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馬込文士村散策

大田区大森から馬込にかけてある馬込文士村の散策に行ってきましたので、このお話をしたいと思います。

JR大森駅から馬込にある大田区立郷土博物館までの3時間余りの散策でした。

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馬込文士村とは、大正後期から昭和初期にかけて、今の大田区大森・馬込地域に多くの文士(作家、文筆家)や芸術家が暮らしていた地域です。
このような文士村は、他にも田端、阿佐ヶ谷、落合にもありましたが、4キロ圏内で100人以上もの多くの文士が暮らしていた地域は馬込文士村だけだったそうです。
01 東京散策 文士村散策地図 南北逆

この地域は武蔵野台地の南東の端に位置する荏原台にあり、江戸時代は九十九谷(苦重苦)と言われたほど坂が多い地域です。散策中も多くの坂を下ったり登ったり・・・いい運動になりました。

JR大森駅西口前に立ってみると、高台の高級住宅街と低地の商店街にはっきりと分かれていて、他の武蔵野台地にもよくある光景が見られます。麻布台地の低地にある麻布十番もシャレた商店街になっていますが、その高台は高級住宅街と分かれていますね。

また、この大森低地には「山王小路飲食店街」があり昭和の雰囲気が色濃く残るバーやスナックが多くあります。通称「地獄谷」と呼ばれているディープスポットです。

というわけで、大森・馬込界隈は文学マニア・地形マニアだけでなく、飲兵衛も好きになるエリアではないでしょうか(笑)。

写真を撮り忘れたのですが、山王花清水公園には湧水が涸れずにまだ湧き出ていました。都内では過去に湧水が出ていても今では涸れて水道の水でごまかしている公園も多い中で、ここでは湧水があり感動でした。近くには弁天池・弁天池児童遊園が接しており、これらを合わせるとちょっとした自然公園になっています。池では子どもたちがザリガニ釣りをしていました。

また、あの桜田門外の変で暗殺された阿部正弘の住んでいた別邸跡が大田区内にあると或るブログで読んだことがありました。まさか江戸時代には辺境の地だった大田区(当時は武蔵国荏原郡の一部)に江戸幕府最重要職の老中であった阿部正弘が住んでいたとは考えられないと思っていましたが、実はその子孫が明治以降に住んでいたと説明を受けて納得しました。

下の写真は、大田区立郷土博物館の三階に設置されている、大田区の立体模型です。馬込の文士たちが住んでいた当時の模型ですので、往時は荏原郡の一部だったのでしょうか。当時の文士達の住居や荏原村役場の場所なども明示されていて当時の様子がよく分かります。
大田区が台地と低地をもったエリアであることが視覚的によく分かるとっても良い模型です。地形マニアの方にはお薦めです。
馬込文士村 大田区立郷土博物館 ジオラマ

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プロフィール

カツQ

Author:カツQ
リタイアして8年です。会社勤めの時にはなかなか作れなかった自由な時間を得て、主に東京散歩と株式投資で過ごしています(加えて、家事手伝いも)。
東京散歩は健康維持も兼ねながら、歴史や地形・古道・暗渠を通して見た街角散歩をしています。東京の奥深さを少しでも伝えたいと思っています。
投資家としては、ファンダメンタル分析がろくにできず、メンタルも弱いダメ投資家ですが、踏ん張って自分なりの投資(損切りしない株式投資)のやり方を探しています。

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