捕鯨問題から西洋文明を考える
- 2018/08/27
- 16:12
今回は「踏ん張り投資」「東京散歩」から離れて、「日々思うこと」のカテゴリで文明論-価値観を他文明に押し付けようとする西洋文明(西洋諸国)の特異性-についてお話したいと思います。
(西洋文明の「価値観」の押し付け)
シュペングラーが「西洋の没落」を出版してから100年経ちますが(第1巻は1918年、第2巻は1922年に出版)、
西洋文明の相対的な影響力は減退したとはいえ、依然として西洋文明は圧倒的な影響力を現代社会に及ぼしています。
「民主主義」「三権分立」「基本的人権の尊重」「思想・信仰の自由」など普遍的とされる原理を創り出し、普及させた西洋文明は素晴らしい文明だと思いますが(「一神教」の排他性を抑えるために、このような「枠」をはめた原理が西洋文明において創り出されたとも考えられますが・・・)、
しかし、西洋文明で気に入らない点が一つあります。
それは、「価値観」(西洋文明が思っている「正義」)の押し付けです。
このことがよく表れている事例が「捕鯨問題」です。
「クジラやイルカは頭が良くて可愛いから殺すべきではない」というのが西洋文明諸国の人たちの主張ですが(反捕鯨国のオーストラリアやニュージランドはアジア太平洋に位置しますが、文明的には西洋諸国の一員です)、
自分たちが食べている牛・豚・羊などの動物を殺していることを棚上げにして、捕鯨を批判する姿勢に疑問を感じます。
フランス料理のフォアグラは残酷な料理で、多くの餌を食べさせるためガチョウやアヒルの喉に棒を突っ込んでまでして無理に食べさせ、肝臓を肥大させる料理ですが、このような西洋料理はどうなのでしょうか。
同じ一神教であるイスラム文明圏では豚は忌避食物ですが、他の文明圏に「豚を食べるな」と彼らの価値観を押し付けたりはしませんし、
ヒンドゥー文明圏では牛は忌避食物ですが、同じように他の文明圏にその考えを押し付けません。
私が知る限り、自分たちが考える「価値観」「正義」を押し付けようとする文明は「西洋文明」に特徴的なものです。
このような西洋文明諸国による「価値観」の押しつけは今まで世界各地で起きてきたし、今後も起きると思います。
(クジラは一種類ではない)
なお、クジラは1種類という前提から、「クジラは絶滅危惧種なので保護すべきだ」との主張がありますが、この主張は間違っています。
クジラは1種類ではなく、約80種類もいます(ヒゲクジラ亜目が10数種類。ハクジラ亜目が約70種類)。
【(注)「ヒゲクジラ亜目」は小魚やプランクトンなど小さな生物を口を開けて捕らえた後に口にあるヒゲで濾して食べるクジラで、シロナガスクジラなど大型の種類が多く、「ハクジラ亜目」は魚やイカなどをするどい歯を使って食べるクジラで、主に小型のクジラです。】
このうち、絶滅危惧種のシロナガスクジラやザトウクジラなどは、絶滅から守るために保護しなければならないのは当然です。
これに対し、ミンククジラなどの個体数が多く、絶滅する恐れのないクジラは捕獲しても問題ないと考えます。
特にミンククジラはかなり大きな魚を食べることから、漁業に悪影響を及ぼすことが多いので「海のゴキブリ」とも揶揄されることがあり、
食物連鎖の中で最上位に位置するクジラだけをいたずらに保護することは海洋生態系のバランスを崩すという説もあります。
このように、単に「可哀そう」「知能がある」などの感情論だけで議論してはいけないと思いますし、
「可哀そう」「知能がある」ということであれば、牛・羊・豚などの動物についても同じように考えなければならないと思います。
(奪った命への感謝の気持ちを持つ)
私達人間は、他の生物の命を奪って食べないと生きていけない存在です。
菜食主義者の人たちでさえ、植物の生命を奪っているという点では同じです。
この事実を厳粛に受け止め、私達が生きるために奪った命への感謝の気持ちを持つことが大事だと思います。
日本の家庭から出る食料廃棄は年間800万トンを超えているそうです。日本の家庭だけで800万トンですから、食品産業や世界の食料廃棄は膨大な量になると思います。
奪われた命がこれだけ無駄になっているわけですが、奪った命への感謝の気持ちがあれば無駄な食料廃棄は格段に少なくなるはずです。
東京大仏を見に行く(2)では「天保大飢饉供養塔」をご紹介し、食べ物に対する感謝の念を持つことが大事であることを書きました。

また、多神教と一神教では、品川神社にある「包丁塚」をご紹介し、包丁への感謝だけでなく、調理された鳥獣魚介、惣菜への慰霊を目的として「包丁塚」が建てられたことを書きました。

