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東大にもあった怨霊思想(散策):ジョサイア・コンドル像/呪いの灯籠(蛇塚)/正門/中央食堂

前回の「東大で弥生式土器発見地を探す」では、弥生式土器の発見地を探しながら浅野キャンパス内を歩いたり、サトウハチロー旧居跡やお化け階段を見てきました。

今回は「東大散策」シリーズの第3弾として、東大のメインキャンパスである本郷キャンパスを散策します。

正門や安田講堂がある最も東大らしいところですが、怨霊思想によって移動することのできない灯籠がある場所でもあります。

「日本の知の最高峰である東大で怨霊思想とは?」と驚かれるかもしれませんが、説明は後ほど。

なお、この記事は日本の怨霊思想に関する私の見解を述べていますので、「日々思うこと」のカテゴリに入れています。



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農学部のある弥生キャンパスから陸橋を渡って本郷キャンパスに向かいます。
東大 本郷キャンパスへ通じる陸橋 


(戦前のマンホール)


下を見ながら歩いてみましょう。

下の写真のような「東京帝國大學」と書かれたマンホールがみつかると思います。
東大 マンホール1  東大 マンホール2


この「東京帝國大學」と書かれた戦前からのマンホールは、東大構内を歩いていると結構見つかりますので、

上ばかりでなく、下を見ながら歩いてみるのもいいかと思います(笑


(ジョサイア・コンドル像)


少し歩くと、下の写真のようなジョサイア・コンドルの立像があります。
東大 ジョサイア・コンドル像1  東大 ジョサイア・コンドル像2


東大キャンパス内には多くの像がありますが、立像はこのジョサイア・コンドル像のみです。

ジョサイア・コンドルは本ブログでも度々出てきましたが、

東大 ジョサイア・コンドル 三菱一号館 

東大 ジョサイア・コンドル ニコライ堂 

岩崎家納骨堂(「静嘉堂文庫・岡本公園民家園の緑の中を散策」)などを設計した建築家です。
東大 ジョサイア・コンドル 岩崎家納骨堂 

ロンドンに生まれ、建築学を学んで、明治10年(1877年)日本政府との雇用契約で来日しました。

教え子として、辰野金吾、片岡東熊などがいます。



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(呪いの灯籠:日本の怨霊思想)


さて、このジョサイア・コンドル像の後ろにある工学部1号館(下の写真)は登録有形文化財に指定されている建物ですが、
東大 工学部一号館 


このジョサイア・コンドル像の横、工学部1号館の前に、

下の写真のような古びた灯籠がポツンと取り残されたように置かれています。
東大 灯籠1  東大 灯籠2


江戸時代、この本郷キャンパスは加賀百万石前田家の大名屋敷で、この灯籠のあった場所は、

加賀藩の女中屋敷がありました。

そこで不義をした女中は折檻され、処刑されましたが、その処刑された女中への弔いのためにこの灯籠が建てられました(名前は「蛇塚」と言うそうです)。

その後、加賀藩前田家の屋敷を東大が引き継ぎ、この辺り一帯を再開発しようとしましたが、その度に事故が起き、結局再開発は中止されました。

現在でも、灯籠の「たたり」を恐れて手付かずのまま残されています。

日本の知の最高峰である東大でも、このような「たたり」を恐れていることに驚かされます。


「将門の首塚」をご紹介し、

この「将門の首塚」のある場所を区画整理しようと、GHQや大蔵省(当時)が「将門の首塚」をどけようとしたところ、不審な事故が相次いだので、結局残したことをお話しました。

このことを書いた当時の新聞の切り抜きです
東大 将門の首塚 新聞切り抜き1


下の写真は拡大したもの。
東大 将門の首塚 新聞切り抜き2 拡大


丸の内の大企業や大蔵省(当時)で働く人たちは、日本の知の上層部に属する人たちだと思いますが、このような人たちでも「たたり」を恐れるということは、

日本に古代からある「怨霊思想」がいかに根強く日本人の精神に根付いているかを物語るもので興味深い話です。

本ブログでは、「鎌倉・妙本寺で比企一族の秘話を思う(散策)」の「蛇苦止堂(じゃくしどう)」の章でも、怨霊思想について書いています。



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(正門)


この近くには、「正門」があります。
東大 正門 


東大の正門は「赤門」だと勘違いされることが多いのですが、赤門は通用門であって「正門」ではありません。

門衛所と合わせて登録有形文化財に指定されています。
東大 正門と門衛所 


(安田講堂)


この正門からは有名な銀杏並木があり、
東大 正門前銀杏並木 


その向こうに安田講堂があります。
東大 安田講堂 


安田財閥の創始者、安田善治郎の匿名を条件での寄付により大正14年(1925年)に作られましたが、

大磯の別邸で右翼に暗殺された安田善次郎を偲んで、「安田講堂」と呼ばれています(正式名称は「大講堂」)。

また、昭和44年(1969年)1月、東大安田講堂攻防戦がありました。

全共闘(全学共闘会議)と新左翼の学生が安田講堂を占拠し、警察と衝突した事件ですが、その時の建物の傷跡が今でも残されています。
東大 安田講堂 傷跡 


今の穏やかな東大キャンパス内を歩いていると、信じがたい当時の状況でしたが、人口に占める若年人口の比率が高いときは、このような過激な行動が起きるのかもしれません。

現在のイスラム圏の国々は若年人口の比率が高いので、イスラム過激主義がはこびっているとも考えられます。


(東大の校章)


銀杏といえば東大のシンボルで、安田講堂にも銀杏のシンボルのレリーフがあります。
東大 安田講堂 銀杏 シンボル 


東大の校章も銀杏ですね。
東大 銀杏 校章 


(中央食堂)


ちょうど、昼時になりましたので、この安田講堂の下にある「中央食堂」に行きました。
東大 中央食堂1  東大 中央食堂2


ところが、すごい混雑ぶりでしたので、
東大 中央食堂 混雑ぶり 


他を見学し、時間をずらして行きました。中央食堂は、下の写真のように結構長い時間営業しています。
東大 中央食堂 営業時間 


その時の中央食堂の様子です。ずいぶん空いてきましたね。
東大 中央食堂 空いてきた状態 


私の選んだランチです。
東大 中央食堂 ランチ 


また、この中央食堂にはカフェがあります。
東大 中央食堂 カフェ 


東大近辺では、コンセント付きのお店が少ないので不便するのですが、このカフェにはコンセントがあるのでとても便利です。
東大 中央食堂 カフェ コンセント 


なお、東大構内には下の写真のような屋台があり、食事を取ることができます。
東大 屋台 


次回も東大キャンパス内を散策します。


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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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