赤坂の「坂」を散策:赤坂に赤坂はない/溜池山王/勝海舟最初の転居先/変なホテル
- 2018/11/16
- 18:54
今回のシリーズでは、港区赤坂の「坂」を散策しながら、赤坂の成り立ちを探ってみいたいと思います。

また、港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)で、「港区はちょっとした『山岳地帯』である」と書いたように、赤坂は「港区はちょっとした『山岳地帯』である」ことを実感できる場所でもあります。
☆☆☆
(赤坂の由来)
現在の赤坂地域は古くは「一ツ木」と呼ばれていました。
赤坂の地名の由来は、「現在の迎賓館のある場所がかつて赤根山と呼ばれており、そこに登る坂が赤坂」だとか、「松平安芸守下屋敷の山が赤土だったから赤坂と言った」など諸説ありますが、
最も有力な説は、現在の「赤坂プリンスクラシックハウス」(写真左)や「赤坂見附跡」(写真右)付近にあった赤坂町が「一ツ木」に移転してきて現在の赤坂の地名になったという説です。

いずれにしても、元々あった「一ツ木」の地名は、現在では「一ツ木通り」、「一ツ木公園」という名にその痕跡を残すのみになってしまいました。

(赤坂に赤坂はない)
日本全国には坂と名のつく坂道が約4,000あり、その中で最も多い名前が「赤坂」だそうです。
ところが不思議なことに、赤坂には多くの坂がありますが「赤坂」という坂はありません。
また、平成20年(2008年)にオープンした再開発施設の「赤坂サカス」は赤坂には「坂」が多いので、「坂s」なのだそうです。

この他に「花を咲かす」という意味もあるそうです。
(溜池山王)
地下鉄の溜池山王駅7番出口を出ると、

溜池山王交差点があります。私達がいる場所が千代田区永田町で、外堀通りの向こう側が港区赤坂になります。

その名が示すように、かつてここには大きな溜池があり、この交差点付近は溜池の最も深い地点になります(「山王」は近くにある山王日枝神社に由来します)。
渡し船もあったそうです。
後ろを見ると、千代田区側の首相官邸が高台(下の写真)にあり、向かいの港区側は緩やかな登り傾斜になっていて、ここが大きな窪地であることが分かります。

今は改善されたかもしれませんが、少し前までは大雨が降るとこの地点は冠水し、自動車が大きな水しぶきを上げて走っているのを見たことがあります。
江戸初期の頃は水質が良かったため飲料水として使われ、人口が増えて水質が悪化すると、神田上水や玉川上水が使われるようになりました。
(溜池山王駅から出発)
それでは、溜池山王駅から散策に出発しましょう。
外堀通り右手には超高層ビルの「山王パークタワー」がありますが、

このビルは、日本を代表するホテルであった「山王ホテル」の跡地に建てられたビルです。
山王ホテルは国立新美術館を散策でご紹介した、二・二六事件で反乱軍兵士が占拠したことでも知られています。
戦後は連合国軍に接収され、昭和58年(1983年)までアメリカ軍の施設として使われていました。
(ファミリー・マートで腹ごしらえ)
しばらく歩くと、外堀通りの左側(港区側)にファミリー・マートがあります。

ここのファミリー・マートは2階のフロアーすべてがイートインで快適に飲食ができます。

眺望もいいので、散策前の腹ごしらえや散策後の休息にいいのではないでしょうか。

喫煙ルームも用意されています。

(赤坂金龍)
このファミリ・ーマートから赤坂に入り、みすじ通りを進むと「赤坂金龍」(港区赤坂3-17-2。赤坂見附駅より徒歩3分)があります。

ここは、お昼に気楽に入れる料亭(正確には元料亭)で、1,500円のランチがあります。
この金龍は内装がすばらしく堪能できました。
この金龍のランチについては別記事(赤坂料亭で1500円ランチ)に書きますのでそちらをお読み下さい。
(勝海舟邸跡)
みすじ通りをもと来た方向に戻って更にすすむと、勝海舟が新婚23歳のときに。本所(今の墨田区)から転居し、所帯を持ったとされる借家跡があります(赤坂3丁目13番2号)。
焼肉酒場(下の写真)のあたりですが、説明板も何もありません。

