平成通りを歩く(1)
- 2019/03/19
- 09:31
元号を冠した道路としては、明治通り・大正通り・昭和通りがありますが、
今回は中央区のみを走っている「平成通り」を散策してみます。
平成通りは、中央区築地2丁目から中央区兜町までの短い道路ですが、結構見どころのある道路です。
「平成」はあとしばらくすると終わりますので、「平成通り」を選んでみました。
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まず、下の地図の矢印部分から出発します(下の写真は、築地市場前に設置されている地図を筆者が加工したもの)。
写真で示すと下の写真のような道になります。
(波除獅子の像)
少し歩くと、左手に「波除獅子」の像と説明板があります。
世界有数の彫刻家・流政之(ながれ まさゆき)の作品であるとの説明がありますが、
流正之は2001年の同時多発テロの標的となった「世界貿易センター」に巨大な彫刻を展示したことでも知られています。
また、「波除獅子」の像は、築地の守護神である波除稲荷神社に由来しています(下の写真は波除稲荷神社)。
なお、築地市場近くにある波除稲荷神社には牛丼の「吉野家」が寄進した大きな碑があること、築地市場にあった吉野家の創業店が豊洲市場に移転したことについては、「豊洲市場と吉野家創業店(散策)」で書きました。
下の左の写真は築地市場にあった吉野家の創業店、右は現在の豊洲市場に移転した吉野家の創業店です。
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(築地えとビル)
「波除獅子」の像から少し進むと左手に(どういう訳か、平成通りは左手に見どころが多いです)、「築地えとビル」があります。
壁面を十二支の彫刻が覆っています。
また、ビル前には下の写真のような変わったオブジェがあります。中にはカリヨンが内蔵されています。
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(旧電通ビル)
この「築地えとビル」を左に曲がると「旧電通ビル」があります。
丹下健三の設計で1967年に竣工されました。力強い造形で、昭和の高度成長時代の代表のような建造物です。
このビルは住友不動産に売却され再開発が予定されており、ビルの中は下の写真のような様子になっています。
再開発する際は、昭和を代表するこのビルの一部分でも残し保存して欲しいと思います。
(築地田村)
平成通りに戻り、右手の道を曲がると「築地田村」があります。
「築地田村」3代目の田村隆はテレビ番組にも出演していますね。
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(築地小劇場跡)
「築地田村」の裏の通りには「築地小劇場跡」があります。
説明板とレリーフがあり、当時の建物や演劇の様子を見ることができます。
残念ながら、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で焼失してしまいました。
(桂川甫周屋敷跡:解体新書翻訳への参加)
平成通りに戻り更に進むと左手に「桂川甫周屋敷跡」の説明板があります。
桂川甫周はオランダの医学書「ターヘル・アナトミア」(解体新書)の翻訳に参加したり、外国地理に関する翻訳などをした医師・蘭学者です。
なお、「解体新書」は日本橋にあった「須原屋」が出版元ですが、この「須原屋」は日本橋「三越前駅」地下コンコース壁面に展示されている「熈代勝覧」(きだいしょうらん)に描かれています(下の写真)。
「熈代勝覧」は江戸時代の日本橋界隈を描いた12メートルにも及ぶ精密な絵巻ですが、江戸時代の庶民の生活がいきいきと描かれています。
素晴らしい絵巻なので日本橋に行く機会があれば是非ご覧になることをお薦めします。
解体新書の出版にあたっては、幕府による弾圧の可能性がありましたが、そのような状況下で、出版元の須原屋市兵衛は処刑覚悟で出版したと言われています。
解体新書については翻訳者の杉田玄白などが歴史に名を残していますが、須原屋のように裏方で尽力した出版元があったことも忘れてはいけないことだと思います。
なお、解体新書を翻訳した記念碑が南千住の回向院にありますが、これについては「史跡の宝庫(1):南千住・北千住を訪ねる」でご紹介しました。
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次回も平成通りを散策します。
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