共時性(シンクロニシティ)について:意味ある偶然の一致/ユング/河合隼雄
- 2019/03/03
- 13:53
今回は、今までとは違った観点から、「日々思うこと」のカテゴリで、
「共時性(シンクロニシティ):意味ある偶然の一致」について書いてみたいと思います。
(ユングについて)
共時性(シンクロニシティ)はスイスの深層心理学者であるカール・グスタフ・ユング(1875年7月~1961年6月)が提唱した概念です。(下の写真は、ユングが書いた自伝「MEMORIES,DEAMS,REFLECTIONS(思い出・夢・思想)」と初心者向けに書いた「Man and his Symbols(人間と象徴)」の英語版)
ユングの思想の中で最も知られている概念は「コンプレックス」でしょう。
「あの人はコンプレックスが強い」、「私は外国語にコンプレックスがある」など、すでに日本では日常語として使われている用語です。
ユングはこの他にも、人間の類型としての「外向、内向」、フロイトの提案した無意識(個人的な無意識)をさらに進めた、人類が共通に持つという「普遍的無意識(集合的無意識)」などの概念を提唱しました。
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(誤解を招きやすい概念)
このようなユングの思想の中でも、最も誤解を招きやすい考えが「共時性(シンクロニシティ):意味のある偶然の一致」の概念です。
このため、ユングはこの考えを発表しようとしながらも、「長年にわたってそれを果たすだけの勇気を持たなかった」と述べていたそうです(「宗教と科学の接点」(岩波書店)河合隼雄著 38ページ)。
ユングの思想を日本に紹介した心理学者・河合隼雄(元文化庁長官。1928年6月~2007年7月)も、「日本に帰ってからも(筆者注:スイスのユング研究所への留学後も)長い間黙っていました」と書いています(「未来への記憶(下)」(岩波新書)河合隼雄著 63ページ」)。
「共時性(シンクロニシティ)」の考えは、ややもすると安易に使われ、オカルト的な「アブナイ」発想に結びつきやすいので、私自身もこのことを書くことにためらいがありましたが、大事な考えだと思うので今回書くことにした次第です。
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(共時性(シンクロニシティ)の事例:ユングの場合)
上述した「宗教と科学の接点」の38~39ページで、ユングの体験を河合隼雄は次のように書いています。
「ユングは彼の心理療法の過程の中で、「意味のある偶然の一致」の現象が、相当に、しかも心理療法的に極めて意味深い形で生じることに気づいた」
「彼の治療しているある若い婦人は、決定的な時期に、自分が黄金の神聖甲虫(筆者注:コガネムシのこと)を与えられる夢を見た。彼女がその話をユングにしているときに神聖甲虫によく似ている黄金虫が、窓ガラスにコンコンとぶつかってきたのである。この偶然の一致がこの女性の心をとらえ、夢の分析がすすんだことをユングは報告しているが、このような例が、心理療法場面ではよく生じるのである」
補足説明すると、この女性は非常に我が強く心理療法がなかなか進まなかったのですが、この黄金虫(コガネムシ)の一件で、今までのかたくなな心を開き治療が進んだそうです。
ちなみに、古代エジプトでは動物の糞球からコガネムシが出てくるので、コガネムシを創造・不滅の象徴として神聖視しており、
その伝統からか欧州人にとっては、コガネムシは特別の存在だったようで、ヨーロッパの骨董品の中にコガネムシの装飾品を時々見かけます(下の写真は、私がヨーロッパ(ベルギー)で入手したコガネムシと思われる装飾品(骨董)です)。
このため、「神聖甲虫」とわざわざ「神聖」という文字が付け足されているように、西欧人であるユングと女性の患者にとっては、このコガネムシの一件は私達日本人が考える以上に意味の深い出来事だったと考えられます。
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(共時性(シンクロニシティ)の事例:河合隼雄の場合)
上述の「未来への記憶(下)」の中で、
河合隼雄は、「(シンクロニシティの体験について)ぼくにはこのような傑作な話はいっぱいあるんですけれども、あんまり言うとみんな喜ぶ過ぎますからね」(103ページ。同書はインタビュー形式をとっているので、口語体となっている)と、安易に受け止められることを懸念しつつも、
スイスのユング研究所での口頭試問の前にカラスの夢を見たので、カラスのことを調べたらカラスに関する問題が出たことや(同書、101~102ページ)、
重要な岐路に立たされたときに易を立てたところ、自分(河合隼雄)もスイス人の指導官も同じ卦を出したこと(同書、106~107ページ)など、いくつかの体験談を書いています。
なお、ユングのシンクロニシティー考察に影響を与えたものとして、中国学者のリヒアルト・ヴィルヘルムがドイツ語に訳した「易経」があります。
このようなことから、ユング派の学者・研究者は重要な判断のときに易を立てることがあるようです。(下の「EGHT LECTURES ON THE I CHING(易経に関する8つの講義)」は、ユングの思想普及等を目的に設立されたボーリンゲン財団がスポンサーとなって出版した書籍。著者はリヒアルト・ヴィルヘルムの子息で中国学者のヘルムート・ヴィルヘルム)
「河合隼雄 こころの処方箋を求めて」(河出書房新社(28ページ))において、河合隼雄は日本に帰国してしばらくは、
「ユング研究所で学んできたこと、たとえば夢とか神話とか昔話とか、そういうのは日本では通じるはずがないし、それから下手なことをいうことで非難されることはわかっていましたので」
と書いているように、誤解を受けるような体験については沈黙していましたが、晩年は自らの体験を話したり書いたりするようになりました。
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(共時性(シンクロニシティ)をどう捉えるか?)
「弟子に心の準備ができたとき、ちょうど師匠がやってくる」という中国のことわざがありますが、これは共時性(シンクロニシティ)の考えをよく表しています。
「内界(心の動き)と外界で起こる出来事が連動している」と言い換えてもいいかと思いますが、このような考えは東洋において昔からありました。
上で述べた「易経」も共時性(シンクロニシティ)を東洋的な経験則から体系化したものと考えられます。
このような東洋の考えを、西洋文明に特徴的な分析的、帰納的な方法で解釈し直したのが、共時性(シンクロニシティ)として概念化されたと言ってもいいかと思います。
私の個人的な経験からも、人生の節目や精神的な内面が緊張状態にある場面で、「内界と外界の一致」、「意味のある偶然の一致:共時性(シンクロニシティ)」を体験したことがあります。
読者の方々にも、そのような経験をされた事があると思います。
人生の重要な場面における偶然を、「単なる偶然」と考えるか、それとも「意味のある偶然」と考えるかで、その意味合いが全く異なってきます。
私は、「意味のある偶然」と考えるほうが、より豊かな人生となると思います。なんでもかんでも「意味のある偶然」だと安易に捉えないという条件付きですが。
参考記事:シンクロニシティの具体例に関する記事
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