勝海舟は本所亀沢町(現在の墨田区両国4丁目にある両国公園)の地で生まれ(下の写真は両国公園にある勝海舟生誕の地の史跡)、

師事していた蘭学の先生(黒田藩中屋敷に住んでいた永井青崖)が近くにいるため、新婚後、赤坂の地に引っ越してきたのですが、
赤坂転居当時は、貧乏のどん底で、夏に蚊帳がなく、冬にも布団がなく、ただ机に寄りすがって眠るのみという有様だったそうです。
赤坂では三ヶ所に住みましたが、残りの二ヶ所の転居先は次回以降の散策で見ていきます。
(変なホテル)
更に、みすじ通りを進むと、下の写真のような階段のある場所に突き当たります。

この階段は、テレビドラマ相棒でおなじみの「花の里」のロケ地ですが、これについては次回の記事で書きたいと思います。
突き当たって、左に曲がると、エイチ・アイ・エス(H.I.S)グループが展開している「変なホテル」があります。

下の写真は2階のロビーです。写真に写っている2人のスタッフは人間ではなくロボットです。

なお、この「変なホテル」付近には黒田藩中屋敷があり、勝海舟が蘭学を師事した永井青崖(ながい せいがい)が住んでいました。上述したすずらん通りにあった勝海舟の借家からは目と鼻の先にあり、永井助吉のもとに通うには好都合だったことが分かります。
(料亭「口悦」跡地)
この「変なホテル」を溜池山王駅方向に歩くと、名門料亭「口悦(こうえつ)」の跡地があります。

自民党一党支配時代、「料亭政治」という言葉がありましたが、当時はこの「口悦」の前には黒塗りの自動車が並んで政治家が出入りしていました。
この口悦の女将のご主人が映画俳優として人気を博した故渡辺文雄だったことはよく知られていましたが、このような話も過去のことになりつつあるようです(続きます)。

また、港区白金・広尾・プラチナ通りを歩く(1)で、「港区はちょっとした『山岳地帯』である」と書いたように、赤坂は「港区はちょっとした『山岳地帯』である」ことを実感できる場所でもあります。
☆☆☆
(赤坂の由来)
現在の赤坂地域は古くは「一ツ木」と呼ばれていました。
赤坂の地名の由来は、「現在の迎賓館のある場所がかつて赤根山と呼ばれており、そこに登る坂が赤坂」だとか、「松平安芸守下屋敷の山が赤土だったから赤坂と言った」など諸説ありますが、
最も有力な説は、現在の「赤坂プリンスクラシックハウス」(写真左)や「赤坂見附跡」(写真右)付近にあった赤坂町が「一ツ木」に移転してきて現在の赤坂の地名になったという説です。


いずれにしても、元々あった「一ツ木」の地名は、現在では「一ツ木通り」、「一ツ木公園」という名にその痕跡を残すのみになってしまいました。


(赤坂に赤坂はない)
日本全国には坂と名のつく坂道が約4,000あり、その中で最も多い名前が「赤坂」だそうです。
ところが不思議なことに、赤坂には多くの坂がありますが「赤坂」という坂はありません。
また、平成20年(2008年)にオープンした再開発施設の「赤坂サカス」は赤坂には「坂」が多いので、「坂s」なのだそうです。

この他に「花を咲かす」という意味もあるそうです。
(溜池山王)
地下鉄の溜池山王駅7番出口を出ると、

溜池山王交差点があります。私達がいる場所が千代田区永田町で、外堀通りの向こう側が港区赤坂になります。

その名が示すように、かつてここには大きな溜池があり、この交差点付近は溜池の最も深い地点になります(「山王」は近くにある山王日枝神社に由来します)。
渡し船もあったそうです。
後ろを見ると、千代田区側の首相官邸が高台(下の写真)にあり、向かいの港区側は緩やかな登り傾斜になっていて、ここが大きな窪地であることが分かります。

