古道について(1):古道の定義
- 2018/04/19
- 09:43
東京散策を楽しんでいる人たちの中で、江戸古地図・地形・街道・暗渠などの視点から散策をする人が増えているようです。中には、マンホールの蓋・旧陸軍標識に関心を持っている人もいます。
ちなみに、旧陸軍の標識は意外とあちこちに残っていて、先日、渋谷の東急ハンズの北向いで旧陸軍標識を見つけて感動しました(下の写真)。東急ハンズ北向いの一帯は戦前、陸軍の軍事刑務所があったところです。

この旧陸軍道標があった場所は渋谷区の所管する事務所の一角でしたので取り除かれる可能性は少ないと思いますが、たとえ小さな価値の低い史跡であっても、歴史を物語るものとして残しておいて欲しいものです。
なお、旧陸軍の標識については、「軍都・赤坂の面影を探る(散策)」の「陸軍境界石」の章、及び「渋谷散策(1)」の「旧陸軍用地の標石」の章で書きました。
また、「東京帝国大學」の文字のあるマンホールについては、「東大にもあった怨霊思想(散策)」の「戦前のマンホール」の章で書きました。
ご関心のある方はこちらの記事をお読みください。
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☆☆☆
話は戻り、古道も散策をする時の視点の一つです。
「古道概説」とちょっと仰々しいタイトルにしていますが、この記事は私の備忘録を兼ねて書いているもので、古道も投資と同じく模索中です。(したがって、今後、修正があり得ます)
1 定義
古道と聞いて「古い道」という以外にイメージが湧くでしょうか。
私はよく分かりませんでした。
ということで、やや堅苦しくお感じになるとは思いますが
、定義から考えてみます。
古道についてデジタル大辞泉では次のように定義しています。
Wikipediaでは、
どうも、はっきりした定義はなさそうです。
(1) 古道研究家の定義
古道研究家の方々は、上の定義と違う考えをお持ちのようです。
古道研究家の荻窪圭氏は同氏の著作で以下のように述べられています。
他の古道研究者の方々も概ねこの「江戸時代以前に使われていた古い道」という定義(考え)で研究されているように見受けられます。
何故、江戸時代で区切るのか明確な根拠は分かりませんが、この江戸時代以前の定義で古道を見ている人たちは、「東京の歴史は江戸時代から始まったわけではない。江戸以前の古代・中世の時代にも歴史はあった」として、古代・中世の東京にロマンを抱いている方々が多い感じがします。
確かに、このような観点から東京を見ると、また違った東京が浮かび上がってきます。江戸幕府の影響が少なかった東京23区の周辺地域でもいきなり古代・中世の東京が顔を出したりすることがあります。
(2) 提案:準古道
上記の定義の他に、モータリゼーションを前提に建設された道路より以前に作られた「人の歩行能力に合わせた、人間に優しい道」を提案したいと思います。
すなわち、自動車のように馬力のある移動・輸送機関は、少々の高低差があっても簡単に走れますので、道もこれにあわせて建設されます。これに対し、自動車が導入される以前の日本では、地形を巧みに利用した、高低差の少ない尾根筋を使うなど「人間に優しい道」がありました。
東京近郊や地方では、明治・大正時代(昭和に入っても)であっても「人間に優しい道」が多用されていたと考えられます。
先日、馬込文士村について書きましたが、大正後期から昭和初期にかけて、今の大田区大森・馬込に居住し交流の活発だった多くの文士達(作家・芸術家)も、九十九谷と言われた坂の多いこの地域では、このような「人間に優しい道」を使って徒歩で交流していたと考えられます。
これを準古道ととりあえずしておきますが、荻窪圭氏が「古道を厳密に定義するのは難しい」と仰っているように、まだ議論の余地はありそうです。
次回は、古道の特徴についてです。
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ちなみに、旧陸軍の標識は意外とあちこちに残っていて、先日、渋谷の東急ハンズの北向いで旧陸軍標識を見つけて感動しました(下の写真)。東急ハンズ北向いの一帯は戦前、陸軍の軍事刑務所があったところです。

