静嘉堂文庫・岡本公園民家園の緑の中を散策:旧小坂家別邸/多摩川テラスの武家屋敷門/岡本隧道
- 2018/09/20
- 10:06
前回の多くの芸能人・芸術家が住む岡本地区を散策に引き続き、
今回は、二子玉川(二子玉)散策の最終回として、静嘉堂文庫などの緑豊かな界隈を散歩してみます。
ここには二子玉川から歩いてもいけますが(20~25分程度)、二子玉川ライズにあるバスターミナル又は玉川高島屋本館前からバス(玉31・32系統)で行くこともできます。
☆☆☆
(旧小坂家別邸)
バス停の静嘉堂文庫で降りると、右手に「旧小坂家別邸」に入る門があります。

この邸宅は、衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸として建てられたもので、
国分寺崖線を利用した庭園(下の写真)を見ることができます(国分寺崖線については、田園調布界隈を歩く(最終回)をご参照ください)。

五島美術館と明神池跡、五島美術館と等々力渓谷・古墳群でご紹介したように、東急電鉄の元会長・五島慶太の旧邸宅であった五島美術館も国分寺崖線を利用して建てられたのですが、
戦前、この二子玉川周辺では、財界人や政治家などの資産家が、国分寺崖線を利用して別邸(別荘)を建てていました。
この小坂家別邸(下の写真)もその一つです。
邸宅内には無料で入れることができますので、見学してみましょう。
20人あまりの管理人・案内人が日替わりで案内や解説をしてくれますので、室内のガイドをお願いできます。
なお、冬は床が冷たいのでスリッパか厚手の靴下を持参したほうがいいです。
小坂家別邸では、当時の民芸風の流行を取り入れたり、各棟で仕様を変えたりなど、別邸ならではの趣味的な趣向が見られます。

戦前に輸入したと思われるアメリカ製の冷蔵庫や耐火性の蔵もありました。

(多摩川テラスの武家屋敷門)
少し先には、多摩川テラスという低層のマンションがあるのですが、

その敷地奥に、元々は後楽園近辺にあった「武家屋敷門」が移築されています。

門の形式は、家臣などが住む長屋が併設された「長屋門」で、説明板には「大藩の家老屋敷の門としての格式を示す遺構」と書かれています。
門の前が駐車場になっていて残念ですが・・・
(静嘉堂緑地)(静嘉堂文庫)
次に、「静嘉堂文庫」のバス停まで戻り、「静嘉堂緑地」の中を通って、「静嘉堂文庫」に行きます。

「静嘉堂緑地」は、以前は静嘉堂文庫の一部でしたが、現在は世田谷区の管理地となっています。
照葉樹の自然林が生い茂り、中には「谷戸川」という綺麗な小川が流れています。

緑が豊かですので、私が散策した日は非常に暑い日でしたが、涼しさを感じました。

しばらく歩くと「静嘉堂文庫」に到着します。

「静嘉堂文庫」は三菱・第二代社長の岩崎彌之助氏と第四代社長の岩崎小弥太氏の父子二代によって収集された膨大な文化財の収集館です。
一時期マスコミで話題になった国宝の「曜変天目(ようへんてんもく)」が所蔵されていることでも有名です。
(岩崎家納骨堂)
この静嘉堂文庫の庭園内には、岩崎家の納骨堂である廟があります。

この廟は、本ブログでたびたび出てきたイギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計によるものです。
鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルは、
三菱グループの迎賓館となっている開東閣(下の写真。御殿山散策(1)を参照して下さい)、

丸の内にある三菱一号館(下の写真。丸の内・八重洲のちょっと知らない史跡・見どころ(2)を参照して下さい)

など岩崎家ゆかりの建築を手がけました。
この廟は、お茶の水→水道橋散策(3)でご紹介したニコライ堂(下の写真)の円屋根と似ていますが、

このニコライ堂もジョサイア・コンドルが工事監督をした建築物だったのでした。
(岡本八幡神社)
この静嘉堂文庫下には、多くの芸能人・芸術家が住む岡本地区を散策でご紹介した岡本八幡神社があります。

松任谷由実夫妻が寄進した灯籠があった神社でしたね。

(岡本公園民家園)
「岡本八幡神社」に隣接している「岡本公園民家園」に行ってみます。

復元された茅葺きの民家があります。

この民家は18世紀末に建てられた旧長崎家の母屋を、後の子孫が増改築したものと言われています。
いまでは、都内のあちこちでこのような民家の復元・展示がされていますが、この民家園はその先駆けで、「岡本公園民家園をずいぶん参考にした」と他の民家園の担当の方から聞いたことがあります。
(岡本隧道)
この「岡本公園民家園」の敷地の奥には、「岡本隧道」という珍しい隧道(ずいどう)があります(現在は半分が土に埋まっています)。