今は改善されたかもしれませんが、少し前までは大雨が降るとこの地点は冠水し、自動車が大きな水しぶきを上げて走っているのを見たことがあります。
江戸初期の頃は水質が良かったため飲料水として使われ、人口が増えて水質が悪化すると、神田上水や玉川上水が使われるようになりました。
(溜池山王駅から出発)
それでは、溜池山王駅から散策に出発しましょう。
外堀通り右手には超高層ビルの「山王パークタワー」がありますが、


このビルは、日本を代表するホテルであった「山王ホテル」の跡地に建てられたビルです。
山王ホテルは国立新美術館を散策でご紹介した、二・二六事件で反乱軍兵士が占拠したことでも知られています。
戦後は連合国軍に接収され、昭和58年(1983年)までアメリカ軍の施設として使われていました。
(ファミリー・マートで腹ごしらえ)
しばらく歩くと、外堀通りの左側(港区側)にファミリー・マートがあります。

ここのファミリー・マートは2階のフロアーすべてがイートインで快適に飲食ができます。


眺望もいいので、散策前の腹ごしらえや散策後の休息にいいのではないでしょうか。

喫煙ルームも用意されています。

(赤坂金龍)
このファミリ・ーマートから赤坂に入り、みすじ通りを進むと「赤坂金龍」(港区赤坂3-17-2。赤坂見附駅より徒歩3分)があります。

ここは、お昼に気楽に入れる料亭(正確には元料亭)で、1,500円のランチがあります。
この金龍は内装がすばらしく堪能できました。
この金龍のランチについては別記事(赤坂料亭で1500円ランチ)に書きますのでそちらをお読み下さい。
(勝海舟邸跡)
みすじ通りをもと来た方向に戻って更にすすむと、勝海舟が新婚23歳のときに。本所(今の墨田区)から転居し、所帯を持ったとされる借家跡があります(赤坂3丁目13番2号)。
焼肉酒場(下の写真)のあたりですが、説明板も何もありません。

勝海舟は本所亀沢町(現在の墨田区両国4丁目にある両国公園)の地で生まれ(下の写真は両国公園にある勝海舟生誕の地の史跡)、

師事していた蘭学の先生(黒田藩中屋敷に住んでいた永井青崖)が近くにいるため、新婚後、赤坂の地に引っ越してきたのですが、
赤坂転居当時は、貧乏のどん底で、夏に蚊帳がなく、冬にも布団がなく、ただ机に寄りすがって眠るのみという有様だったそうです。
赤坂では三ヶ所に住みましたが、残りの二ヶ所の転居先は次回以降の散策で見ていきます。
(変なホテル)
更に、みすじ通りを進むと、下の写真のような階段のある場所に突き当たります。

この階段は、テレビドラマ相棒でおなじみの「花の里」のロケ地ですが、これについては次回の記事で書きたいと思います。
突き当たって、左に曲がると、エイチ・アイ・エス(H.I.S)グループが展開している「変なホテル」があります。

下の写真は2階のロビーです。写真に写っている2人のスタッフは人間ではなくロボットです。


なお、この「変なホテル」付近には黒田藩中屋敷があり、勝海舟が蘭学を師事した永井青崖(ながい せいがい)が住んでいました。上述したすずらん通りにあった勝海舟の借家からは目と鼻の先にあり、永井助吉のもとに通うには好都合だったことが分かります。
(料亭「口悦」跡地)
この「変なホテル」を溜池山王駅方向に歩くと、名門料亭「口悦(こうえつ)」の跡地があります。

自民党一党支配時代、「料亭政治」という言葉がありましたが、当時はこの「口悦」の前には黒塗りの自動車が並んで政治家が出入りしていました。
この口悦の女将のご主人が映画俳優として人気を博した故渡辺文雄だったことはよく知られていましたが、このような話も過去のことになりつつあるようです(続きます)。
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