レインボーブリッジと東京ベイエリアを散策:放送記念碑/カルガモ人工巣/船路橋/東京都の紋章
- 2018/09/22
- 15:40
今回のシリーズでは、JR田町駅から芝浦地区を通り、レインボーブリッジを歩いて渡って、お台場まで散策してみたいと思います。
第一回の今回は、田町駅からレインボーブリッジまでを散歩します。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
JR田町駅の芝浦口(東口)から出発です。

「エスカレーター 下り専用」の方に向かいます。

(放送記念碑)
テラスから下を見ると、放送記念碑が見えます。

駅のすぐ前にあるのですが、歩道に通じる階段の裏に隠れているため、人目につかない場所にあります。

説明板によれば、大正14年(1925年)3月22日に、当時この地にあった「東京工芸高等学校」の図書館を仮放送所としてラジオ第一声を送ったとのことです。

(渚橋、カルガモ人工巣)
放送記念碑を後にして、芝浦アイランド方面に向かいます。
「新芝橋」を渡ります。船を係留するロープをつなぐ「係留杭」をモチーフにしたデザインになっています。

更に進むと「渚橋」があります。きれいな虹色が描かれていて「レインボーブリッジ」をモチーフにした色になっています。

この「渚橋」は左右の車線が二つに分かれているのですが、

上を走る「東京モノレール」(浜松町と羽田空港を結ぶモノレール)との橋脚を避けるために、二つに分けられました。

つまり、最初に「東京モノレール」があり、後で「渚橋」を作ったためにこのような構造になったわけです。
さて、この「渚橋」の下の運河には、平成19年(2007年)12月に設置された「カルガモ人工巣」があります。

例年、5月~6月ごろにヒナの誕生があり、
橋に展示されている下の写真のような子育て風景が8月頃まで見られるそうです。

私が行ったのは9月半ば頃でしたので、子育てが終わってしまって、残念ながらカルガモはいませんでした。
(船路橋)
この「カルガモ人工巣」が見れる運河沿いの小道を北に進んでいくと、レトロな趣の「船路橋」があります。

大正から昭和にかけて、この地に都電の修理工場があり、都電が修理工場に入るための都電専用の橋として昭和28年(1953年)に作られた橋です。
昭和40年代に都電が廃止されてから、この橋は使われず放置されていましたが、当時の歴史をよみがえらせるために平成19年(2007年)4月に再建されました。
再建された橋には、当時の線路のイメージが施されており、

当時使用していたと思われる「電路」と書かれているレンガも埋め込まれています。

(東京都の紋章)
このレンガにある「電路」の文字の間に歯車(あるいはヒトデ)のようなマークがありますが、明治22年(1889年)の東京市会で東京市(当時)の紋章として決定されたもので、
昭和18年(1943年)に東京都になってからも、紋章として引き継がれています。
紋章の意味は、東京の発展を願い、太陽を中心に六方に光が放たれているさまを表し、日本の中心としての東京を象徴しているのですが、
この東京都の紋章はマンホールにも使われていますし、

日本橋の獅子が抱えているものも東京市(東京都)の紋章ですね。

(プラタナス公園)
また、この近くには港区立の「プラタナス公園」があります。

大正後期の芝浦アイランド埋め立てのときに護岸脇に植えられたプラタナスの木を、歴史を見続けた生きた証として移植したものです。

(湾岸食堂)
さらに進んで、「汐彩橋」を渡ります。

しばらく歩くと右手に「湾岸食堂」が見えてきます。

これからレインボーブリッジを歩いて渡る前の腹ごしらえに、ここでランチを食べました。
この湾岸食堂は近隣で働いているサラリーマンがよく使う食堂ですが、この食堂については別の記事(レインボーブリッジが見える「湾岸食堂」でランチ)で書きますのでそちらをお読みください。
(レインボーブリッジ)
このあたりに来ると、下の写真のような風景が見えたり、

