孫文・魯迅が暮らしたチャイナタウン神田神保町を散策(1):漢陽楼/揚子江菜館/維新號/咸亨酒店
- 2019/04/21
- 17:08
日本でチャイナタウンといえば、日本三大中華街と言われる、横浜の中華街・神戸の南京町・長崎の長崎新地中華街を思い浮かべると思いますが(下の写真は横浜中華街春節時の風景)、
かつて神田神保町は、ピーク時には約1万人の清国・中国留学生が暮らす大きなチャイナタウンでした。
現在の横浜中華街の中国人人口が約6000人ですので(Wikipediaによる)、当時の神田神保町チャイナタウンがいかに大きかったかが分かります。
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NHK大河ドラマ「いだてん」で清国・中国留学生の話が出てきましたが、この頃の話です(下の写真は嘉納治五郎と清国留学生たち(出典:「東京人」平成23年(2011年)11月号)。
清国留学生が満州族の頭髪スタイルである辮髪(べんぱつ)をしていることが分かりますね。日本に学びに来ても満州族としてのプライドは捨てないという彼らの気概が伝わってきます。
(出典:「東京人」平成23年(2011年)11月号)
孫文、梁啓超、魯迅、周恩来、蒋介石、汪兆銘、郭沫若など中国近代史を担った錚々たる人物たちが日本で暮らしていました。なお、上の写真の嘉納治五郎ですが、嘉納治五郎は柔道の父であるとともに、留学生教育の先駆者でもありました。
江戸時代から明治にかけて日本で翻訳された、「経済」・「社会」・「法律」・「社会主義」などの造語を中国に逆輸出したのも、彼ら留学生たちでした。
今回は、チャイナタウンを切り口に神田神保町を散策してみます。
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(チャイナタウン神田神保町を扱った書籍)
雑誌「東京人」は平成23年(2011年)11月号で、「チャイナタウン神田神保町」を扱っています。
また、平成28年(2016年)には「帝都東京で中国革命を歩く」(白水社。譚 璐美(たん ろみ) 著)という書籍が発行されています。
本記事では、これらの書籍を参考にしながら話を進めていきます。
さっそく、「帝都東京で中国革命を歩く」を引用すると、同書では次のように書かれています(199ページ)
明治維新後、日本の近代化に学ぼうと来日した中国人留学生は最盛期の1905(明治38)年には1万人近くいた。その後、満州事変から上海事変、本格的な日中戦争が勃発するに従い、留学生の数は急速に減少したが、戦時中の40年代まで含めて、戦前の日本には常時、数千人規模で留学生が滞在していた。来日当初、彼らの多くが東京に住んだが、とりわけ神田界隈には留学生が集まった。清国人専用の日本語学校である東亜高等予備校、日華学会のほか、明治大学、専修大学、日本大学などがあり、また憩いの場として清国留学生会館があったことからである。(「帝都東京で中国革命を歩く」199ページ)
ここから推測されるのは、商業を目的に来日し形成された他の中華街と異なり、神田神保町は日本に勉学に来た留学生(他に政治亡命者もいた)を主体に形成された中華街(チャイナタウン)だったことで、
このため、これら留学生がいなくなると、急速に中華街(チャイナタウン)が消滅していったことです。
消滅したといっても、その痕跡が神田神保町にはありますので、それらを見ていきたいと思います。
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(留学生たちの胃袋を満たした中華料理店)
異国の地に来た留学生たちにとって、故郷の味は忘れられないものがあります。
このことから、神田神保町では留学生向けの中華料理店が開店するようになりました。
まず、周恩来、孫文が足を運んだという「漢陽楼」(かんようろう)です(明治44年(1911年)創業。千代田区神田小川町3-14-2。JR御茶ノ水駅 御茶ノ水橋口 徒歩5分/地下鉄神保町駅 A5出口 徒歩3分)。
この「漢陽楼」の店内には、周恩来、孫文が来店したという資料が壁に掲げられています。
この「漢陽楼」については、別の記事(『「周恩来の食べた肉団子を食す」と「プチ神田神保町散策」』)で詳しくご紹介したいと思います。
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次に、神田神保町界隈で現存する最も古い中華料理店と言われる「揚子江菜館」です(明治39年(1906年)創業。千代田区 神田神保町 1-11-3。都営地下鉄 新宿線・三田線「神保町駅」A7出口より、徒歩2分。東京メトロ 半蔵門線「神保町駅」A7出口より、徒歩2分)。
冷やし中華発祥の中華料理店とも言われています。池波正太郎はこの冷やし中華が好きだったそうです(下の写真は、「揚子江菜館」店頭に置かれていた掲示)。
さらに、昭和22年(1947年)に銀座に移転した「維新號」です。
神田神保町で開業した中華料理店の中で最も歴史が古い料理店です(明治32年(1899年)創業)が、銀座に移転しました。
なお、「咸亨酒店」(かんきょうしゅてん)は紹興酒のふるさとである中国浙江省紹興にあり、魯迅の小説にもしばしば登場し、多くの文化人に惜しまれながら閉店しましたが、
魯迅の生誕100周年を記念して平成4年(1992年)に、名称を使う許可を得てできた中華料理店です(千代田区 神田神保町 2-2。都営新宿線・三田線・東京メトロ半蔵門「神保町駅」徒歩2分/JR水道橋駅 徒歩10分/JR御茶ノ水駅 徒歩10分)
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次回も神田神保町がチャイナタウンだった頃の痕跡を探していきます。
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