【重要文化財】日本橋高島屋の館内ツアーに行ってきました
- 2018/10/08
- 21:48
日本橋高島屋(下の写真)は平成21年(2009年)に百貨店建築として初の国の重要文化財に指定されましたが、

日本橋高島屋では、毎月第2金曜日の午前11時と午後3時に約1時間の館内ツアーを行っています(無料。要予約)。
先日、この館内ツアーに参加してきましたので、その概要を私の補足説明を加えながらご紹介したいと思います。
ガイドの方は髙島屋勤務48年というベテランの方でした。
☆☆☆
☆☆☆
(建物の歴史)
日本橋高島屋の建設にあたっては、「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」との様式を求め、建築家の高橋貞太郎(たかはし ていたろう)が図案競技(コンペ)で一等に当選し、昭和8年(1933年)に建てられたものです。
高橋貞太郎は大正・昭和期に活躍した建築家で、千代田区にある学士会館や帝国ホテル新本館などの設計を行った人物です。
この昭和8年開店当初の様子が残っているのは正面玄関を入って左側の部分です(下の写真)。

また、昭和8年(1933年)開店当初の日本橋高島屋のジオラマ(写真下)が、地下二階にある髙島屋の直営レストラン「ローズ」にあります。

このジオラマの屋上を拡大すると鹿が飼われている檻があり、当時、屋上には動物園があったことが分かります。

この屋上の動物園には、「高子」(たかちゃん)という像がいたことがあります。以前、髙島屋で展示されていた「高子」(たかちゃん)の写真を掲載します。

この「高子」(たかちゃん)をモチーフにした建造物が屋上にあるのですが、現在、屋上は工事中ですので、同じく展示されていた写真を掲載します。

同じく開店した当時のポスターです。時代を感じさせる絵です。

日本橋高島屋は、開所当時から全館冷暖房装置を備えていたそうで、昭和8年という時代にあれだけ広い空間を冷房していたとは驚くべきことです。
当時、百貨店で全館冷暖房装置を備えた百貨店は日本橋高島屋だけだったそうです。
また、当時は日本生命が建物の所有者であたため、「日本生命館」と呼ばれていました(現在は髙島屋が所有)
上でご紹介した、開館当初のジオラマにも日本生命の略称である「日生館」の文字が見えます。

この高橋貞太郎の意匠を引き継ぎつつ、広島市の世界平和祈念聖堂などを手がけた村野藤吾(むらの とうご)が、約30年間をかけて増築を行いました。
この増築と当初の建築が見事に調和していることも日本橋高島屋の特徴で、重要文化財指定の理由にもなったそうです。
☆☆☆
☆☆☆
(和の伝統様式)
日本橋高島屋は西洋様式の中にも、和風建築の意匠が随所に見られます。
(1) 格天井
和様の仏堂などで見られる、格子を組んだ格天井(ごうてんじょう)の様式が見られます。

(2) 鍵隠し
釘の頭を隠すために用いる和風装飾ですが、この釘隠しの装飾も見られます。

石膏作りのため実際に釘が使われているわけではありませんので、デザインとして使われています。
(3)擬宝珠と蟇股
橋や神社・寺院の階段の柱の上につけられる擬宝珠(ぎぼし)、寺社建築に使われる蟇股(かえるまた)の装飾が、建物正面に見られます。

下の写真は、鎌倉・妙本寺で比企一族の悲話を思うでご紹介した琴弾橋(ことひきばし)の擬宝珠です。

本来の擬宝珠は銅・青銅などの金属で、木材の腐食を雨水から守るために取り付けられます。
蟇股(かえるまた)は、社寺建築で梁(はり)や桁(けた)の上に置かれる、輪郭が山形をした材で、上の荷重を支える部材でしたが、のちに装飾化しました。
蟇股については、北鎌倉・円覚寺散策(1)でご紹介した総門にもありました。

☆☆☆
☆☆☆
(正面玄関の鉄扉と水飲み場)
正面玄関には下の写真のような鉄扉があります。

戦時中の米軍による空襲があったときに、近隣に住む多くの人たちが日本橋高島屋に逃げ込んだ際に鉄扉が閉じられ、防火の役目を果たし、多くの人たちが救われたそうです。
また、写真のような水飲み場跡もあります。

以前は実際に水が出ていたそうですが、現在は装飾として残されています。
以前、館内ツアーに参加していた人が「自分が子供のときにこの水飲み場の水を飲みに来ていた」と話した方がいたとガイドさんが説明していました。
☆☆☆
☆☆☆
(案内係が手で操作するエレベーター)
昭和8年(1933年)開店当初からのエレベーターです。