隧道とはトンネルのことですが、大正時代に人口が増えて多くの水道水が必要になった渋谷町(現在の渋谷区)が、多摩川の水を引き込むために造った送水管専用のトンネルです。
これは大正時代に竣工した近代水道の遺構であり、極めて重要な歴史遺産となっています。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
これで、二子玉川散策シリーズを終了します。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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今回は、二子玉川(二子玉)散策の最終回として、静嘉堂文庫などの緑豊かな界隈を散歩してみます。
ここには二子玉川から歩いてもいけますが(20~25分程度)、二子玉川ライズにあるバスターミナル又は玉川高島屋本館前からバス(玉31・32系統)で行くこともできます。
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(旧小坂家別邸)
バス停の静嘉堂文庫で降りると、右手に「旧小坂家別邸」に入る門があります。

この邸宅は、衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸として建てられたもので、
国分寺崖線を利用した庭園(下の写真)を見ることができます(国分寺崖線については、田園調布界隈を歩く(最終回)をご参照ください)。


五島美術館と明神池跡、五島美術館と等々力渓谷・古墳群でご紹介したように、東急電鉄の元会長・五島慶太の旧邸宅であった五島美術館も国分寺崖線を利用して建てられたのですが、
戦前、この二子玉川周辺では、財界人や政治家などの資産家が、国分寺崖線を利用して別邸(別荘)を建てていました。
この小坂家別邸(下の写真)もその一つです。

邸宅内には無料で入れることができますので、見学してみましょう。
20人あまりの管理人・案内人が日替わりで案内や解説をしてくれますので、室内のガイドをお願いできます。
なお、冬は床が冷たいのでスリッパか厚手の靴下を持参したほうがいいです。
小坂家別邸では、当時の民芸風の流行を取り入れたり、各棟で仕様を変えたりなど、別邸ならではの趣味的な趣向が見られます。


戦前に輸入したと思われるアメリカ製の冷蔵庫や耐火性の蔵もありました。


(多摩川テラスの武家屋敷門)
少し先には、多摩川テラスという低層のマンションがあるのですが、

その敷地奥に、元々は後楽園近辺にあった「武家屋敷門」が移築されています。


門の形式は、家臣などが住む長屋が併設された「長屋門」で、説明板には「大藩の家老屋敷の門としての格式を示す遺構」と書かれています。
門の前が駐車場になっていて残念ですが・・・
(静嘉堂緑地)(静嘉堂文庫)
次に、「静嘉堂文庫」のバス停まで戻り、「静嘉堂緑地」の中を通って、「静嘉堂文庫」に行きます。


「静嘉堂緑地」は、以前は静嘉堂文庫の一部でしたが、現在は世田谷区の管理地となっています。
照葉樹の自然林が生い茂り、中には「谷戸川」という綺麗な小川が流れています。

緑が豊かですので、私が散策した日は非常に暑い日でしたが、涼しさを感じました。


しばらく歩くと「静嘉堂文庫」に到着します。


「静嘉堂文庫」は三菱・第二代社長の岩崎彌之助氏と第四代社長の岩崎小弥太氏の父子二代によって収集された膨大な文化財の収集館です。
一時期マスコミで話題になった国宝の「曜変天目(ようへんてんもく)」が所蔵されていることでも有名です。
(岩崎家納骨堂)
この静嘉堂文庫の庭園内には、岩崎家の納骨堂である廟があります。


この廟は、本ブログでたびたび出てきたイギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計によるものです。
鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルは、
三菱グループの迎賓館となっている開東閣(下の写真。御殿山散策(1)を参照して下さい)、

丸の内にある三菱一号館(下の写真。丸の内・八重洲のちょっと知らない史跡・見どころ(2)を参照して下さい)

など岩崎家ゆかりの建築を手がけました。
この廟は、お茶の水→水道橋散策(3)でご紹介したニコライ堂(下の写真)の円屋根と似ていますが、

このニコライ堂もジョサイア・コンドルが工事監督をした建築物だったのでした。
(岡本八幡神社)
この静嘉堂文庫下には、多くの芸能人・芸術家が住む岡本地区を散策でご紹介した岡本八幡神社があります。

松任谷由実夫妻が寄進した灯籠があった神社でしたね。

(岡本公園民家園)
「岡本八幡神社」に隣接している「岡本公園民家園」に行ってみます。

復元された茅葺きの民家があります。


この民家は18世紀末に建てられた旧長崎家の母屋を、後の子孫が増改築したものと言われています。
いまでは、都内のあちこちでこのような民家の復元・展示がされていますが、この民家園はその先駆けで、「岡本公園民家園をずいぶん参考にした」と他の民家園の担当の方から聞いたことがあります。
(岡本隧道)
この「岡本公園民家園」の敷地の奥には、「岡本隧道」という珍しい隧道(ずいどう)があります(現在は半分が土に埋まっています)。


隧道とはトンネルのことですが、大正時代に人口が増えて多くの水道水が必要になった渋谷町(現在の渋谷区)が、多摩川の水を引き込むために造った送水管専用のトンネルです。
これは大正時代に竣工した近代水道の遺構であり、極めて重要な歴史遺産となっています。
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これで、二子玉川散策シリーズを終了します。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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