麻布十番で歴史に思いを馳せる:カルロス・ゴーン居住のマンション/麻布一本松/西町インターナショナルスクール
- 2019/02/17
- 21:10
前回の「麻布十番で薄幸の少女(きみちゃん)を思う」では、麻布十番にある「きみちゃん像」を訪れました。
童謡「赤い靴」のモデルとなった少女が実在し、
アメリカに渡れぬまま孤児院で亡くなったこと、そしてその事実を少女の母親、「赤い靴」を作詞した野口雨情も知らなかったことをお話しました。
今回は、「麻布台から麻布十番散策」の第4弾として、麻布十番界隈の歴史的な場所や最近話題のカルロス・ゴーンが住んでいたマンションなどを見ていきます。
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(麻布一本松)
「きみちゃん像」のある道(大黒坂)を登っていくと、
下の写真のような「麻布一本松」が見えてきます。
江戸時代を通じて麻布のシンボルであり、現在の松はもちろんオリジナルではありませんが、代々植え継がれているものです。
また、ここは珍しい「坂の密集地」で、
「大黒坂」「暗闇坂」「狸坂」「一本松坂」の4つの坂が十字路を形成しています。
(元麻布ヒルズ)
一本松坂を歩いていくと、下の写真のような異形の高層マンションが現れます。
最近話題のカルロス・ゴーンが居住していた「元麻布ヒルズ」です。
新聞報道によれば、カルロス・ゴーンのマンション経費は日産が支出していましたが、現在は支出を止めたので、カルロス・ゴーン一家は転居したようです。
ランドマーク的な存在で、この界隈を歩いているとどこからでも見ることができる巨大なマンションです。
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(西町インターナショナルスクール)
この一本松坂を右に入ると「西町インターナショナルスクール」があります。
東京都選定歴史的建造物に指定されており、
明治の元勲・松方正義の子息夫妻の私邸として建てられ、ここで駐日アメリカ大使ライシャワー夫人となる松方春子が育った家です。
また、この邸宅は、メンタームを製造・販売している「近江兄弟メンターム」の創業者で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計したものです。
メレル・ヴォーリズは戦前・戦後にわたって日本で活躍した異色の人物ですが、本ブログでは「お茶の水→水道橋散策(3)」で取り上げましたので、ご関心のある方はこちらの記事をお読みください。
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(がま池)
この西町インターナショナルスクールの少し先に駐車場がありますが、
この駐車場から、(木々や竹で見にくいのですが)がま池の一部を見ることができます。
以前は、この場所にマンションが建っていたので、がま池の水面を見ることができなかったそうです。
ここにマンションがまた建設されると、一般の人は見ることができなくなってしまうと思います。
がま池は、江戸時代に旗本山崎主税助(やまざきちかのすけ)の屋敷内にあった池で、
前回の「麻布十番で薄幸の少女(きみちゃん)を思う」でご紹介した「十番稲荷神社」にある「ガマ像」にその説明があります。
それによれば、近隣に火事があり山崎主税助の屋敷が類焼を免れたのは、池にいた大ガエルが口から水をふいて火を消したとされています。
池の規模はかなり小さくなりましたが、この「がま池伝説」のおかげで、今でも建物に囲まれた中央に池が残っています。
かつて麻布には大小50ほどの池が存在していたと言われるほど、湧水の豊かな土地で、
その湧水を利用して金魚養殖が盛んに行われていたことは、「地形と歴史を変えた六本木ヒルズ(散策)」でご紹介しました。
下の写真は、都心の同じような条件のもとで今でも営業している、文京区本郷にある金魚屋の「金魚坂」です。店主は七代目で、地下水で金魚を飼育しているそうです。
(世田谷区の明神池跡)
似たような話は「五島美術館と明神池跡」で書いたことがあります。
かつて世田谷区上野毛には明神池という美しい池がありましたが宅地開発で全て埋められてしまいました。
埋め立て後、付近一帯で火災が相次ぎ、ある老人が「明神様を祀って欲しい」とのお告げを受けたことを受けて、現在は明神池跡に祠が建っています。
日本各地にはこのような言い伝えや伝説がありますが、池があればいざというときに消防の役にもたつし、清らかな湧水があれば飲料水としても使えるわけで、
古来からの言い伝えや伝説を単に迷信として片付けるのではなく、そこには深い意味があると考えることも大事だと思います。
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次回は、「麻布台から麻布十番散策」の最終回として、アメリカ・プロシアの公使館跡などを訪れます。
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