戸越銀座散策(1):安倍総理の訪問/銀座の赤レンガ
- 2019/04/02
- 20:07
本年(平成31年(2019年))2月2日(土曜)に安倍総理が、キャッシュレス決済をアピールするため品川区にある戸越銀座を訪れました。
この訪問については、新聞や週刊誌で報道されましたが、首相官邸のホームページでも掲載されました(下の写真)。
(出典:首相官邸ホームページ)
戸越銀座は歴史的・地形的な視点から見ると興味深いだけでなく、その商店街はテレビでもよく紹介されているところでもあります。
今回は、その戸越銀座について、安倍総理の戸越銀座訪問とともに書いてみたいと思います。
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(銀座との関係:赤レンガの取り持つ関係)
「凸凹を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩2」(洋泉社(皆川典久著)。138ページ)によれば、
「○○銀座」と呼ばれる「○○銀座」は全国で300を超え、戸越銀座は日本で最初の「○○銀座」だそうです。
さらに言えば、戸越銀座は日本で最初の「○○銀座」であるだけでなく、本家本元の「銀座」と深い歴史的な関係にあります。
東急池上線が戸越銀座商店街を横に突き抜けるように走っていますが(下の写真)、
戸越銀座駅を降りて、右に商店街を歩いていくと、左側に「戸越と銀座のかかわり」を示す碑が置かれています。
後で説明しますが、戸越銀座商店街は谷底に作られた商店街であったため、水はけが悪かったのですが、大正12年(1923年)の関東大震災で被害を受けた銀座のレンガを使って道路の排水工事に活用しました。
その使用されたレンガがガラスの中に展示されています。
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(銀座のレンガの碑)
また、本家本元の中央区銀座には関東大震災前まで使われていたレンガの碑が2箇所あります。
一つは、銀座1丁目の首都高速道路下、東側の歩道にある「銀座煉瓦之碑」で、床の煉瓦は、最近発掘されたものを当時の積み方で再現したものだそうです。
もう一つは、銀座8丁目の今春通り(こんぱるとおり)にある「煉瓦遺構の碑」です。右の銅板は、明治初期の今春通りの煉瓦街の写真を彫金したものです。
銀座に煉瓦の碑が2つもあることは、銀座の人たちの「銀座煉瓦街」への強い愛着があったためだと考えられますが、そのレンガが品川区戸越の地で立派に役に立ったわけです。
このように、戸越銀座は、単に銀座のブランドを冠するだけの「凡百(ぼんびゃく)の○○銀座」とは異なり、本家本元の銀座と歴史的な深い関わりのある地名であることがお分かりいただけたと思います。
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(安倍総理が訪れた戸越銀座商店街)
上で書いたように、安倍総理は本年(平成31年(2019年))、政府が進めるキャッシュレス決済のアピールのために戸越銀座商店街を訪れました。
戸越銀座商店街会館の方に聞いたところ、安倍総理は戸越銀座駅そばにある「セブンイレブン」(下の写真)で電子マネーのnanacoにチャージし、
「魚慶」という魚屋でnanacoを使って買い物、
「魚慶」の前にある「花エリカ」という花屋でPayPayを使って買い物をしたそうです。
戸越銀座への視察は安倍総理が言い出したそうですが、戸越銀座商店街が選ばれた理由はテレビなどでよく紹介されて知られていることに加え、上述したように歴史的にも由緒ある商店街だったこともあるのではないでしょうか。
なお、戸越銀座商店街を散策していると、「戸越銀次郎」(通称、銀ちゃん、ギンちゃん)というマスコットキャラクターを良く見かけます。
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(戸越銀座の地形)
上で、「戸越銀座商店街は谷底に作られた商店街で水はけが悪かった」と書きました。
戸越銀座は一直線に1.3キロメートルに延びた商店街として、日本有数の長い商店街です。
なお、大阪の天神橋筋橋商店街が2.6キロメートルあり、こちらが日本一長い商店街だそうです。
下の写真は長原街道から見た戸越銀座商店街。一直線になっていることがよく分かります。
また、下の写真は東急大井町線・戸越銀座駅にある地図に筆者が補足したものです。
戸越銀座商店街を歩きながら左右の道を見ると、いずれの道も上り坂になっており、戸越銀座商店街は谷底であることがよく分かります。
この谷底は、かつては立会川の支流であり、旧中原街道にある「戸越地蔵尊」付近が源流部分であったと思われます。
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次回は、戸越の名前の由来、「戸越銀座通り」が突然「三ツ木通り」になる謎を考えます。
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