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黒柳徹子(トットちゃん)の実家はどこにあった?:千束と長原散策 /赤松小学校/トモエ学園/高橋ひとみ/淡谷のり子/本牧亭/千代大海

前回の洗足池を散策では、「勝海舟夫妻の墓所」や「日蓮聖人袈裟掛けの松」など重要な史跡が多くある洗足池周辺を散策しました。

今回は「大岡山・洗足池散策」の第3弾として、

洗足池の近くにある千束と長原を散策しながら、黒柳徹子(トットちゃん)の実家がどこだったのか探したり、一見地味なこの地域についてお話したいと思います。

なお、大田区北千束界隈の散策については、「岩下志麻の自宅を探訪しながら大岡山・北千束散策」でも書いています。

(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人関連のカテゴリ」がありますので、ご関心のある方はこちらを御覧ください。



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(千束と洗足)


前回の洗足池を散策で書いたように、この地域では「千束」と「洗足」が入り混じって表記され、分かりにくくなっています。

例えば、東急池上線の「洗足池駅」、東急目黒線の「洗足駅」、東急大井町線の「北千束駅」と、「千束」と「洗足」が入り混じった3つの駅がこの界隈に集中しています。
黒柳徹子 トットちゃん 洗足池駅  黒柳徹子 トットちゃん 洗足駅  黒柳徹子 トットちゃん 北千束駅

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前回の洗足池を散策で、この地域で「千束」と「洗足」の地名がなぜ入り混じっているか説明すると書きましたので、この記事で詳しく書きたいと思います。  

元々、江戸時代以前より、この地は馬込村の飛び地として「千束村」がありました。

「千束」とは稲の「千の束」を指す農業関連の言葉で、日本全国各地には「千束」という地名が多くありますし、東京23区では浅草の北に千束という地名があります

このように、元々は農業用語の「千束」だったのですが、江戸後期より、日蓮聖人の袈裟懸け伝説が流布され、「洗足池」と当て字され始めました(日蓮聖人の袈裟懸け伝説については、前回の洗足池を散策をご参照下さい)。

また、田園調布界隈を歩く(1)でご説明した「田園都市株式会社」が田園調布とともに開発した、現在の洗足駅付近の分譲地を「洗足田園都市」と呼ぶようになりました。

このような経緯があり、この地域では「千束」と「洗足」が入り混じって使われるようになったわけです。


(黒柳徹子が通った学校:赤松小学校)


さて、この「北千束駅」ですが、下の写真の通り小さな駅で、一日の乗降人員が3,500人前後の、大井町線で最も乗降人員の少ないローカルな駅です。
黒柳徹子 トットちゃん 北千束駅舎 

この北千束駅のそばに「大田区立赤松小学校」があるのですが、
黒柳徹子 トットちゃん 赤松小学校 


黒柳徹子の自伝的ノンフィクション「窓ぎわのトットちゃん」に出てきたトットちゃんが退学させられた小学校です。
黒柳徹子 窓際のトットちゃん 


同書には、次のように書かれています。

「例えば、トットちゃんが、退学になった、その前の学校では、放課後、(中略)生徒たちは、こう歌った。『赤松学校、ボロ学校! 入ってみたら。いい学校!』」

「窓ぎわのトットちゃん」には、「トットちゃんが、小学校一年生なのにもかかわらず、すでに学校を退学になった」という記述がありますので、小学校1年生で退学になったようです。

小学校1年で退学とは・・・なんとも凄いですね。

赤松小学校は、田園調布小学校・山王小学校とともに、大田区の三大ブランド校ですが(全て大田区立の小学校です)、

このような秀才学校では、自由奔放なトットちゃんは馴染めなかったのではないかと思います。

なお、赤松小学校は明治12年(1879年)に創立した歴史ある小学校で、

東工大キャンパスを散策でご紹介した、古道脇にある赤松稲荷大明神のそばに最初の学校が建てられたので「赤松小学校」と命名されました。
黒柳徹子 トットちゃん 赤松稲荷大明神1  黒柳徹子 トットちゃん 赤松稲荷大明神2 




