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麻布・我善坊谷を散策:森ビルによる再開発/日本国憲法草案審議の地/吉田苞竹記念会館

「港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)」で、港区は昭和22年(1947年)に、芝区・赤坂区・麻布区の3つの区が合併してできた新しい区であると書きました。

これら旧芝区・旧赤坂区のうち、本ブログではこれまで、

旧芝区については、


旧赤坂区については、

「六本木トライアングルを散策」シリーズ(一部旧麻布区を含む)

で散策してきました。

こうしてまとめてみると、港区を結構散策していますが、港区は歴史的・地形的に面白い地域ですので、これだけ多くの散策をしてきたのだと思います。

今回のシリーズでは、旧麻布区に絞って、麻布台から麻布十番を散策してみたいと思います。

第1弾の今回は我善坊谷(がぜんぼうだに)とその再開発などについて書いてみます。



☆☆☆
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(日本国憲法草案審議の地)


地下鉄・六本木一丁目駅から
我善坊谷 六本木一丁目駅 


泉ガーデンを出て、
我善坊谷 泉ガーデン 


サウジアラビア大使館(下の写真)方向に行くと、
我善坊谷 サウジアラビア大使館 


サウジアラビア大使館脇の「六本木麻布台ビル」の敷地に、「日本国憲法草案審議の地」碑が置かれています。
我善坊谷 日本国憲法草案審議の地1  我善坊谷 日本国憲法草案審議の地2


終戦後、この地には外務大臣公邸があり、連合国総司令部(GHQ)と日本国政府の間で草案審議が行われたため、この碑が建てられました。

現在、憲法改正の議論が進められていますが、70年以上前にこの地で草案審議が行われたことを思うと感慨深いものがあります。

ご参考までに、下の写真は連合国総司令部(GHQ)があった、千代田区丸の内にある「第一生命館」です。
我善坊谷 第一生命館 


(我善坊谷での再開発)


この「日本国憲法草案審議の地」碑からやや南に行くと、我善坊谷(がぜんぼうだに)を一望できる場所があります。
我善坊谷 我善坊谷を一望 


「地形と歴史を変えた六本木ヒルズ(散策)」の「我善坊谷での再開発」の章で書きましたが、森ビルによる再開発が進められている様子がよくわかります。

私はこの我善坊谷には何回も来たことがあります。来るたびに、地上げが進み空き家が増えており、まさに「デスバレー(死の谷)」といった雰囲気です。
我善坊谷 空き家1  我善坊谷 空き家2


下の写真は、別の場所から撮った我善坊谷です(東京メトロ・神谷町駅近くにある三年坂から撮った写真)。
三年坂から見た我善坊谷 



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(歴史遺産の喪失)


この我善坊谷は、江戸時代には下級武士が住んでいた地域で、その名残が今でもあります。

下の写真のようなクランク状の道はその名残の一つで、江戸防御のため、攻め込んできた敵が一気に攻め込まないようにする工夫で、武家地跡にはよく見られるものです。
我善坊谷 クランク状の道1901 


また、江戸時代のものと思われる石垣もあったのですが、すでに取り壊されていました。

下の写真は、赤坂の円通寺坂近くにある、下級武士屋敷の石垣跡ですが、このような石垣が我善坊谷にもありました。写真を撮っていなかったのが悔やまれます。
我善坊谷 赤坂円通寺坂付近の石垣1  我善坊谷 赤坂円通寺坂付近の石垣2


また、下の写真は我善坊谷にある、書家の吉田苞竹(よしだ ほうちく)の邸宅跡に建てられた「吉田苞竹記念会館」ですが、すでに閉鎖されています。この歴史的な建物も取り壊されるのではないでしょうか。
我善坊谷 吉田苞竹記念会館1  我善坊谷 吉田苞竹記念会館2


「地形と歴史を変えた六本木ヒルズ(散策)」で書いたように、森ビルによって建てられた六本木ヒルズは歴史的な遺構への配慮なく建設されましたが、

この我善坊谷でも、同じような手法で開発されることを危惧しています。


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(江姫の荼毘道)


第二代将軍・徳川秀忠の正室であり、第三代将軍・家光の生母でもある江姫(崇源院)は江戸時代では珍しい火葬に付されましたが(すべての歴代将軍、御台所は土葬でしたが、江姫だけが火葬に付されました)、

その火葬の際に、江姫の遺体は増上寺から現在の六本木墓苑付近(下の写真)の荼毘所に移されました。
我善坊谷 六本木墓苑1 


その荼毘道の一区間がこの俄然防谷でした。

そのことを思うと、このデスバレーのような我善坊谷は、まさに荼毘道にふさわしい土地だったような感じがしてきます。

増上寺から荼毘所までの1.8Kmの荼毘道には白い布を敷き、1間(1.8m)間隔で警備の武士が配置されたと言いますから、

この我善坊谷に住んでいた武士たちは、沿道で江姫の遺体を守る警備にあたったと思われます。

なお、江姫がなぜ火葬されたかについては、毒殺を隠蔽するためであるとか、火葬を推奨していた浄土真宗を江姫が信仰していたなどの説がありますが、今でも謎とされています。


(大名屋敷地区との断絶)


この我善坊谷地区を歩いて実感するのは、谷底と上の台地のアクセスがないことです(下の写真。港区が設置した地図に筆者が補足説明を加えたもの)。
我善坊谷 大名屋敷と下級武士地区との断絶


次回訪れますが、外務省飯倉公館や麻布郵便局がある高台の場所は大名屋敷があった場所で、

そこには大名屋敷の塀が長い距離に渡って続いており、我善坊谷地区から道を作ろうにも、作りようがなかったためで、その名残が今でも残っているわけです(下の写真は我善坊谷から見た大名屋敷跡)。
我善坊谷 大名屋敷跡に建つビル 


今後このシリーズで訪れる麻布十番・元麻布界隈の善福寺周辺でもおなじような現象が見られます。

また、「丸の内・八重洲のちょっと知らない史跡・見どころ(最終回)」で、丸の内側(大名屋敷跡側)と八重洲側(町人街側)の間のアクセスが悪いことを書きましたが、これも江戸時代の名残と考えられます。


☆☆☆
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次回は、江姫ゆかりの西久保八幡神社を訪れ、麻布台地の高台から麻布十番に下って行きます。港区は多くの坂がある場所だということがよく分かります。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ

リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。

東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。

投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

X(旧ツイッター)にも投稿しています。X(旧ツイッター)のリンク先は、https://twitter.com/QQkatsu525

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