麻布十番で薄幸の少女(きみちゃん)を思う:赤い靴/きみちゃん像/十番稲荷神社
- 2019/02/14
- 05:39
前回の「麻布台から麻布十番に下る(散策)」では、
江姫ゆかりの「西久保八幡神社」を訪れ、麻布台の大名屋敷跡にある「外務省飯倉公館」や「ロシア大使館」などを見てきました。
今回は、「麻布台から麻布十番散策」の第3弾として、麻布台からの坂道を下って、麻布十番を訪れます。
麻布十番には、童謡「赤い靴」のモデルとなった少女「きみちゃん」の像がありますので、薄幸の少女「きみちゃん」について書いてみたいと思います。
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(十番稲荷神社)
前回の「麻布台から麻布十番に下る(散策)」で下った「狸穴坂」、「鼠坂」をさらに進んでいくと、広い通りに面して「十番稲荷神社」があります。
先の大戦時の空襲によって消失した末広稲荷神社と竹永稲荷神社が、戦後に合祀して再建された神社です。
ここには、港区七福神の「宝船」があり、
宝船の「宝」の文字の金箔がご利益を頂いた方からのお礼として貼られたと書かれています。
宝くじ購入を予定されている方はぜひお参りしたらいいのではないでしょうか(^^
また、ここには、「がま池伝説」のガマ像があります。
この「がま池」は実際に存在するのですが、これについては次回の記事で詳でしく書きたいと思います。
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(麻布十番商店街)
「十番稲荷神社」の近くに麻布十番商店街があります。
この麻布十番商店街にはテレビでよく紹介されるお店が沢山あるので、ここで時間をかけて散策するのもいいかと思います。
(きみちゃん像)
この麻布十番商店街近くの広場(パティオ十番)に「きみちゃん像」があります。
童謡「赤い靴」は大正10年(1921年)に野口雨情が作詞、本居長世(もとおり ながよ)が作曲した美しく物悲しい童謡ですが、
そのモデルとなった少女の名前は、「岩崎きみ」といい、明治35年(1902年)静岡市に生まれた実在の少女です。
少女の母親は「きみちゃん」を連れて、北海道に渡りそこで再婚しますが、開拓農場の厳しさなど様々な事情から、「きみちゃん」は3歳でアメリカ人宣教師夫妻に預けられ養女になりました。
そのアメリカ人宣教師夫妻は帰国の際「きみちゃん」をアメリカに連れて行こうとしましたが、不幸にも「きみちゃん」は結核に侵され、アメリカに連れていけなくなったため孤児院に預けられ、その孤児院で亡くなりました。
その孤児院のあった場所が上述した「十番稲荷神社」にあった「鳥居坂教会」です。
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しかし、「きみちゃん」の母親はそのことを知らず北海道で暮らしていました。
同じ時期に、母親の夫が職を得た北海道新報という新聞社に野口雨情が勤めており、この関係で「きみちゃん」の母親と親交を持つようになり、「きみちゃん」の話を知るようになりました。
「きみちゃんは、アメリカで幸せに暮らしていますよ」というような会話があったと思いますが、
そのような会話の中から、野口雨情がイメージして作った歌が「赤い靴」です。
つまり、「きみちゃん」の母親も野口雨情も、「きみちゃん」が孤児院で亡くなったことを知らなかったわけです。
このような経緯を知って、童謡「赤い靴」を聞くとなんともやるせない気持ちになります。
(上述の話については異説があるようですが、定説をご紹介しました。ただし、きみちゃんは実在の少女であること、母親はきみちゃんが宣教師に連れられて渡米したと信じきっていたことは事実のようです)
なお、「きみちゃん」が預けられた「鳥居坂教会」は現在も存在し、「きみちゃん像」から歩いて10分ほどのところにあります。
ただし、きみちゃんが預けられた孤児院はこの「鳥居坂教会」の別棟で上述の「十番稲荷神社」のあった場所に置かれていました。
(横浜山下公園の赤い靴の像)
横浜の山下公園にも「赤い靴はいてた女の子の像」(下の写真)が置かれていますが、
♪「赤い靴 はいていた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった」♪
♪「横浜の 波止場から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった」♪
という歌のイメージを基に建てられたもので、歴史的な背景はありません。
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次回は、「がま池伝説」の「がま池」や最初のアメリカ公使館跡、今話題のカルロス・ゴーンが住んでいたマンションなどを訪れてみます。
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