豊洲市場と吉野家創業店(散策)
- 2019/03/11
- 09:37
前回の「豊洲市場(開場後)に行ってきました(1)」では、
ゆりかもめの駅前の様子を見たり、青果棟・管理施設棟・水産卸売場等を散策しました。
今回は、豊洲市場(開場後)の第2弾として、最も大きな飲食店街があり、お土産物売場がある水産卸売場棟を散策します。
ここには築地市場から移転してきた吉野家創業店がありますので、この吉野家創業店を訪れたり、屋上からの展望も見てみます。
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(水産中卸売場棟)
水産仲卸売場棟のジオラマです。屋上が緑色なのは芝生の緑を表しています。
水産仲卸売場棟は、さきほどの水産卸売場棟で買われた魚が仲卸業者によって加工され、魚屋・寿司屋などがそれらを仕入れに来る場所です。
3階に見学ギャラリー・飲食店街等があり、4階にお土産を売っている物販店舗、屋上に緑化広場があります。
(水産中卸売場棟:3階の飲食店街)
豊洲市場には、青果棟に4店舗、管理施設棟に13店舗、水産仲卸市場等に22店舗、合計39の飲食店がありますが、見学者が多いので、昼時は下の写真のように非常に混み合います。
特に、寿司や海鮮料理を提供する店は混みますので、これらの店で食事をしたい方は時間をずらしたほうが良いと思います。
将来的には、集客施設である「千客万来施設」が豊洲市場で開業する予定で、そうなれば混雑は緩和されると思いますが、それまでの間は食事時の混雑が予想されます。
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(吉野家創業店)
あまり知られていませんが、吉野家は日本橋にあった魚市場で創業しました(下の写真は、日本橋魚河岸跡の碑)。
下の写真は吉野家の由来を書いた看板です。明治32年(1899年)に東京の魚河岸(明治時代なので日本橋魚河岸)で開業したことが書かれています。
魚市場で働くような、体力を使い短い時間で食事を取らなければならない人たちにとって牛丼は最適な料理でしたので、これが受けて吉野家は発展しました。
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そして、大正15年(1923年)の関東大震災後、日本橋の魚市場が築地に移転したことに伴い、吉野家も築地に移転しました。
築地にある「波除稲荷神社」(なみよけいなりじんじゃ)には、
吉野家が寄進した大きな石碑がありますが、このような石碑があるのは上述したような経緯があるからです。
さらに、築地市場の豊洲市場への移転にともない、この「吉野家創業店」も豊洲市場に移転しました。
この移転した「吉野家創業店」が水産仲卸市場棟の3階にあります(下の写真)。吉野家の由来看板とオレンジ色の大きな幕が中央にあるのが、築地市場にあった吉野家と共通していますね。
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豊洲市場での私の目的の一つは、この「吉野家創業店」に入ることでしたので、早速入ることにしました。
豊洲市場に来てまで牛丼を食べる人は少ないので昼時でも並ばずに入れました(^^
お店の人に伺ったところ、牛丼の中身自体は他店舗と変わりませんが、「日本橋魚市場のレリーフ」と「築地市場の店舗の絵」はこの創業店しか置いていないそうです(紙に印刷した「日本橋魚市場の絵」は他店舗でも置いてある店があるが、浮き彫りのレリーフは創業店のみしかないそうです)
(水産中卸売場棟:4階のお土産売り場)
4階にはお土産物売り場(物販店舗街)があります。
ターレが可動していて、市場の雰囲気を出しています。
また、ここにはテリー伊藤の兄が経営するお店もあります。
(水産中卸売場棟:屋上の緑化広場)
屋上には緑化広場があり、東京タワーやお台場など遠くの景色が見渡せます。
私が行ったときは冬場でしたので芝生が枯れて茶色でしたが、春になると緑の芝生が美しいと思います。
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これで、「豊洲市場(開場後)に行ってきました」シリーズは終了です。
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