二子玉川の昭和ロマンあふれるミニ博物館を訪問:兵庫島公園/新二子橋からの眺め/谷川緑道/玉電散策
- 2018/09/03
- 20:00
前回の二子玉川散策(2)では、二子玉川駅東口を出て、二子玉川公園や二子の渡し跡を散策しました。
今回は、二子玉川(二子玉)散策の第3弾として、二子玉川駅西口から散歩をしてみます。
(兵庫島公園)
西口を出て、玉川髙島屋と反対方向の多摩川方向に向かい、徒歩約5分のところに兵庫島(ひょうごじま)があります。

ここには、多摩川に合流する野川の河川敷を利用した兵庫島公園が整備されていて、
人造の池や小川があり、大人や子どもたちが魚を採って遊んでいました。

写真でお分かりのように、兵庫島公園から二子玉川駅は目と鼻の先にあります。
☆☆☆
(新二子橋からの眺め)
兵庫島公園から多摩川上流にしばらく歩くと、「新丸子橋」があります。下の写真は、兵庫島公園から見た「新丸子橋」です。

これは国道246号線の橋ですが、人も渡れますので歩いて見ましょう。
新二子橋から見た「兵庫島公園」です。

ここは、東京都(世田谷区)と神奈川県(川崎市)の県境にもなっています。

橋の中央では、下の写真のような素晴らしい眺望を楽しむことができます。

(谷川緑道)
兵庫島から、二子玉川散策(1)でご紹介した「柳小路」方向に行くと、「谷川緑道(やがわりょくどう)」があります。

野川にそそいでいた小川(谷川)を暗渠化した緑道ですが、周りは緑が多く、気持ちのいい散策ができます。

途中に「水車小屋跡」の碑がありました。昔は水車小屋があったのでしょう。

お洒落なカフェもあります。

(玉電線路跡)
この谷川緑道を歩いていくと、「玉電」線路跡を遊歩道にした道に出ます。
下の写真は、「玉電」の古レールを利用したガード・ベンチがあり、タイル絵がありました。

「玉電」とは、玉川電気鉄道のことで、大正13年(1924年)に、多摩川から採れる砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市内へ運ぶために作られた路面電車の「砧支線」です。
線路跡の遊歩道を歩いていると、「玉電」に関する説明板や記念物を多く見ることができます。
「きしべの路 砧線跡歩道」と書かれた説明板や彫刻、

マンホールやかって存在したの駅(中耕地駅)の遺構、

この「中耕地駅」の名前はバス停の名前として残っています。

砧線が通っていた吉澤橋に設置された説明板など、

短い距離の中に、これほど多くの記念物があり、地元の人が「玉電」に愛着を持っていることをうかがわせます。
(玉電と郷土の歴史館)
地元の人の「玉電」への愛着の極めつけは「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」という、個人の方が運営されているミニ博物館です。

その名が示すように。元々は「そば処大勝庵」というお蕎麦屋さんでした。当時から、お店の中に「玉電」の運転台があることで有名だったそうです。

今は、そのお蕎麦屋さんは閉店し、この小さな博物館を運営されています。
館長の大塚さんは、二子玉川(二子玉)の歴史の生き字引のような方で、二子玉川の歴史をいろいろと教えていただきました。

店内は玉電の運転台を始め、玉電ゆかりの品々が所狭しと展示されています。
昭和時代の懐かしい物品も展示されています。

これらレトログッズがあまりにも数が多いので、定期的にテーマを決めて展示されているので、何回行っても同じものが並んでいることはないそうです。
この「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」は入館料無料で、火・木・土・日(不定休)開館ですので、二子玉川(二子玉)に行く機会があれば是非訪ねてみてください。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
次回は、世田谷美術館に併設されているフレンチレストランに行ってみます。
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今回は、二子玉川(二子玉)散策の第3弾として、二子玉川駅西口から散歩をしてみます。
(兵庫島公園)
西口を出て、玉川髙島屋と反対方向の多摩川方向に向かい、徒歩約5分のところに兵庫島(ひょうごじま)があります。

ここには、多摩川に合流する野川の河川敷を利用した兵庫島公園が整備されていて、
人造の池や小川があり、大人や子どもたちが魚を採って遊んでいました。


写真でお分かりのように、兵庫島公園から二子玉川駅は目と鼻の先にあります。
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(新二子橋からの眺め)
兵庫島公園から多摩川上流にしばらく歩くと、「新丸子橋」があります。下の写真は、兵庫島公園から見た「新丸子橋」です。

これは国道246号線の橋ですが、人も渡れますので歩いて見ましょう。
新二子橋から見た「兵庫島公園」です。

ここは、東京都(世田谷区)と神奈川県(川崎市)の県境にもなっています。


橋の中央では、下の写真のような素晴らしい眺望を楽しむことができます。


(谷川緑道)
兵庫島から、二子玉川散策(1)でご紹介した「柳小路」方向に行くと、「谷川緑道(やがわりょくどう)」があります。

野川にそそいでいた小川(谷川)を暗渠化した緑道ですが、周りは緑が多く、気持ちのいい散策ができます。


途中に「水車小屋跡」の碑がありました。昔は水車小屋があったのでしょう。

お洒落なカフェもあります。

(玉電線路跡)
この谷川緑道を歩いていくと、「玉電」線路跡を遊歩道にした道に出ます。
下の写真は、「玉電」の古レールを利用したガード・ベンチがあり、タイル絵がありました。


「玉電」とは、玉川電気鉄道のことで、大正13年(1924年)に、多摩川から採れる砂利を、関東大震災からの復興が進む東京市内へ運ぶために作られた路面電車の「砧支線」です。
線路跡の遊歩道を歩いていると、「玉電」に関する説明板や記念物を多く見ることができます。
「きしべの路 砧線跡歩道」と書かれた説明板や彫刻、


マンホールやかって存在したの駅(中耕地駅)の遺構、


この「中耕地駅」の名前はバス停の名前として残っています。

砧線が通っていた吉澤橋に設置された説明板など、



短い距離の中に、これほど多くの記念物があり、地元の人が「玉電」に愛着を持っていることをうかがわせます。
(玉電と郷土の歴史館)
地元の人の「玉電」への愛着の極めつけは「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」という、個人の方が運営されているミニ博物館です。

その名が示すように。元々は「そば処大勝庵」というお蕎麦屋さんでした。当時から、お店の中に「玉電」の運転台があることで有名だったそうです。

今は、そのお蕎麦屋さんは閉店し、この小さな博物館を運営されています。
館長の大塚さんは、二子玉川(二子玉)の歴史の生き字引のような方で、二子玉川の歴史をいろいろと教えていただきました。

店内は玉電の運転台を始め、玉電ゆかりの品々が所狭しと展示されています。


昭和時代の懐かしい物品も展示されています。

これらレトログッズがあまりにも数が多いので、定期的にテーマを決めて展示されているので、何回行っても同じものが並んでいることはないそうです。
この「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」は入館料無料で、火・木・土・日(不定休)開館ですので、二子玉川(二子玉)に行く機会があれば是非訪ねてみてください。
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次回は、世田谷美術館に併設されているフレンチレストランに行ってみます。
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