エレベーターはアメリカのオースチン社のエレベーターで、機械は最新のものに替えられていますが、
創建時のカゴを改修しジャバラが使用され、

手動操作など、当時の面影を残しています。

☆☆☆
☆☆☆
(大理石の壁:化石を探そう!!)
壁にはイタリアから輸入した大理石が使われており、
アンモナイトやベレムナイト(イカの仲間ですが、足が6本の軟体動物)の化石があちこちにあります。

化石がある場所については、受付の方にお願いすれば、下の写真のような「化石が発見できる場所」の資料をもらうことができます。

☆☆☆
☆☆☆
(東郷青児デザインのエレベーター)
東郷青児(とうごうせいじ。戦後の一世を風靡した洋画家・美人画家)のデザインを描いたエレベーターや、

屋外彫刻のパイオニアである笠置季男(かさぎすえお。昭和期の彫刻家)のバルコニーの塑像(南側5階)もあります。
上の私が撮ったバルコニーの塑像は見にくいので、髙島屋が展示していた写真を下に掲載します。

☆☆☆
☆☆☆
(日本橋高島屋限定の紙袋)
「バラ」は髙島屋のイメージフラワーで、昭和27年(1952年)から包装紙・紙袋(下の写真)のデザインにもなっています。

バラが採用された理由は、当時の社長であった飯田慶三が「美の象徴として愛されるバラの花を髙島屋の花としたい」と考えたのが始まりだそうで、
このため、髙島屋に入ると、下の写真のような「ローズちゃん」というバラの花を持った人形が出迎えてくれます。

上でご紹介した髙島屋のジオラマが置かれている、直営レストランの名前も「ローズ」でした。
髙島屋の紙袋もバラの花をイメージしたものになっていますが、本店の日本橋髙島屋だけは建物の外観をイラストしたものを使っています。

これは、平成21年(2009年)に百貨店建築として初の重要文化財に指定されたことを記念して作られた日本橋高島屋限定の紙袋となっています。
なお、日本橋高島屋の隣に、より若い世代の取り込みを目指して、ショッピング型の新館(日本橋高島屋SC)を、今年(2018年)9月25日にオープンしましたが、

その日本橋高島屋SCの紙袋(下の写真)です。

(お土産)
館内ツアーの終了後、開店当時の建物の絵葉書や館内イベントの招待券などをいただきました。

髙島屋のバッジは館内で着けていると、店員と間違われるので注意が必要です(笑
(日本橋高島屋のレストラン)
館内ツアーの後は、日本橋高島屋の中にあるレストランでランチを食べました。
日本橋高島屋には地下2階から8階まで各種のレストランがりますが、これについては別記事(日本橋高島屋でランチ:千疋屋フルーツパーラー)で書きますので、そちらをお読み下さい。

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日本橋高島屋では、毎月第2金曜日の午前11時と午後3時に約1時間の館内ツアーを行っています(無料。要予約)。
先日、この館内ツアーに参加してきましたので、その概要を私の補足説明を加えながらご紹介したいと思います。
ガイドの方は髙島屋勤務48年というベテランの方でした。
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(建物の歴史)
日本橋高島屋の建設にあたっては、「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」との様式を求め、建築家の高橋貞太郎(たかはし ていたろう)が図案競技(コンペ)で一等に当選し、昭和8年(1933年)に建てられたものです。
高橋貞太郎は大正・昭和期に活躍した建築家で、千代田区にある学士会館や帝国ホテル新本館などの設計を行った人物です。
この昭和8年開店当初の様子が残っているのは正面玄関を入って左側の部分です(下の写真)。

また、昭和8年(1933年)開店当初の日本橋高島屋のジオラマ(写真下)が、地下二階にある髙島屋の直営レストラン「ローズ」にあります。


このジオラマの屋上を拡大すると鹿が飼われている檻があり、当時、屋上には動物園があったことが分かります。

この屋上の動物園には、「高子」(たかちゃん)という像がいたことがあります。以前、髙島屋で展示されていた「高子」(たかちゃん)の写真を掲載します。

この「高子」(たかちゃん)をモチーフにした建造物が屋上にあるのですが、現在、屋上は工事中ですので、同じく展示されていた写真を掲載します。

同じく開店した当時のポスターです。時代を感じさせる絵です。

日本橋高島屋は、開所当時から全館冷暖房装置を備えていたそうで、昭和8年という時代にあれだけ広い空間を冷房していたとは驚くべきことです。
当時、百貨店で全館冷暖房装置を備えた百貨店は日本橋高島屋だけだったそうです。
また、当時は日本生命が建物の所有者であたため、「日本生命館」と呼ばれていました(現在は髙島屋が所有)
上でご紹介した、開館当初のジオラマにも日本生命の略称である「日生館」の文字が見えます。