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(学習研究社創業者の邸宅跡)


この赤松小学校近くに、学習研究社(学研)の創業者である古岡秀人(ふるおかひでと)の邸宅跡があり、
黒柳徹子 トットちゃん 古岡秀人1  黒柳徹子 トットちゃん 古岡秀人2


現在は、学研グループの「学研ココファン」の事業所となっています。
黒柳徹子 トットちゃん 学研ココファン事務所 


かつて赤松小学校と学習研究社は協業関係にあったようで、赤松小学校が名門校となったのもそのような関係があったからかもしれません。



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(黒柳徹子の通った学校:トモエ学園)


トットちゃん(黒柳徹子)ですが、赤松小学校を退学させられた後、自由が丘にあった「トモエ学園」に転入します。

そのトモエ学園は既にありませんが、そのトモエ学園のあった場所(自由が丘ピーコックの前)に碑が残されています。
黒柳徹子 トットちゃん トモエ学園 ピーコック前1  黒柳徹子 トットちゃん トモエ学園 ピーコック前2


「Notre Havre de Liberté et de Création 自由と創造の我等が母港」とフランス語とその直訳の日本語が書かれています。

「窓ぎわのトットちゃん」のあとがきで、黒柳徹子が、

「トモエのあった場所は、東横線の自由が丘の駅から歩いて三分、現在は、ピーコック・スーパーストアと、その駐車場になっています。この前、なつかしくて、(中略)車で行って、いま駐車場になっているあたり・・・・・・電車の教室や、運動場だったとこ・・・・・・を見ようとして徐行しました」

と書いている駐車場です(下の写真)。
黒柳徹子 トットちゃん トモエ学園 ピーコック前3 


(黒柳徹子(トットちゃん)の実家はどこにあったか?)


さて、黒柳徹子の実家ですが、本当のところは、ご本人に聞かないと分からないことではありますが、推測してみます。

【推測1】
まず、この地域に戦前から住んでいた方が運営しているブログに(下の写真)、
黒柳徹子 トットちゃん 実家の記述のあるブログ1  


「私が住んでいたところのヒントとして最近テレビで見かける黒柳徹子が住んでいた所の近くの荏原区側(筆者注:現在の品川区)の所です。」というコメントがありました(下の写真の青色の下線部分)。

黒柳徹子 トットちゃん 実家の記述のあるブログ2


つまり、現在の品川区に住んでいたとの証言です。

【推測2】
「窓ぎわのトットちゃん」には、わずかですが自宅付近の描写があります(トモエ学園に電車通学していた時の話です)。

「マサオちゃーん」という章の中にあるマサオちゃんの住んでいる長屋の記述です。以下その引用です。

「この長屋は、トットちゃんの乗る大井町線の線路に面していて、少し高く、ガケのようになっているところにあった」
「あるとき、トットちゃんが、学校の帰りに、この小さいガケの下を通ったときだった」

大田区と品川区の区境付近にはこの記述に当てはまる場所があります(下の写真)。
黒柳徹子 トットちゃん マサオくんの自宅付近 


【推測3】
黒柳徹子の父親はコンサートマスターも務めたバイオリニストの黒柳守綱、母親は音楽家でエッセイストの黒柳朝(くろやなぎ ちょう)で、裕福な家庭でした。

トットちゃんが退学させられた赤松小学校は大田区北千束に属しますが、この地域は品川区、目黒区に近接した住宅地で、

品川区側には、「田園都市株式会社」が分譲した「洗足田園都市」地区が、上述したマサオちゃんの地区の少し先にあります。

この洗足地区では、今でも下の写真のような大きな邸宅が建ち並んでいますので、
黒柳徹子 トットちゃん 実家付近1  黒柳徹子 トットちゃん 実家付近2


黒柳徹子(トットちゃん)の両親のような裕福な家庭がこの地区に居を構えたことは十分考えられます。

以上を踏まえると、自由が丘にあるトモエ学園に行くために、邸宅の立ち並ぶ品川区洗足地区の実家から、【推測2】で書いたマサオちゃんの長屋付近を通って、大田区側の北千束駅に行っていたと推測されます(近接しているので徒歩で行くことが可能)。

