/吹奏楽発祥の地
- 2019/04/27
- 09:42
今回は日本の国歌である「君が代」の視点から横浜山手を散策し、「君が代」について調べてみたいと思います。
横浜は、安政6年(1859年)の開港以来、外国人によって西洋文化が流入したため、「○○発祥の地」という場所が多いのですが、
そのうち「君が代・吹奏楽発祥の地」と「テニス発祥の地」を訪れてみます。
日本の国歌である「君が代」が横浜発祥であったことはちょっと驚きでした。
本記事は「君が代」という視点から幕末~明治初期の歴史を垣間見る記事にもなっています。
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(君が代の歌詞と「さざれ石」)
「君が代」の歌詞は平安時代前期の勅撰和歌集である「古今和歌集」の和歌を初出(原型)としています。
初出の古今和歌集においては「祝福を受ける人の寿命」を指していましたが、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌となりました。
歌詞の中にある「さざれ石(細石)」は、元来は「小さな石」を指しますが、
長い年月をかけて小石の間に溶解した石灰岩が凝結することで、大きな岩――巌(いわお)――になったものを「さざれ石」と呼んでいます(下の写真)。
「さざれ石」の解釈はいろいろあるようで、「協力し、団結すること」、「今は小さくとも、長い年月の間には大きな岩になる」などの意味があるようです。
さざれ石は、探すと結構いろいろな場所に置かれています。下の写真は、文部科学省の入口横に置かれている「さざれ石」です。
「君が代」を国歌とすることは「国旗及び国歌に関する法律」で定められており、所管省庁は内閣府なのですが、
学校現場で国家を歌う歌わないの問題が起きるため、国歌の理解を深めることを目的として文部科学省の入り口に「さざれ石」を置いていると思われます。
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また、神社によっては「さざれ石」を置いているところがあります。
下の写真は、赤坂日枝神社に置かれている「さざれ石」。宝物殿の横に置かれています。
上で拡大した「さざれ石」を掲載しましたが、この拡大した「さざれ石」は赤坂日枝神社の「さざれ石」です。
下の「さざれ石」は、中目黒八幡神社に置かれている「さざれ石」です。
このように「さざれ石」は神社にあることが多いのですが、お寺に置かれていることもあります。
先日、世田谷区内を散策しているときにお寺で見かけたさざれ石です。左の写真が「世田谷観音寺」の「さざれ石」、右の写真が「幸龍寺」の「さざれ石」です。
なお、この「世田谷観音寺」には太平洋戦争における特攻隊を慰霊する碑があります。
このように神社や寺社をお参りしたときに、注意していると「さざれ石」が置かれていることを発見することがあります。
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(君が代・吹奏楽発祥の地:妙香寺)
妙香寺は、弘仁5年(814年)、空海の創建とされる古刹で、後に日蓮聖人の教化で日蓮宗に改宗した寺院です。
「君が代発祥の地」でもありますので、この妙香寺に行ってみます(横浜市中区妙香寺台8)。
横浜山手にある「キリン園公園」の前の坂道を下り、十字路を右に曲がると、右手に「君が代由緒地」という碑があります。
(「キリン園公園」はキリンビール発祥の地なのですが、これについては別記事で詳しくご説明します)
急峻な階段を登っていくと、
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妙香寺の山門があり、
山門をくぐって境内に入ると、下の写真のような2つの碑があります。
一つは、「国歌君代発祥之地」の石碑で、
もう一つは、「日本吹奏楽発祥の地」の石碑です。
どちらの発祥が先かを調べてみると、「吹奏楽発祥」が先で、その後に「国歌君が代発祥」となったようです。
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経緯をたどると、
明治2年(1869年)、鹿児島湾に停泊していたイギリスの軍艦で演奏された軍楽隊の音楽に、当時の薩摩藩主・島津久光が感銘を受け(『初代「君が代」』(白水社、小田豊二著)63~64ページ)、
30余名の藩士を横浜に派遣し、この妙香寺に合宿させました。
下の写真は妙香寺で撮影された“薩摩バンド”(出典:発っする「街-横浜」)。
この背景には、文久2年(1862年)の生麦事件に端を発した薩英戦争後、イギリスと薩摩藩が急速に接近したという歴史的な経緯があります。
これら30余名の薩摩藩士を指導したのが、イギリス人のジョン・ウィリアム・フェントンでした。
折しもこの頃、イギリスからエジンバラ王子の来日があり、儀礼のために日本国歌の演奏が必要になりました。
ところが、当時は日本国歌がなかったため、
江戸城大奥の儀式であった「おさざれ石」の儀式に「君が代」が読み上げられていたこと、薩摩藩に受け継がれていた「蓬莱山」(ほうらいざん)という「薩摩琵琶歌」を大山巌がよく歌っていたことから、「君が代」を歌詞として選び(『初代「君が代」』127~130ページ)、
その歌詞に、フェントンが作曲して日本国歌ができました。
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しかし、その曲は威厳を欠いていて日本の風土になじまないとのことから、明治13年(1880年)に現在の「君が代」が日本国歌となりました((『初代「君が代」』176ページ)。
なお、先日亡くなった女優・樹木希林の父親・中谷襄水(なかたにじょうすい)は、薩摩琵琶錦心流六代目会長を務め、樹木希林の妹とその息子も薩摩琵琶奏者です(『初代「君が代」』102ページ)。
また、樹木希林は横浜とも縁が深く、樹木希林の実家は横浜の野毛にある老舗居酒屋「叶家」(下の写真)です。この「叶家」は樹木希林の兄が跡を継ぎ、現在はその娘が女将を務めているそうです。
さて、「君が代」原曲については、後で訪れる「横浜テニス発祥記念館」(下の写真)で聞くことができます。
私もこの原曲を聞いてみました。
現在の「君が代」に似たメロディで、きれいな曲ですがキリスト教のミサ曲のような西洋的な調べで、たしかに日本の国歌にはふさわしくないと当時の人達が感じたことが理解できます。
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次回は「君が代」初演の地について考察していきたいと思います。
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