軍都・赤坂の面影を探る(散策):オフィス北野/一ツ木公園/銀杏が丘/陸軍境界石/近衛歩兵第三連隊の碑
- 2018/11/22
- 14:03
前回の相棒「花の里」ロケ地と勝海舟邸跡では、勝海舟が幕末に過ごした邸宅跡まで歩きました。
今回は、赤坂シリーズの第3弾として、赤坂にあった近衛歩兵第三連隊の面影を探しながら散策したいと思います。
(武家地跡のクランク状の道)
勝海舟邸からほど近いところに、谷間を埋め立て幕臣の屋敷用地としたところがあります。
ここに下の写真のようなクランク状の道が残されています。
地形と歴史を変えた六本木ヒルズ(散策)で我善坊谷に残された武家地の痕跡としてご説明しましたが、江戸時代の武家地では、敵が一気に攻め込めないようにするために、このようなクランク状の道が作られました。
ここのクランク状の道もその名残です。
現在は自動車が通りやすいようにクランク状の形を緩めていますが、江戸時代は鋭角なクランク状の形をしていました。
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(オフィス北野)
ここから、地下鉄・赤坂駅のある大通りに進みますが、
その通りに面して、ビートたけしの独立騒動で話題になった「オフィス北野」があります。
(一ツ木公園)
ここから、下の写真のような階段を登って、
「一ツ木公園」に向かいます。
赤坂の「坂」を散策で書きましたが、元々の赤坂の地名であった「一ツ木」の名前を残している貴重な公園です。
急な階段の途中に「謎のカエル」が置かれています。
赤坂サカスのそばには下の写真のような「不思議な鳥」がいるのですが、赤坂は「謎」の物体が多いですね。「赤坂七不思議」がすぐに作れそうです(^^
一ツ木公園です。
ここに、「公園付近の沿革案内」が置かれていて、
江戸時代は広島藩松平家の下屋敷であったこと、近衛歩兵第三連隊が置かれ、赤煉瓦3階兵舎は町の名物だったことなどが書かれています。
近衛歩兵第三連隊は、現在の赤坂サカス、TBS、この一ツ木公園も含めた広い敷地に駐屯していました。
(三分坂)
一ツ木公園の脇には、赤坂で一番の急坂と言われる「三分坂(さんぷんざか)」があります。
TBSオールスター感謝祭の名物である赤坂5丁目ミニマラソンで「心臓破りの坂」として使われていましたが、事故があって、現在はTBSの敷地内の坂が使われているそうです。
(報土寺)(大関・雷電の墓)(築地塀)
この「三分坂」を下ると、真宗大谷派の報土寺があります。
港区の文化財である築地塀(練塀)が見事です。
また、境内には江戸時代の力士、大関(当時の最高位)・雷電為右衛門の墓があります。
相撲といえば、今の相撲は悪い意味で「スポーツ化」「格闘技化」してしまい、神事としての相撲、武道としての相撲ではなくなってしまっていると思います。相撲の原点に戻った改革が必要だと思いますが、このような声が大きくなることを望みます。
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(銀杏ヶ丘の近衛歩兵第三連隊の碑)
三分坂を登り、TBS方向に戻って、赤坂パークビルに行くと、その北側の敷地内に、
「銀杏ヶ丘」と書かれた黒い石柱があり、
その奥に、近衛歩兵第三連隊の碑があります。
三菱地所の厚意によって、ここに移され安置されたと書かれていました。
(陸軍境界石)
戻って、円通寺坂公園に行くと、下の写真のようなエレベーターがあり、
この地の高低差がいかに大きいかを感じさせるエレベーターです。
このエレベーターで降りて、円通寺坂に行くと、
この円通寺坂には3つの「陸軍境界石」がひっそりと残っています。
一つは「シティーハイツ 一ツ木」という区営住宅の前に、
陸軍境界石があり、「陸軍省所管(地)」と読めます。
もう一つは、自動販売機の脇にある陸軍境界石で、
「陸軍」と読めます。
三つ目は、「鈴振稲荷神社」の案内板の下に少しだけ頭を出しているのですが、
ほとんどが地中に埋まっており文字が読めません。しかし、石の質・大き、置かれている場所から考えて陸軍境界石であると思われます。
なお、この鈴降稲荷神社は、NHK朝ドラ「ひよっこ」のヒロイン(谷田部みね子)が働いていた赤坂の洋食屋「すずふり亭」の裏にあったお稲荷さんのモデルとされています。
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渋谷散策(1)で、渋谷の東急ハンズの向かいに、「旧陸軍用地の標石」(下の写真)があることを書きました。
文化財として指定できないような価値の低い史跡でも、歴史を語り伝える史跡として残しておいて欲しいものです。
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次回も、赤坂の「坂」を巡ります。
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