孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町を散策(2):内山書店/東方書店/「周恩来ここに学ぶ」の碑/蒋介石揮毫の碑
- 2019/04/24
- 21:05
前回の「孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町を散策(1)」では、神田神保町は孫文、梁啓超、魯迅、周恩来、蒋介石、汪兆銘、郭沫若など近代中国史に登場する錚々たる人物たちが暮らしていたチャイナタウンであったことをご説明し、
当時から残る中華料理店を見てきました。
今回も神田神保町がチャイナタウンだった頃の痕跡を見ていきます。
なお、今回訪れる湯島聖堂は文京区湯島に属し、千代田区の神田神保町には含まれませんが。チャイナタウン神田神保町の関連としてご紹介します。
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(留学生達が訪れた本屋)
神田神保町の「すずらん通り」には、
留学生たちが訪れた中国書籍専門の書店があります。
「内山書店」(千代田区神田神保町1-15)です。
内山書店は大正6年(1917年)上海で創業し、左翼作家弾圧事件が起きると魯迅一家をかくまったりもしました。
そして、昭和10年(1935年)に東京の祖師ヶ谷大蔵で、創業者の弟が東京内山書店を開業。
その後、紆余曲折がありましたが、昭和43年(1968年)に神田神保町のすずらん通りに移転し、現在に至っています。
お店の方の許可をいただいて、店内を撮影しました。
店内には、創業者と魯迅のツーショット写真や、
魯迅の書(複製)が展示されていました。
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もう一つは、「東方書店」(東京都千代田区神田神保町1-3)です。
東方書店は、昭和26年(1951年)に創業された書店ですので、明治大正時代の清国・中国留学生達は訪れませんでしたが、中国では購入できない書籍があるので、観光で訪れる中国人がわざわざ買いに来ることがあるそうです。
1950年代後半、中ソ関係が悪化した時、中国の味方になり中国の書籍を扱うようになったとのことです。
ここでもお店の方の許可をいただいて、店内を撮影しました。
多くの中国書籍が並べられています。
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以上見てきたように、内山書店は文化サロン的な趣の中国書籍専門店、東方書店は思想的な趣のある専門店と言えるかと思います。
(「周恩来ここに学ぶ」の碑)
神保町交差点の少し先の道を右に曲がると「神保町愛全公園」(千代田区神田神保町2-20)があります。
ここは、周恩来を始めとする多くの中国人留学生が通った「東亜高等予備校」があった場所で、
「周恩来ここに学ぶ」の碑が建っています。
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(湯島聖堂の蒋介石揮毫の碑)
湯島聖堂に世界で一番大きいという孔子像があることは、「お茶の水→水道橋散策(1)」でご紹介しましたが、
この孔子像のそばに蒋介石揮毫の碑があります(「中正」は蒋介石の名で台湾では「蒋中正」が一般的に使われているそうです)。
なお、この碑の脇には「中華民國六十三年」と書かれた碑もあります。
大陸の「中華人民共和国」が幅を利かせている今日、台湾の国家名称である「中華民国」と中華民国の紀年法(中華民国が成立した1912年を元年とする紀年法)が明記されている碑は珍しいと思います。
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(すすらん通り界隈の名物店)
以上ご紹介した、「揚子江菜館」・「内山書店」・「東方書店」はすずらん通りにありますが、
このすずらん通り界隈には他にも興味深いお店が多くありますので、それらをご紹介したいと思います。
日本で初めてウィンナーコーヒーを出した「ラドリオ」など老舗喫茶店については、『「ウィンナーコーヒーを初めて出した老舗喫茶店」と「プチ神保町散策」』でご紹介しました(下の写真は老舗喫茶店「ラドリオ」)。
その他にも多くの老舗喫茶店がありますが、これらについては上の記事で書きましたので、ご関心のある方はこちらをお読みください。
昭和11年(1936年)創業の餃子専門店「スヰートポーヅ」とその「スヰートポーヅ」の隣りにあるロシア料理専門店の「ロシア亭」、
また、黒カレーで有名な「キッチン南海」がすずらん通りに面してあります。
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昭和6年(1931年)創業の天ぷらの老舗「はちまき」。
江戸川乱歩、海音寺潮五郎などの作家の会の写真が掲げられていました。
明治20年(1887年)創業の老舗文具店「文房堂」(ぶんぽうどう)。
日本で初めて専門家油絵具を開発・販売したお店です。明治大正期の中国からの留学生たちも訪れたと思います。
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これで、「チャイナタウン神田神保町を探索」は終了し、次回は別の視点から神田地区(主として内神田地区の西側)を探索してみます。
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