この旧陸軍道標があった場所は渋谷区の所管する事務所の一角でしたので取り除かれる可能性は少ないと思いますが、たとえ小さな価値の低い史跡であっても、歴史を物語るものとして残しておいて欲しいものです。
なお、旧陸軍の標識については、「軍都・赤坂の面影を探る(散策)」の「陸軍境界石」の章、及び「渋谷散策(1)」の「旧陸軍用地の標石」の章で書きました。
また、「東京帝国大學」の文字のあるマンホールについては、「東大にもあった怨霊思想(散策)」の「戦前のマンホール」の章で書きました。
ご関心のある方はこちらの記事をお読みください。
☆☆☆
☆☆☆
話は戻り、古道も散策をする時の視点の一つです。
「古道概説」とちょっと仰々しいタイトルにしていますが、この記事は私の備忘録を兼ねて書いているもので、古道も投資と同じく模索中です。(したがって、今後、修正があり得ます)
1 定義
古道と聞いて「古い道」という以外にイメージが湧くでしょうか。
私はよく分かりませんでした。
ということで、やや堅苦しくお感じになるとは思いますが

古道についてデジタル大辞泉では次のように定義しています。
(1)古い道路、旧道。(2)古代の。あるいは古来の同義・学問・文化 (デジタル大辞泉)
Wikipediaでは、
・かつて使用されていたが現在はあまり利用されておらず、当時のままの状態で残されているような道のこと。日本においては熊野古道、山辺の道、塩の道などがある。「日本の古代道路」も参照
・古代にあった、あるいはあったと考えられる方法・文化・考え方などのこと。日本の神道・国学では古神道(復古神道)のことを指す。儒教では原始儒教を指す。 (Wikipedia)
どうも、はっきりした定義はなさそうです。
(1) 古道研究家の定義
古道研究家の方々は、上の定義と違う考えをお持ちのようです。
古道研究家の荻窪圭氏は同氏の著作で以下のように述べられています。
「古道を厳密に定義するのは難しいが、ここでは『江戸時代以前に使われていた古い道』ということにした。」(「東京古道散歩」(中経の文庫))
他の古道研究者の方々も概ねこの「江戸時代以前に使われていた古い道」という定義(考え)で研究されているように見受けられます。
何故、江戸時代で区切るのか明確な根拠は分かりませんが、この江戸時代以前の定義で古道を見ている人たちは、「東京の歴史は江戸時代から始まったわけではない。江戸以前の古代・中世の時代にも歴史はあった」として、古代・中世の東京にロマンを抱いている方々が多い感じがします。
確かに、このような観点から東京を見ると、また違った東京が浮かび上がってきます。江戸幕府の影響が少なかった東京23区の周辺地域でもいきなり古代・中世の東京が顔を出したりすることがあります。
(2) 提案:準古道
上記の定義の他に、モータリゼーションを前提に建設された道路より以前に作られた「人の歩行能力に合わせた、人間に優しい道」を提案したいと思います。
すなわち、自動車のように馬力のある移動・輸送機関は、少々の高低差があっても簡単に走れますので、道もこれにあわせて建設されます。これに対し、自動車が導入される以前の日本では、地形を巧みに利用した、高低差の少ない尾根筋を使うなど「人間に優しい道」がありました。
東京近郊や地方では、明治・大正時代(昭和に入っても)であっても「人間に優しい道」が多用されていたと考えられます。
先日、馬込文士村について書きましたが、大正後期から昭和初期にかけて、今の大田区大森・馬込に居住し交流の活発だった多くの文士達(作家・芸術家)も、九十九谷と言われた坂の多いこの地域では、このような「人間に優しい道」を使って徒歩で交流していたと考えられます。
これを準古道ととりあえずしておきますが、荻窪圭氏が「古道を厳密に定義するのは難しい」と仰っているように、まだ議論の余地はありそうです。
次回は、古道の特徴についてです。
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