古道について(2):古道の特徴
- 2019/01/16
- 18:12
だいぶ間が空きましたが、前回の「古道について(1):古道の定義」の続きを書いてみたいと思います。
(古道は意外と残る)
古道研究家の荻窪圭氏が述べていることですが、古道は意外に残っていることが多いです。
「ニューヨークに行った人ならわかるが、タイムズスクエアのあたり、碁盤目の整然とした区画の真ん中を斜めに走る幹線道路が1本ある。お馴染みのブロードウェイだ。なぜ1本だけ斜めなのか。実はかつてマンハッタン島にいたネイティブアメリカンが使っていた道・・・いわばマンハッタンの古道だったのである。(中略)道は意外に残るのだ」(東京古道散歩(中経の文庫))
下の写真は、ニューヨーク市(NYC)による公式地図(official New York City Map)のタイムズスクエアを中心とする部分の地図ですが、斜めに走るマンハッタンの古道(ブロードウェイ)がはっきりと見られます。
そうなんです。いままで知らずに歩いていた道が実は室町時代・鎌倉時代にまで遡る古道だったと知って驚くことがあります。
例えば、若者で賑わう渋谷の道玄坂、宮益坂も古道です(下の写真は、道玄坂下につながる渋谷駅西口のスクランブル交差点と道玄坂にある供養碑)。
道玄坂、宮益坂は大山街道の一区間であり、昔から多くの人々に使われてきた古道です。
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(古道(準古道)のサイン(ポイント))
古道(準古道)には、以下のような特有のサイン(ポイント)がありますので、これらを念頭に置きながら歩くのも楽しいものです。
(1)尾根道
原則として古道は尾根道を通ります。
「港区の尾根道を歩く(1)」でご紹介した「二本榎通り」、「東工大キャンパスを散策」でご紹介したキャンパス内にある古道も尾根道でした。
アスファルトやコンクリートのない時代は当然ながら道は泥道で、低地は水はけが悪く、少しでも雨が降るとぬかるんでしまいました。
このため、雨が降っても乾きやすい尾根道が選ばれました。
また、尾根道は見通しもよく、夜であっても月明かりで明るいことも理由にあります。
湿った低地を道として使うようになったのは、アスファルトやコンクリートで人工的に「乾いた道」にしてからです。
(2)道標、庚申塔
古道(又は準古道)には道標や庚申塔が置かれていることがよくあります。
上述した道玄坂にも供養碑がありますし、「東京大仏を見に行く(1)」でご紹介した鎌倉街道にも庚申塔がありました。
(3)寺社
古道(準古道)沿いには寺社が建てられることが多いです。
「東工大キャンパスを散策」でご紹介したキャンパス内にある古道脇にも神社がありました。
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(4)境界線
「東工大キャンパスを散策」で書きましたが、目黒区と大田区の区境が不自然な形で引かれていることを調べていくと古道を区境にしていることが分かったように、
川(堀)や古道(準古道)は境界線になることが多いです。
例えば、千代田区と千代田区周辺の区(中央区、文京区、港区、新宿区)の区境の多くの部分は、江戸城の外堀が区境となっています。
(5)不自然な形状
幹線道路を歩いていると、不自然な形状に出くわすことがあります。
例えば、北千住にある新日光街道と旧日光街道の交差する場所にある三角形の土地です。(旧日光街道の散策は「史跡の宝庫(3):南千住・北千住を訪ねる」を御覧ください。)
下の概略図にメモしていますが、元々あった土地が新日光街道によって削られたため、三角形の土地が残ってしまいました(右の写真は道路脇にある足立区設置の地図に筆者が補足したもの)。
このような「不思議な三角形」「謎の三角形」は注意して見ていると結構あります。
もう一つの例は、中原街道の旗の台交差点に見られる不自然な形状です。
ここは以前立会川が流れていました(今は暗渠)。
最小限の資材・労力で橋を架けるためには、下の図のように、道は川と直角に交差する必要があります(右の写真は、東急電鉄・旗の台駅に設置されている地図に筆者が補足したもの)。
このため、旧道はこのような角度のある急カーブのある道を建設する必要がありました。
しかし、立会川が暗渠化された後は、自動車が走りやすい緩やかなカーブになるように新たに道が作られました。このようにして不思議な形状が出来上がったわけです。
「勝海舟は西郷隆盛と会見するために池上本門寺に赴いたのか?」で勝海舟は(当時の基幹道であった東海道ではなく)中原街道を使って池上本門寺に行ったと推測しましたが、
そうであれば、勝海舟はこの旧道を通り立会川に架かっていた橋を渡ったはずです。
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このようなサイン(ポイント)を頭においておくと散策も楽しくなると思います。
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