キリスト教(カトリック)では食前食後の祈りを行いますが、人類の歴史では古来から食べ物に対する感謝の気持ちがありました。
上で述べた「捕鯨問題」はこのような視点からも考える必要があると思っています。
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(西洋文明の「価値観」の押し付け)
シュペングラーが「西洋の没落」を出版してから100年経ちますが(第1巻は1918年、第2巻は1922年に出版)、
西洋文明の相対的な影響力は減退したとはいえ、依然として西洋文明は圧倒的な影響力を現代社会に及ぼしています。
「民主主義」「三権分立」「基本的人権の尊重」「思想・信仰の自由」など普遍的とされる原理を創り出し、普及させた西洋文明は素晴らしい文明だと思いますが(「一神教」の排他性を抑えるために、このような「枠」をはめた原理が西洋文明において創り出されたとも考えられますが・・・)、
しかし、西洋文明で気に入らない点が一つあります。
それは、「価値観」(西洋文明が思っている「正義」)の押し付けです。
このことがよく表れている事例が「捕鯨問題」です。
「クジラやイルカは頭が良くて可愛いから殺すべきではない」というのが西洋文明諸国の人たちの主張ですが(反捕鯨国のオーストラリアやニュージランドはアジア太平洋に位置しますが、文明的には西洋諸国の一員です)、
自分たちが食べている牛・豚・羊などの動物を殺していることを棚上げにして、捕鯨を批判する姿勢に疑問を感じます。
フランス料理のフォアグラは残酷な料理で、多くの餌を食べさせるためガチョウやアヒルの喉に棒を突っ込んでまでして無理に食べさせ、肝臓を肥大させる料理ですが、このような西洋料理はどうなのでしょうか。
同じ一神教であるイスラム文明圏では豚は忌避食物ですが、他の文明圏に「豚を食べるな」と彼らの価値観を押し付けたりはしませんし、
ヒンドゥー文明圏では牛は忌避食物ですが、同じように他の文明圏にその考えを押し付けません。
私が知る限り、自分たちが考える「価値観」「正義」を押し付けようとする文明は「西洋文明」に特徴的なものです。
このような西洋文明諸国による「価値観」の押しつけは今まで世界各地で起きてきたし、今後も起きると思います。
(クジラは一種類ではない)
なお、クジラは1種類という前提から、「クジラは絶滅危惧種なので保護すべきだ」との主張がありますが、この主張は間違っています。
クジラは1種類ではなく、約80種類もいます(ヒゲクジラ亜目が10数種類。ハクジラ亜目が約70種類)。
【(注)「ヒゲクジラ亜目」は小魚やプランクトンなど小さな生物を口を開けて捕らえた後に口にあるヒゲで濾して食べるクジラで、シロナガスクジラなど大型の種類が多く、「ハクジラ亜目」は魚やイカなどをするどい歯を使って食べるクジラで、主に小型のクジラです。】
このうち、絶滅危惧種のシロナガスクジラやザトウクジラなどは、絶滅から守るために保護しなければならないのは当然です。
これに対し、ミンククジラなどの個体数が多く、絶滅する恐れのないクジラは捕獲しても問題ないと考えます。
特にミンククジラはかなり大きな魚を食べることから、漁業に悪影響を及ぼすことが多いので「海のゴキブリ」とも揶揄されることがあり、
食物連鎖の中で最上位に位置するクジラだけをいたずらに保護することは海洋生態系のバランスを崩すという説もあります。
このように、単に「可哀そう」「知能がある」などの感情論だけで議論してはいけないと思いますし、
「可哀そう」「知能がある」ということであれば、牛・羊・豚などの動物についても同じように考えなければならないと思います。
(奪った命への感謝の気持ちを持つ)
私達人間は、他の生物の命を奪って食べないと生きていけない存在です。
菜食主義者の人たちでさえ、植物の生命を奪っているという点では同じです。
この事実を厳粛に受け止め、私達が生きるために奪った命への感謝の気持ちを持つことが大事だと思います。
日本の家庭から出る食料廃棄は年間800万トンを超えているそうです。日本の家庭だけで800万トンですから、食品産業や世界の食料廃棄は膨大な量になると思います。
奪われた命がこれだけ無駄になっているわけですが、奪った命への感謝の気持ちがあれば無駄な食料廃棄は格段に少なくなるはずです。
東京大仏を見に行く(2)では「天保大飢饉供養塔」をご紹介し、食べ物に対する感謝の念を持つことが大事であることを書きました。

また、多神教と一神教では、品川神社にある「包丁塚」をご紹介し、包丁への感謝だけでなく、調理された鳥獣魚介、惣菜への慰霊を目的として「包丁塚」が建てられたことを書きました。

キリスト教(カトリック)では食前食後の祈りを行いますが、人類の歴史では古来から食べ物に対する感謝の気持ちがありました。
上で述べた「捕鯨問題」はこのような視点からも考える必要があると思っています。
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