この高橋貞太郎の意匠を引き継ぎつつ、広島市の世界平和祈念聖堂などを手がけた村野藤吾(むらの とうご)が、約30年間をかけて増築を行いました。
この増築と当初の建築が見事に調和していることも日本橋高島屋の特徴で、重要文化財指定の理由にもなったそうです。
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(和の伝統様式)
日本橋高島屋は西洋様式の中にも、和風建築の意匠が随所に見られます。
(1) 格天井
和様の仏堂などで見られる、格子を組んだ格天井(ごうてんじょう)の様式が見られます。

(2) 鍵隠し
釘の頭を隠すために用いる和風装飾ですが、この釘隠しの装飾も見られます。

石膏作りのため実際に釘が使われているわけではありませんので、デザインとして使われています。
(3)擬宝珠と蟇股
橋や神社・寺院の階段の柱の上につけられる擬宝珠(ぎぼし)、寺社建築に使われる蟇股(かえるまた)の装飾が、建物正面に見られます。

下の写真は、鎌倉・妙本寺で比企一族の悲話を思うでご紹介した琴弾橋(ことひきばし)の擬宝珠です。

本来の擬宝珠は銅・青銅などの金属で、木材の腐食を雨水から守るために取り付けられます。
蟇股(かえるまた)は、社寺建築で梁(はり)や桁(けた)の上に置かれる、輪郭が山形をした材で、上の荷重を支える部材でしたが、のちに装飾化しました。
蟇股については、北鎌倉・円覚寺散策(1)でご紹介した総門にもありました。

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(正面玄関の鉄扉と水飲み場)
正面玄関には下の写真のような鉄扉があります。

戦時中の米軍による空襲があったときに、近隣に住む多くの人たちが日本橋高島屋に逃げ込んだ際に鉄扉が閉じられ、防火の役目を果たし、多くの人たちが救われたそうです。
また、写真のような水飲み場跡もあります。

以前は実際に水が出ていたそうですが、現在は装飾として残されています。
以前、館内ツアーに参加していた人が「自分が子供のときにこの水飲み場の水を飲みに来ていた」と話した方がいたとガイドさんが説明していました。
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(案内係が手で操作するエレベーター)
昭和8年(1933年)開店当初からのエレベーターです。

エレベーターはアメリカのオースチン社のエレベーターで、機械は最新のものに替えられていますが、
創建時のカゴを改修しジャバラが使用され、


手動操作など、当時の面影を残しています。


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(大理石の壁:化石を探そう!!)
壁にはイタリアから輸入した大理石が使われており、
アンモナイトやベレムナイト(イカの仲間ですが、足が6本の軟体動物)の化石があちこちにあります。


化石がある場所については、受付の方にお願いすれば、下の写真のような「化石が発見できる場所」の資料をもらうことができます。

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(東郷青児デザインのエレベーター)
東郷青児(とうごうせいじ。戦後の一世を風靡した洋画家・美人画家)のデザインを描いたエレベーターや、


屋外彫刻のパイオニアである笠置季男(かさぎすえお。昭和期の彫刻家)のバルコニーの塑像(南側5階)もあります。

上の私が撮ったバルコニーの塑像は見にくいので、髙島屋が展示していた写真を下に掲載します。

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(日本橋高島屋限定の紙袋)
「バラ」は髙島屋のイメージフラワーで、昭和27年(1952年)から包装紙・紙袋(下の写真)のデザインにもなっています。



バラが採用された理由は、当時の社長であった飯田慶三が「美の象徴として愛されるバラの花を髙島屋の花としたい」と考えたのが始まりだそうで、
このため、髙島屋に入ると、下の写真のような「ローズちゃん」というバラの花を持った人形が出迎えてくれます。

上でご紹介した髙島屋のジオラマが置かれている、直営レストランの名前も「ローズ」でした。
髙島屋の紙袋もバラの花をイメージしたものになっていますが、本店の日本橋髙島屋だけは建物の外観をイラストしたものを使っています。


これは、平成21年(2009年)に百貨店建築として初の重要文化財に指定されたことを記念して作られた日本橋高島屋限定の紙袋となっています。
なお、日本橋高島屋の隣に、より若い世代の取り込みを目指して、ショッピング型の新館(日本橋高島屋SC)を、今年(2018年)9月25日にオープンしましたが、


その日本橋高島屋SCの紙袋(下の写真)です。



(お土産)
館内ツアーの終了後、開店当時の建物の絵葉書や館内イベントの招待券などをいただきました。

髙島屋のバッジは館内で着けていると、店員と間違われるので注意が必要です(笑
(日本橋高島屋のレストラン)
館内ツアーの後は、日本橋高島屋の中にあるレストランでランチを食べました。
日本橋高島屋には地下2階から8階まで各種のレストランがりますが、これについては別記事(日本橋高島屋でランチ:千疋屋フルーツパーラー)で書きますので、そちらをお読み下さい。

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