また、退学させられた赤松小学校も北千束駅のすぐそばにありますので、赤松小学校にも徒歩で通学していたと考えられます。

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やや大胆な推測ですが(笑)、当たらずといえども遠からずではないでしょうか。

これが事実だとすれば、黒柳徹子(トットちゃん)は、品川区(当時は荏原区)の実家から大田区(当時は大森区)の赤松小学校に越境入学し(優秀な学校なので両親は越境入学させてもトットちゃんを通わせたかったのだろうと思います)、

退学させられた後は自由が丘(北千束駅から3つ目の駅)まで電車通学していたことになります。

「窓ぎわのトットちゃん」には、トットちゃんが東急大井町線に乗って、自由が丘にあるトモエ学園に電車通学していた記述が随所に出てきますがが、それらの記述の一部を以下にご紹介します。

「自由が丘の駅で、大井町線から降りると、ママは、トットちゃんの手をひっぱって、改札口を出ようとした」
「自由が丘から大井町線に乗って、次の、緑ヶ丘の駅につくまえに、大きなカーブがあって」

この記事を書くにあたって、もう一度「窓ぎわのトットちゃん」を読み返しましたが、ほのぼのとしたいい作品ですね。昔の自由が丘や千束(洗足)の様子も分かり興味深く読みました。

なお、黒柳徹子(トットちゃん)の実家は北千束駅の北側にあったというサイトを見かけたりしますが、これは間違った情報だと思います。

なお、六本木ヒルズを散策でご紹介しましたが、六本木ヒルズの「テレビ朝日アトリウム」にある「徹子の部屋」のセットの写真です(ここで記念写真を撮ることができます)。
黒柳徹子 トットちゃん 徹子の部屋のセット 


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(高橋ひとみ)


女優の高橋ひとみの実家も千束にあり、上述した赤松小学校を卒業しています。

また、この実家を二世帯住宅に建て替えご主人と一緒に住んでいて、洗足池の周りを犬(ゴールデンレトリバー)と一緒によく散歩しているそうです。


(淡路のりこ)(加茂監督)


この北千束には淡谷のり子が住んでいたことがあります。

昭和54年(1979年)5月28日付けの読売新聞(都民版)に、

「この洗足池から南へ約300メートルの所に、歌手・淡谷のり子さんの家がある。昭和11年に北千束から移り住んだ」

と書いてありました。

淡谷のり子は洗足池畔を散策したり、ボート遊びをしていたそうです。

また、元サッカー選手で、サッカー指導者の加茂周(かも しゅう)の自宅もあります(下の写真)。
黒柳徹子 トットちゃん 加茂監督の自宅1  黒柳徹子(トットちゃん)加茂監督の自宅2


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(本牧亭:千代大海行きつけの焼肉店)


この北千束から、徒歩数分の所に東急池上線の長原駅があります。
黒柳徹子 トットちゃん 長原駅舎 


長原駅は普通のローカルな駅ですが、ひとつだけ特別な店があります。

焼き肉の隠れた名店「本牧亭」です。
黒柳徹子 トットちゃん 本牧亭1  黒柳徹子 トットちゃん 本牧亭2


芸能人やスポーツ選手が多く来るらしく、店内にはこれら有名人の色紙でいっぱいです。

千代大海が本牧亭で食事したことをツイートしていました。
黒柳徹子 トットちゃん 本牧亭 千代大海1  黒柳徹子 トットちゃん 本牧亭 千代大海2


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次回は、洗足池にあった4つの水源を散策してみたいと思います。

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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