この地域のランドマーク的な「ヨコソウビル」(ヨコソウ・レインボー・タワー)があります。

レインボーブリッジ遊歩道の看板です。

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
次回は、レインボーブリッジを実際に歩いて渡ってみます。
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙
第一回の今回は、田町駅からレインボーブリッジまでを散歩します。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
JR田町駅の芝浦口(東口)から出発です。

「エスカレーター 下り専用」の方に向かいます。

(放送記念碑)
テラスから下を見ると、放送記念碑が見えます。

駅のすぐ前にあるのですが、歩道に通じる階段の裏に隠れているため、人目につかない場所にあります。

説明板によれば、大正14年(1925年)3月22日に、当時この地にあった「東京工芸高等学校」の図書館を仮放送所としてラジオ第一声を送ったとのことです。

(渚橋、カルガモ人工巣)
放送記念碑を後にして、芝浦アイランド方面に向かいます。
「新芝橋」を渡ります。船を係留するロープをつなぐ「係留杭」をモチーフにしたデザインになっています。


更に進むと「渚橋」があります。きれいな虹色が描かれていて「レインボーブリッジ」をモチーフにした色になっています。

この「渚橋」は左右の車線が二つに分かれているのですが、

上を走る「東京モノレール」(浜松町と羽田空港を結ぶモノレール)との橋脚を避けるために、二つに分けられました。

つまり、最初に「東京モノレール」があり、後で「渚橋」を作ったためにこのような構造になったわけです。
さて、この「渚橋」の下の運河には、平成19年(2007年)12月に設置された「カルガモ人工巣」があります。


例年、5月~6月ごろにヒナの誕生があり、
橋に展示されている下の写真のような子育て風景が8月頃まで見られるそうです。

私が行ったのは9月半ば頃でしたので、子育てが終わってしまって、残念ながらカルガモはいませんでした。
(船路橋)
この「カルガモ人工巣」が見れる運河沿いの小道を北に進んでいくと、レトロな趣の「船路橋」があります。

大正から昭和にかけて、この地に都電の修理工場があり、都電が修理工場に入るための都電専用の橋として昭和28年(1953年)に作られた橋です。
昭和40年代に都電が廃止されてから、この橋は使われず放置されていましたが、当時の歴史をよみがえらせるために平成19年(2007年)4月に再建されました。
再建された橋には、当時の線路のイメージが施されており、

当時使用していたと思われる「電路」と書かれているレンガも埋め込まれています。

(東京都の紋章)
このレンガにある「電路」の文字の間に歯車(あるいはヒトデ)のようなマークがありますが、明治22年(1889年)の東京市会で東京市(当時)の紋章として決定されたもので、
昭和18年(1943年)に東京都になってからも、紋章として引き継がれています。
紋章の意味は、東京の発展を願い、太陽を中心に六方に光が放たれているさまを表し、日本の中心としての東京を象徴しているのですが、
この東京都の紋章はマンホールにも使われていますし、

日本橋の獅子が抱えているものも東京市(東京都)の紋章ですね。

(プラタナス公園)
また、この近くには港区立の「プラタナス公園」があります。

大正後期の芝浦アイランド埋め立てのときに護岸脇に植えられたプラタナスの木を、歴史を見続けた生きた証として移植したものです。


(湾岸食堂)
さらに進んで、「汐彩橋」を渡ります。

しばらく歩くと右手に「湾岸食堂」が見えてきます。

これからレインボーブリッジを歩いて渡る前の腹ごしらえに、ここでランチを食べました。
この湾岸食堂は近隣で働いているサラリーマンがよく使う食堂ですが、この食堂については別の記事(レインボーブリッジが見える「湾岸食堂」でランチ)で書きますのでそちらをお読みください。
(レインボーブリッジ)
このあたりに来ると、下の写真のような風景が見えたり、

この地域のランドマーク的な「ヨコソウビル」(ヨコソウ・レインボー・タワー)があります。


レインボーブリッジ遊歩道の看板です。

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
次回は、レインボーブリッジを実際に歩いて渡ってみます。
┏○゙ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります┏○゙

