日本の金融街を歩く(平成通り散策):東京証券取引所/銀行発祥の地
- 2019/03/24
- 22:38
前回の「平成通りを歩く(2)」では、築地橋を渡り「救世軍渡来記念の碑」まで歩きました。
「「銀座で唯一の踏切」を探して築地界隈を散策」で始まった「平成通りを歩く」シリーズの最終回として、今回は兜町の鎧橋(よろいばし)まで散策します。
金融の街にふさわしく、途中には「東京証券取引所」をはじめとして、金融関係の関連施設・史跡が多くあります。
参考記事:
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(新富座跡)
平成通りを隔てた向かい側は現在工事中になっていますが、ここはかつて「新富座」があった場所で、
明治時代、国内外の要人が訪れ、日本で初めて夜芝居興行が行われたりしました。
工事前は「新富座跡」の説明板があったので、工事の壁にその説明が貼ってあるかと思ったのですが、何の説明もありませんでした。
工事が終われば、説明板が復活することを期待しています。
(新富消防地蔵尊)
更に進むと、十字路にローソンがありますが、そのローソンの脇に「新富 消防地蔵尊」があります。
死亡者も出た出火跡地に消防署出張所が建てられたが、消防隊員に負傷者が続発したり、「非番なのに望楼にこつこつと登る音がする」「夜中に泣き声がする」などの噂がたったため、この地蔵尊を建立したことが書かれています。
(八丁堀の旦那たち)
この後は、しばらくの間、さしたる見どころがないのですが、歩いている一帯は「八丁堀」で、江戸庶民から「八丁堀の旦那」と呼ばれた、町奉行の与力・同心が住んでいた場所です。
下の写真は、「現在の八丁堀の旦那(?)」である「八丁堀交番」。
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(兜町・茅場町まちかど展示館:金融街にちなんだ珍しい展示品)
東京証券取引所が近づいてきましたので、このあたりから「証券会社」の看板が目に入るようになります。
しばらく行くと左手の坂本公園の中に「兜町・茅場町まちかど展示館」があります。
東京証券取引所がある兜町(金融街)らしく「兜」を掲げた山車、「日本銀行」の名が書かれた法被(はっぴ)など珍しい展示品をみることができます。
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(東京証券取引所)
永代通りとの交差点を渡ると、日本の金融街の中心地である「東京証券取引所」があります。下の写真(左)は現在の東京証券取引所、右は昭和57年(1982年)に解体された、かつての東京証券取引所(出典:「東京人no213」(東京出版株式会社))です。
かつての東京証券取引所は圧倒的な迫力を持った建物だったようです。
「東京証券取引所」は平日の9:00~16:30まで見学(無料)することができますので、見学してみましょう。
入り口は裏にある「西口」です。
荷物などのセキュリティ・チェックを受けて入ります。
1階には「証券資料ホール」があります。結構見ごたえのある資料館です。
2階に上がると、経済ニュースなどでよく見かける風景を見ることができます。
私は株式投資をやっていますので、日経平均がどうなっているのか見てみると、「+57.63」とやや上昇していました(^^
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(銀行発祥の地)
この「東京証券取引所」西口を出て左に行くと、みずほ銀行があります。
どこにでもあるようなごく普通の銀行支店ですが、ここは明治6年(1873年)に我が国最初の銀行である第一国立銀行が創立された場所です。
(鎧橋)
平成通りに戻って「鎧橋」(よろいはし)に進みます。
この橋は日本橋川にかけられた橋ですが、かつては橋がなく、船渡しであったことなどの説明が書かれています。
ここで平成通りは終わりますが、この「鎧橋」をわたって「ぺんてる本社」まで行ってみます。
(ぺんてる本社)(イタリアンレストラン)
「鎧橋」を渡ると、すぐに「ぺんてる本社」があります。
文具メーカーの会社らしく、会社脇に設置されたオブジェが鉛筆の形になっています。
なお、この近くには「兜町界隈のイタリアンでランチ」でご紹介したイタリアンレストラン「ロットチェント」があります。
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これで「平成通りを歩く」シリーズは終了します。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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