史跡の宝庫(3):南千住・北千住を訪ねる(最終回)
- 2018/04/27
- 21:45
前回は旧日光街道の「やっちゃ場」まで来ました。「やっちゃ場跡」から、さらに旧日光街道を進みます。
☆☆☆
☆☆☆
この旧日光街道・・・感動します。街道沿いにあった「やっちゃ場」の問屋の説明版がそこかしこに立てられています。写真に撮り切れないほどでしたので、そのごく一部をご紹介します。
途中には、民家の敷地に昔の石畳が残されているところもありました。道路側に少し傾斜していますが、ここで野菜などを売った後に水で流していたと思われます。

ここを歩いていると、昔にタイムスリップする感覚になります。
さらに進んでいくと、墨堤通りと交差します。
さて、この墨堤通りですが、ちょっと目を凝らして見ていただけませんか
写真の立ち居入り禁止の標識のある道路と比べると、手前の道路(墨堤通り)がやや高くなっていませんか?。

写真の中のメモ書きにも書きましたが、これが江戸時代(江戸時代以前にも堤はあったようですが)に作られた「堤」の痕跡です。ここにも土地の記憶が残されていました。当時、隅田川はこの墨堤通りに沿って流れていたと考えられます。
江戸時代、この千住宿は江戸に入る一つ手前の宿場でしたので、旅人はここで髪を結い、服を着替えたそうです。このためか、この旧街道沿いは今でも洋服屋や理容室が多いそうです。
さらに東京芸術大千住キャンパス方向に進んでいくと、その手前の交差点に「一里塚跡の碑」「高札場跡の碑」があります。

東京芸術大千住キャンパス前の大きな広場には、「問屋場跡」「荷さばき場跡」「貫目改所跡」を示す埋め込みや散策マップがあります。
すずめ焼きの老舗「鮒秋(ふなあき)」です(真ん中の店)。昔は「やっちゃ場」の鮒が供されていたそうです。

さらに進むと横山家住宅(足立区登録有形民俗文化財)があり、

少し先を行くと、絵馬屋の吉田家があります。絵馬屋の吉田家は8代続く現役の絵馬屋さんだそうです。

更に進むと、重厚な建物の名倉医院です。
江戸時代から「骨接ぎ名倉」として続いている老舗(?)です。整形外科の元祖でしょうか。今でも開業しています。(写真が不鮮明ですみません)

横山家住宅、絵馬屋の吉田家、名倉医院など、歴史の重みを感じる一角です。
ここで、旧日光街道は荒川土手でプツンと突然切れてしまいます。

この荒川は自然の河川ではなく、東京の下町を洪水から守るため、明治~昭和にかけて大変な難工事の末作られた放水路です(当初は「荒川放水路」の名称でしたが、現在は「荒川」と呼ばれます)。この人工の河川が作られたため、旧日光街道はここで途切れてしまします。
荒川土手です。この河川は江戸時代には陸地で旧日光街道が続いていました。

帰りは裏道を歩き、「めやみ地蔵尊」(千住4丁目、長円寺山門に入る手前にあります)をお参りしました。ここに奉納されている絵馬が先程の絵馬屋の吉田家が作っている絵馬だそうです。絵馬の上の屋根のようなのが特徴です。

南千住・北千住のシリーズはこれで終わりです。
史跡の宝庫ですので、まだ訪れていない方は是非。
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この旧日光街道・・・感動します。街道沿いにあった「やっちゃ場」の問屋の説明版がそこかしこに立てられています。写真に撮り切れないほどでしたので、そのごく一部をご紹介します。


途中には、民家の敷地に昔の石畳が残されているところもありました。道路側に少し傾斜していますが、ここで野菜などを売った後に水で流していたと思われます。

ここを歩いていると、昔にタイムスリップする感覚になります。
さらに進んでいくと、墨堤通りと交差します。
さて、この墨堤通りですが、ちょっと目を凝らして見ていただけませんか

写真の立ち居入り禁止の標識のある道路と比べると、手前の道路(墨堤通り)がやや高くなっていませんか?。

写真の中のメモ書きにも書きましたが、これが江戸時代(江戸時代以前にも堤はあったようですが)に作られた「堤」の痕跡です。ここにも土地の記憶が残されていました。当時、隅田川はこの墨堤通りに沿って流れていたと考えられます。
江戸時代、この千住宿は江戸に入る一つ手前の宿場でしたので、旅人はここで髪を結い、服を着替えたそうです。このためか、この旧街道沿いは今でも洋服屋や理容室が多いそうです。
さらに東京芸術大千住キャンパス方向に進んでいくと、その手前の交差点に「一里塚跡の碑」「高札場跡の碑」があります。


東京芸術大千住キャンパス前の大きな広場には、「問屋場跡」「荷さばき場跡」「貫目改所跡」を示す埋め込みや散策マップがあります。


すずめ焼きの老舗「鮒秋(ふなあき)」です(真ん中の店)。昔は「やっちゃ場」の鮒が供されていたそうです。

さらに進むと横山家住宅(足立区登録有形民俗文化財)があり、

少し先を行くと、絵馬屋の吉田家があります。絵馬屋の吉田家は8代続く現役の絵馬屋さんだそうです。

更に進むと、重厚な建物の名倉医院です。
江戸時代から「骨接ぎ名倉」として続いている老舗(?)です。整形外科の元祖でしょうか。今でも開業しています。(写真が不鮮明ですみません)


横山家住宅、絵馬屋の吉田家、名倉医院など、歴史の重みを感じる一角です。
ここで、旧日光街道は荒川土手でプツンと突然切れてしまいます。

この荒川は自然の河川ではなく、東京の下町を洪水から守るため、明治~昭和にかけて大変な難工事の末作られた放水路です(当初は「荒川放水路」の名称でしたが、現在は「荒川」と呼ばれます)。この人工の河川が作られたため、旧日光街道はここで途切れてしまします。
荒川土手です。この河川は江戸時代には陸地で旧日光街道が続いていました。

帰りは裏道を歩き、「めやみ地蔵尊」(千住4丁目、長円寺山門に入る手前にあります)をお参りしました。ここに奉納されている絵馬が先程の絵馬屋の吉田家が作っている絵馬だそうです。絵馬の上の屋根のようなのが特徴です。


南千住・北千住のシリーズはこれで終わりです。
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