二子玉川散策(2):二子玉川公園/東京都公文書館/二子の渡し跡
- 2018/08/25
- 16:48
前回の二子玉川散策(1)では、二子玉川(二子玉)にあるセルフサービスのフレンチレストランや丘陵にあるスターバックス、昭和の雰囲気のある商店街などを見てきましたが、
今回は、「二子玉川公園」から散策してみます。

☆☆☆
(二子玉川公園)
ここは以前「東急自動車学校」やゴルフ練習場があった場所ですが、現在は世田谷区立の公園になっています。
この二子玉川公園の高台にあるスターバックスについては二子玉川散策(1)で書きましたが、
これ以外に、ここには周遊式日本庭園「帰真園」があり、

旧清水家住宅書院が移築されています。

(東京都公文書館)
この「二子玉川公園」の近くには、「東京都公文書館」があり、館内を見学することができます。

貴重な古文書や古地図が展示されています。

(一部の展示品以外の撮影は許可されています。上の展示品は許可されているものです)
(二子の渡し)
江戸時代、江戸防衛のため多摩川には橋がかけられていませんでした。
このため、古来よりあった大山街道(現在の国道246号線とほぼ同一)を利用する人々は、「二子の渡し」を利用していました。
この「二子の渡し」の碑がありますので、これを見に行ってみましょう。
前回の二子玉川散策(1)で行ったセルフのフレンチレストラン「ルナティック」前の多摩川沿いの道を二子玉川駅方向(多摩川上流方向)に進んでも行けるのですが、
二子玉川ライズに戻って、そこから行ってみます。
二子玉川ライズのバスターミナルから多摩堤通りを見ると下の写真のような「堤」が見えます。

これは、フレンチレストラン「ルナティック」に行った時に見た「堤」で、昭和初期に完成した堤防の痕跡です。
このため、この通りは「多摩堤通り」と称されているわけです。

この堤防を削った道路を通って多摩川方向に行くと、
「世田谷区立玉川福祉事務所」の入り口に、小さな「二子の渡し跡」の碑があります。

(多摩川を挟んで似た地名がある理由は?)
ところで、この多摩川周辺の地図を見ると、多摩川を挟んで、東京側・神奈川県側で似たような地名があることに気づきます。
宇奈根(東京都)-宇奈根(神奈川県)、等々力渓谷(東京都)-等々力緑地(神奈川県)、下丸子(東京都)-新丸子(神奈川県)など同一又は似た地名が多摩川を挟んであります。
これは、元々は陸続きだった同一地区が、多摩川の流路が変わったために、陸続きだった地区が多摩川によって分断され、その痕跡が地名に残っているためです。
多摩川は「あばれ川」と称されるほどの川でしたが、この多摩川が暴れて流域に住んでいた人々を苦しめたことが、この地名からも分かるのですが、
多摩川はしばしば流路を変えたため、「二子の渡し」の位置もしばしば場所が変わったそうです。
なお、東急電鉄の駅名である二子玉川(東京都)-二子新地(神奈川県)も似た名前ですが、これはちょっと違います。

東急電鉄が、川崎市側にあった「二子村」と世田谷区側にあった「玉川村」を合体させて「二子玉川」という駅名にしたのが、その由来になります。
東急電鉄はどうも歴史を無視して駅名を作る傾向があるので、注意が必要です。
次回も、二子玉川(二子玉)のあまり知られていない見どころを散歩します。
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今回は、「二子玉川公園」から散策してみます。


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(二子玉川公園)
ここは以前「東急自動車学校」やゴルフ練習場があった場所ですが、現在は世田谷区立の公園になっています。
この二子玉川公園の高台にあるスターバックスについては二子玉川散策(1)で書きましたが、
これ以外に、ここには周遊式日本庭園「帰真園」があり、


旧清水家住宅書院が移築されています。

(東京都公文書館)
この「二子玉川公園」の近くには、「東京都公文書館」があり、館内を見学することができます。

貴重な古文書や古地図が展示されています。


(一部の展示品以外の撮影は許可されています。上の展示品は許可されているものです)
(二子の渡し)
江戸時代、江戸防衛のため多摩川には橋がかけられていませんでした。
このため、古来よりあった大山街道(現在の国道246号線とほぼ同一)を利用する人々は、「二子の渡し」を利用していました。
この「二子の渡し」の碑がありますので、これを見に行ってみましょう。
前回の二子玉川散策(1)で行ったセルフのフレンチレストラン「ルナティック」前の多摩川沿いの道を二子玉川駅方向(多摩川上流方向)に進んでも行けるのですが、
二子玉川ライズに戻って、そこから行ってみます。
二子玉川ライズのバスターミナルから多摩堤通りを見ると下の写真のような「堤」が見えます。

これは、フレンチレストラン「ルナティック」に行った時に見た「堤」で、昭和初期に完成した堤防の痕跡です。
このため、この通りは「多摩堤通り」と称されているわけです。

この堤防を削った道路を通って多摩川方向に行くと、
「世田谷区立玉川福祉事務所」の入り口に、小さな「二子の渡し跡」の碑があります。


(多摩川を挟んで似た地名がある理由は?)
ところで、この多摩川周辺の地図を見ると、多摩川を挟んで、東京側・神奈川県側で似たような地名があることに気づきます。
宇奈根(東京都)-宇奈根(神奈川県)、等々力渓谷(東京都)-等々力緑地(神奈川県)、下丸子(東京都)-新丸子(神奈川県)など同一又は似た地名が多摩川を挟んであります。
これは、元々は陸続きだった同一地区が、多摩川の流路が変わったために、陸続きだった地区が多摩川によって分断され、その痕跡が地名に残っているためです。
多摩川は「あばれ川」と称されるほどの川でしたが、この多摩川が暴れて流域に住んでいた人々を苦しめたことが、この地名からも分かるのですが、
多摩川はしばしば流路を変えたため、「二子の渡し」の位置もしばしば場所が変わったそうです。
なお、東急電鉄の駅名である二子玉川(東京都)-二子新地(神奈川県)も似た名前ですが、これはちょっと違います。


東急電鉄が、川崎市側にあった「二子村」と世田谷区側にあった「玉川村」を合体させて「二子玉川」という駅名にしたのが、その由来になります。
東急電鉄はどうも歴史を無視して駅名を作る傾向があるので、注意が必要です。
次回も、二子玉川(二子玉)のあまり知られていない見どころを散歩します。
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